現時点での自分の中のこんがらがりの件。

スポンサーリンク

秋も深まってまいりまして
今日は中秋の名月というものだといい
皆さん思い思いに月を楽しんでなさるようだけれども
一人ベランダで見上げてみれば
本当にくっきりと、ウサギさんがお餅をついているように見え
すっげーなーおいー。などと口走るなど。
横でネコがほんわかしている。とまあそんな感じでボクです。
今日は自分の思うところの自分の状態についての考察を。
この春から、とある病院に性同一性障害ではないかということで通い
夏からは、地元の病院を変えてカウンセリングを受けているのだけども
PTSDの症状発祥から2年半が過ぎようとしているところで
ようやく、自分の望む診療をしてもらえるようになり
これまで気付かなかった気づけなかった気づいてもらえなかったことが
少しづつ明らかになってきている中で
思いを強くしていることがいくつかあって。
 


これもう自分でもどこでどう、いつ、語ってきたかというようなことを
まるっきり追えないんでありますけども
性同一性障害の診断を受けんとする前から、そう、ずっと前から
いろんな所でいろんな形で言い続けていたことがあり
それというのは、自分を明らかにしたいということで
Twitterなどでも長文連投などでも言い続けていたわけなんだけども
自分という人間は基本的に「男という立ち位置で生きたい」と強く願っていて
そのせいもあり、FtMとしての言葉チョイスであるとか
女体の男としての言葉チョイスで語っていたので
そのせいもあってか
本来の「自分を明らかにしたい」という
本元の希望が曖昧になっているという、ちょいと残念な感じでありました。
というのも
性同一性障害の診断を受けていた時に
「性同一性障害という診断を欲しい人」のような扱いを受け
酷く困惑し、酷く咬み合わない診察を受けたことがあり
ボクは確かに「男になりたい人」ではあるが
どちらかというと、なりたいのではなくて
「男になりたい(でありたい)人」というのを明らかにしたい人なのであって
つまり、ガイドラインで見ていくと性同一性障害ではないのです。
そもそも、自らの肉体に嫌悪がない。
残念な気持ちや男体を羨んで苦しくなるとこも強くあるが
おおよそ、これはこれとして生きていくことには困難はない。
けれども普通に社会に出ていれば、なかなか辛く口惜しい場面が多々あり
男でありさえすれば・・・という思いを強く抱き
そのようなことはおおよそ黙ってうちに秘めているせいもあり
様々な対人的場面で過剰にストレスを貯め
職場等々で適合しきれない空気を生み出し、結果的に
激しくボクを嫌悪する人が登場し
そのせいで起こった災難な事件を発端に発症したという流れがあったことから
PTSDの症状や様々な心身症の解明と共に
性同一性障害というものと
しっかりと向き合っていく必要性がでていたというだけなのだけど
しかしながら、もし性同一性障害ということになれば
「男になりたい人」ということでもいいというような
印籠となるのではないか?と考えていたため
性同一性障害であるといいなという思いや願いが(強く)あったという話で。
それでも自分の中ではずっとぶれていないものがあり
どんなに誘導尋問的な話をされても絶対にそこは揺るがなかった点があり
それが先にも言った男になりたいのではなく
「男でありたい自分」ということを、良しとしてもらいたいということで。
受診前から言っていたのは、言い続けていたのは
性同一性障害という側面からも
アスペルガー傾向という側面からもフラットに見て

  • 性同一性障害により、男だと思っているのか(中身は本当に男であるのか)
  • 自らのアスペルガー傾向を男性性と思い、勘違いしているのか
  • ただの性癖や性格を男性性と思い、男になりたいと思い込んでるのか

どのような結果が出ても構わない。
とにかく自分がどうしてこんなことになっているのかを明らかにしたい。
その一心だったわけです。
この件について、ようやく先日のカウンセリングで辿りつけてもらえて。
性同一性障害というと性同一性障害の方向だけ。
強迫神経症というと強迫神経症の方向だけ。
社会恐怖症というと社会恐怖症の方向だけ。
不潔恐怖症というと不潔恐怖症の方向だけ。
「他のことは専門外ですから」と言われ続けた日々。
ばらばらにしか扱ってもらえなかった、聞いてもらえなかった日々。
幼少時からの過酷にして劣悪な環境に生きて育ってきたことや
親と自分、自分と娘らとの関係性や
以前の結婚の際に受けた酷いDVの件やその他諸々
多くのことが複雑に絡まり合っているため
一筋縄でいかない状態になっているのだけれども
それらを総合的に見ていかないことには自分に辿りつけない。
自分の中の自分、という言い方をするとおかしいかもしれないが
自分にはとにかく、ここ数年ずっと解離症状があり
意志に反して拒絶であろうところの発作を繰り出しているかのような
もうひとりの自分みたいなものがいるのであって
その、もうひとりの自分たるを見つめていかないと
症状の改善・緩和による、いわゆる「治った」になっていかない。
そして、やっとやっと、本当に、やっとわかってもらえつつある。
自分には男性性も多くあるが、女性性だって多分に持っている。
男になりたいあまりに、女性らしい思考や言動を”あえて”しないようにして
あくまでも「男です」を突っぱり続けるというようなことで
男として認めてもらいたいのではない。
ボクの中に存在する男性性も女性性も、どちらも自分の性分であり
そんな中、自分の意志としては、男であるというふうに受け取ってもらい
そのように接して欲しいという強い希望はあれど
それはあくまでも希望であって、実際のところはどうなんだろう?と
ずっとそのことについて知りたがっているだけなのです。
以前、どのような人も、横にいる人(パートナー等)を介して
その人と自分のコントラストによって
「自分は男である」とか「お父さんである」とかというような
社会的立ち位置を明らかにしているのではないか?という考え方を
ネット上で述べたことがあるのだけれど
何もこれは、横にいる人とのコントラストだけではなく
普段の生活場面で、どう扱ってもらえるかというような
他者からどう見られているかという部分にも強く作用しているものであって
女であるのに、女として扱われなければ不服に思うであろうし
やれば出来る子なのに、出来無いやつ扱いをされれば不服に思うであろうし
そう言うようなこととまったく同じ意味で
自分を自分として正当に他者に認識してもらえなければ不具合が出る。
自分以外の何者かに誤認識されていたのでは
自分の良さも何も発揮するどころではないのです。
そんな中で
自分は、女体でありますから
始終他者から「女なんだから」ベースでの行動を求められます。
女(同士)だからわかるでしょう?
というこれが、ほんとにほんとに昔から「実は」わかっていなくて
わかっていないけど、わかったふりをして生きてきた。
いや、自分でも女だと信じて疑っていなかったので
わかっているつもりにもなっていたと思うのです。
しかしながら「実は」てんでわかっていない。ということに気づき始めたのが
今から約5年ほど前のことで。
薄々そうじゃないか?と思ったところまで遡れば12年ほどになります。
女体である自分に対して、それがためにあらゆることが困難であるほどまでは
そのことを障害としていないという点において
自分は性同一性障害ではないわけだけれど
それでも
男として生きるほうが自分にとって自然であるというこの実感と確信は
一体どうすれば、自分の生活ベースに融合させることができるのか。
また、アスペルガー傾向という問題に関しても
実際のところはどうなのか、これも見ていかなくては
自分の女性的違和感の元を見つけられなくなる。
というのも、アスペルガー傾向というのは
多くの普通の男性に普通に見られる事柄とも沢山かぶるからで
その、普通の男性に普通に見られることが
生活に支障が出るほど強く現れるのがアスペルガーとも言えなくもなく
アスペルガーの症状が非常に強く重度であるのとはまた別にして
軽度のアスペルガーであれば、男性的に見えるというのも大いにあり
軽度のアスペルガーで、且つ男性であれば
アスペルガーとわからずして社会で普通に暮らせていたりもするという
そういうこともあるからなのだけども
これが女性の軽度アスペルガーだと
「男勝りの女」とか「ガサツな女」とか「身勝手な女」などというような
レッテルを貼られやすい感じにもなっていくと考えられてもいて
先にいった「女だからわかるでしょう?」がわからなかったということが
女で生きているために顕著になっただけに過ぎず
よくよく考えてみると、男の気持ちだってわからないのであって
ひいては、あまり他の人の気持ちがわからないのであり
その上で、どちらかというと、男心のほうがわかりやすくあるがために
自分は男なのだと勘違いしているのかもしれない。
そこら辺を明らかにしたいわけです。ボクとしては。
そこに加えて、ボクは女性を大事にしたいという思いが強く
女性を守りたいという思いも強く
何より性的嗜好が男性より女性に多く強く向いているので
男という立ち位置で生きるほうが楽。というところに行き着いている、と。
ここまでくると、まだ話がこんがらがっているので
自分の思いもうまく綴れなくなってくるのだけども
とにかく・・・性同一性障害の問題はまた別に綴るとして
性的違和感に関しては、ちょいとまだ先で
アスペルガー方向に関して、今やっと着手し始めたところです。
性的違和感を除外せずに
このことに着手し始めたということは自分にしてみたら大きな喜び。
ボクの、ボクとしての、男としていきたいというこれを
蔑ろにしないで、これをどうしていけば社会適合させていけるかというような
具体的なシミュレートと、具体的な訓練、具体的な対応策を練ることに
ようやく向けていけるようになったのでした。
また、こんなすっちゃかめっちゃかの自分であるというのに
とても真剣に恋してくれて、思いやってくれる人が現れていて
自分の中の男性性も以前よりは遥かに落ち着いてもいて
前より、女性らしさを強いられても耐えられるようにもなってきていて
しかしながら、まだ、ぎゃっ!と内心逆撫でられることも多くあるから
そこをどうするか、そこは何故そうなのか、を見ていくのです。これから。
あ、あとそれから
カミングアウトの件と、海外でよく使うところの
LGBT的クローゼットの件について
迷っていることがあるので、いつかそのことについても
ここでまとめてみたいなと考えています。
て、ダラダラ書いたけど読む人おるんかな。
読んだ上で分かる人おるんかな。
自分の記録的に綴っただけで
自分勝手なマスターベーションになっちゃったけども
まあ、そんな感じよね。ブログなんて。などと
逃げ口上を吐いて終わることにします。
 

コメント

  1. こんばんは。初めまして。
    突然のコメントで、すいません。
    プリンスのファンのrin58と申します。
    (ファン歴は、浅いですが・・・。)
    プリンス経由で、Sign3121さんのブログへ
    辿り着いたのですが、
    私も、“心理”とか“精神”とか、そのような
    本ばかり読んでいて、こちらのブログは、
    ちょっと、いろいろと興味深いなぁと思って・・・。
    ツイッターも、読ませていただいてます。
    文章、上手ですね。
    すいません(^_^;)、なんか、自分と似てるような部分もあって・・・。
    いろいろと勉強になります。
    この季節、ちょっと、さみしくなってしまって、
    コメントさせていただきました。
    プリンスを見たことがあるんですか?
    うらやましいです~w
    ライブは、何回ぐらい行きましたか?
    私は、一度も行ったことがないので、
    プリンスのライブ、観てみたいです。

  2. コメントどうもありがとうございます。
    Twitterまで見ていただけてるとは恐縮です。
    けれども自分の文章は
    ただダラダラ長いばかりでいけません。
    お目汚し失礼という感じですが
    ほめていただくとやはり嬉しいです。ありがとうございます。
    プリンスは二度見たことがあって
    前回の来日時に浜松と名古屋で見ました。
    ライブ、見たいですね。
    海外までこちらから出向くのはなかなかなので
    来日してくれるといいのにと思います。

タイトルとURLをコピーしました