福祉とか環境とか健康とか医療とか。

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このブログも書いてる人が病んでるだけに
全体的に暗く面白くないブログに成り下がっていて
どこにも旨味など出せやせぬわけですけれども
この『病んでる』というのを始終使うのにも訳があり
言わなきゃわかんないんだよ、というのがまずひとつ。
薬や治療を施すことにより治癒する
所謂『病理・病気』というのとはどうも具合が違い
東洋医学やホメオパシーなどでは
メジャーというか
これもまた『病理・病気』と等しく扱うのらしいけれど
そこら辺にいっぱいある病院では
これは等しく扱われないのであって
故に、周囲の人もそれとは取り扱わないのであって
何なら、自分でも疑わしくなってきたりもするのであって
幾度と無く自分を疑い続けている。
そんな毎日なのだけれども
 


しかしながら
40うん年間生きてきた半生を振り返り
つくづく身にしみていることといえば
『未だかつて、これほどまでに深刻に病んだことはない』という
明らかなる自覚と不具合と不便があって
けれどもぱっと見
熱も出てないし腹も壊していないし
頭もトチ狂ってるわけではなく
ただ単にワガママがすぎる甘えがすぎるだけのようにしか見えず
所謂シャッキリと意見は言えたりするわけです。
なので
以前自分が、この病に臥す前にもそうであったように
精神病・心身症・精神障害などの人は
非常に『(頭が)どーかしている状態』を指すのだろうみたいな
漠然とした概念があって、それは
自分に殆ど適合していないにもかかわらず
確実に病んでる実感と実績(?)があるのが不本意であり
これが功を奏しているようないないような。
かえって苦しい感じに拍車をかけているだけのような。
タイトルに据えた『福祉・環境・医療』
これらは社会問題においても重要な分野で
市役所などに行くと
とかくここらへんが前出しになっていて
” 如何にも ”
困ってる人は行政が救うから大丈夫!
みたいな空気に満たされているのだけれども
それで自分も漠然とそのように思い
暗黙の安心に似たベースの上で暮らしていたのらしいんだけども
いざ、本当にほとほと困った状態になって
救いを求めに行ったところで
まあ・・・大して救ってくれなどしませんで
何なら、弱り目に祟り目で
こんなになっても尚
国民年金や国民健康保険税などの取り立ては容赦なく
払わなきゃ保険証取り上げちゃうもんね!とかっつって
何のいじめか。とかなるわけだけども
それでもしょうがないので、払ったりしているってーと
収入ない中で持ち分を取り崩してそうしてるわけですし
そもそも、その取り崩しで青息吐息で暮らしているわけですから
まあ、そのうち根尽きますよね。
そんなこんなで本気で根付きて
何もかも失ってからっきしのスッテンテンの
ヨボヨボのボロボロになると
最後の切り札的『生活保護』というのになるのですが
これもね。
なんでか巷では
ワープワの人よりずっと貰っている受給者などの話があり
18万だ25万だもらっている人などがあるとか言うて
そんな貰ったらそらね。
必死で働いても手取り12万とかの人がいるのは知っているし
もっと過酷な感じである人がいるのもわかっていて
そしたらそんな人達はムカつくわけです。そらそーです。
が。
試しに自分の場合を計算してみると
自分は今、40代の一人暮らしですから6万円ちょいもらえる人で
その上、医療費は無料、家賃も出してくれるというわけですが
家賃はそもそも3万円に満たない団地ですし
医療費も月に1度の軽微な診察と軽微な投薬で
たぶんこれ、多く見積もっても5000円もしない(保険適用であれば)
とすると・・・大目に見ても総額9万円の受給になろうと
そんな塩梅なのであって
ていうか・・・日常生活費6万円ちょいで暮らすということは
どういうことなのか冷静に考察してみると
冬季はどんなに節約しても何故か9000円台のガス代。
暖房もこたつだけに徹して6000円前後。
水道代も切り詰めに切り詰めて3000円弱。
区費、公益費などというのもありますので、それ入れると
まあ、普通に最低限のインフラ関係で2万円強。
ボクはギャンブルとかはやらないし
酒もほとんど飲まず、飲んだとしたって貰い物程度であり
しかし、タバコは吸うし、インターネットもやりますし
娘と自分の携帯代もありますし(自分は最小契約のガラケー)
そんなこんなで通信費やタバコ代加味して
我が家の必須経費として2万円強。
となると、食費その他で残りは2万円ほどです。
娘は独立したものの
やはりうちに来て食事することも多いし
自炊で節約に努めたところでたかが知れています。
もういっそ食わない!とかしかなくなってきそうです。
生きてるだけで消費する消耗品もたくさんあります。
シャンプーや石鹸やトイレットペーパーなどの衛生用品。
洗剤や掃除の際の薬品などもあるし
時には電器が切れたり
電化製品が故障することだってあるでしょう。
猫らもいますから、猫らの食費やトイレ砂の経費もあり
また、生活保護を受けるとなると
車も乗れなくなるといいますから
どこかにちょいと買い物に・・・という場合には
交通費も余分にかかってくるのでしょう。
この地域では、タクシー券の発行はないそうなので
市内巡回バスや徒歩や自転車になるのでしょうが
神経症を患っていては
公共の乗り物に乗れないわけで(発作が出るからね)
体力も著しく落ちていて、沢山歩けません。
ということで、タクシーにいちいち乗ってたらどんだけの事になるか。
などなど考えていくと
まるっきり生きていかれない。に近い。
どこにも出かけず、とにかくただ生きているだけ、みたいになる。
これは福祉といえるのかどうか?と考えたりします。
そんな状態から、如何にして社会復帰を目指すというのか。
生活保護をもらうということは
相当なスティグマも背負うでしょう。
単純に最低限の生活が営めればいいじゃないかとか
切り詰めて当たり前。辛抱して当たり前。
なんてったって、納税者の皆さんの血税を使っているのだから
文句を垂れるな、もっと苦しいながらのワープワも大勢いると
そんなこんなの意見をネット上で多く見るにつけ
ボクは・・・
無理をしてるだろうがなんだろうが
働けている間は、必死で働いてまかなっていましたし
子供の頃からずっとそれはそうで
今だって、働きに出れるなら出たいわけで
でもそれは
今となっては、厳密には、働きたいのではなくて
自活したいから働く。というような感じであるけれども
それでもとにかく、働けるなら働きたいのであって
こんな変な時間にゴソゴソ起きて
PCに向かっているようなことをしてるからダメなんだとか
(無課金であっても)ネトゲなどをやってるからダメなんだとか
タバコもやめたまえよとか
健康的な食事とタイムスケジュールの実践で
健康を取り戻す努力というものをしろよとか
まあ・・・いろいろあるわけです。が。
その他諸々のいろいろ全部全部ひっくるめて
もわーっと、走馬灯のように思考していった先の
自分の結論としては
こんなはずじゃなかった。
これに尽きてしまうのだけれども
人生というものが指し示すもの
人生というものが関わっているすべてのもの
それら全部に徹底的に疲弊して病んでしまうということの
この現状から、どうやって脱却をはかって
再び立ち上がれるのかどうか、さっぱりわかりません。
ただただ本当に本当の最低限
ADL(日常生活動作)だけ賄えて、それで命さえ保たれ生きていれば
それでいいとするような福祉など何になるのか。
ボクは介護の資格をとる時に
一番最初に学んで、何故か涙が溢れて止まらなかったことの一つに
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という概念があって
それは、ある程度の社会参加や自己実現がなければ
人は生きてるだけではダメなのだと言うもの。
このようなことは、孤立死の問題などでも取り上げられるけど
このQOLが保てない時、人は死んでしまうのだと思う。
食えないから、インフラが止まったから死んだのとは違うように思う。
まず、QOLが保たれなくなったとこまでの流れがあり
保たれなくなった瞬間から
じわじわと、ADLが崩壊していっての、孤独死であると。
孤独死までは行かなくても
死んだままで生きている人は少なくない。
介護の仕事に従事していた時も
日々、そのことを目の当たりにしていた。
ただ食事を与え、身体の清潔を保ってあげて
暑くない寒くない環境に置き
その人それぞれの治療や滋養に気を使いさえすれば
まあ、命は続く。心臓が止まるまで。
けれども、その人は、死んでいるのと同じなのではないか。
生きている意味などわからないとつぶやく利用者さんや
早く逝きたいとつぶやく利用者さん。
つぶやくことすらできないくらいの状態の人もいて
それでも『生かされてしまって』いた。
生きていることの喜びとまでは行かずとも
日々の滞りない暮らしの中でのささやかな自己実現や
周りの人間とのふれあいややりとりの中での
人間らしさというものをまともに味わえない中で
ただ、ただ、『生かされてしまって』いた。
福祉ってなんなんだろう。
人の人生、命、魂って、なんなんだろう。
困ってる人は行政が救うから大丈夫!みたいな
あの空気の嘘は。
行政や政治のあり方に文句が言いたいのではないし
そんなものに文句を言ったところでどうにもならないし
ましてや、自分の暮らしが向上するわけでもない。
元気に働いている人を羨んだって仕方がないし
昔は自分も頑張ってたんだ!と叫んだからとて
そんなことをまともに聞き入れて親身になる人もいないし
仮に親身になってくれたからといって
救われるものでもなくて。
最低限の金だけ与えればいいというような行政の取り組みや
食事・衛生・住環境さえ整えば ”とりあえず良い” というような概念や
医学における、身体の
あらゆる ”正常数値” 内であれば問題無いとする医療や
明らかに狂っていなければ取り合わないというような常態や
とりあえず症状緩和の薬を与え続けるしかないというような医療や
言い出せばきりがない、なんと言っていいのかわからないあれこれ。
それですら、元気に働く人たちの血税に甘えているのだから

辛抱するのが当たり前というような概念。
みんなみんな、働いている人もまた
ギリギリすぎて優しくなれない寛大になれないという
心理背景もあるようにも思う。

なにはともあれ、ボクはどうして生きているのだろうかな。
いつまでこうして生きていられるのだろうかな。
今、生きていると、言えるのだろうかな。
ボクにはちょっと、よくわからない。
 

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