どうもどうも。こんばんわ。ボクです。
アイキャッチ画像は、ボクが撮影したものではなく
無料写真素材やさんでお借りしたものなので本文とは関係ないです。
が。ボクらがよく行く御前崎の海岸線道路に良く似ています。
そう。今日は、娘と海にドライブしてきました。

ぽつんと立ってるのがボクです。
娘が遠くから撮影してくれてたみたいで送ってくれました。
この時ボクが考えていたことは
この海も砂浜も小石も鳥も波も空も雲も太陽も
何もかも!何もかもを神様が創造されたとか!
すっげーーーー!
と思っていたのでした。
その話を娘にしたのですが
娘は無宗教派ですので
宗教とは。というような話になり
ボクの頭ではちょっと難しかったと言うか
人それぞれの宗教観があり
今のボクの宗教観をうまく言葉に出来ないので
(キリスト教に足を突っ込んでるけど、うまく説明できない)
そうかそうかと、ただただ話を聞いたりしていました。
そこから、話はいろんな方向に飛び飛びだったんだけど
そんな中でも、ボクが言えることは2つあって
1つは、信仰するものがあるとか神様を信じる心でいるということは
とても気持ちがいいことであるということと
2つは、お葬式というものは
亡くなった人のためにするのではなくて
残された人のためにするものなんじゃないかと思ってるということ。
亡くなった人は、亡くなっちゃってるので
何もわからない、何もできない状態にあるけれど
残された家族や知人や友達というのは、その死と向き合わねばならず
ちゃんと、お別れを言いたかったり、労いの言葉をかけたかったり
しっかりと「見送る」ということをしなければ
その後の暮らしの中で
その人の死を受け入れるのが大変になると思うのです。
だから、お葬式はしなくてもいいけど
火葬場に送り出すときには、簡単でもいいから
牧師先生のお祈りや、神主さんのご祈祷などは大切なんじゃないかと
そんな話をしました。
その2つは、娘も受け入れてくれた様子があったので
話してよかったな、と思ったりしました。
なにはともあれ、母は入院しているけれど
そんなに危険な状態ということでもなく回復に向かってるとのことだったし
娘とは久しぶりにゆっくり一緒に過ごすことができたし
7月1日から今日までの4日間は
猛烈に濃い4日間でありました。
天の父なる神様、み名を崇め賛美いたします。
母を救ってくださり、ありがとうございました。感謝いたします。
引き続き母を見守ってください。癒やしてください。
また、娘たちも孫も健やかな毎日が送れるように
どうぞどうぞ、み顔を向けて、見守ってください。
イエス・キリストのみ名において、お祈りいたします。アーメン。
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