娘のことを考えてる。そして自分のことも。

House Keeping & Life
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娘のことを考えてる。
親という立場になって
ボクが、自分自身の彼女と同じ頃を客観的に振り返る時
周りの大人も親も、あまりにも自分を放任していたように思う。
学校では先生らから
何故か、とことん、爪弾きであったし
非常に酷いやり方で、常に「肩たたき」に合っていたような状態で
本当に夢を叶えるための手段やアイデアや考え方なども
ほぼ一切得られなかった。
先生たちは皆
ボクなんかには夢を見る資格が無いと思っていたようであったし
夢を見ることがあるなど思ってもない様子ですらあった。
ボクは育ちも頭も悪い貧乏な不良でしかなかった。
事実、ボクは漠然とした夢はあれど
少しも形になどできていなかったし
親にはもちろん、友人にすら
その本当の思いを語ったりしたことはなかった。
ひょっとしたら、それが夢であり将来への望みであろうとは
自覚すらしてなかったのかもしれない。
ただ漠然と思っていたのは
「今よりずっと良い暮らしをしている大人になっていたい」

あまりにも貧乏であったり
親や周りの大人などに裏切られ続けたり
迫害され続けたりしていると
大それた夢を抱けなくなってしまうというような流れは
何となく想像がつくと思う。
そして、そんな可哀想だったかもしれない
高校生あたりの自分を振り返りつつ思うのは
悲しいかな、ボクの娘も
図らずして同じような状況で在り続けてしまったのかもしれないということ。
ボク自身の主観的には
彼女を裏切り続けたりしてないつもりであるし
貧乏ながらも、最低限の子供に必要なツールは
頑張って与えていたつもりであるし
何より、一生懸命彼女の面倒を見続けてきたという自負はあって
自分なりに彼女のことを愛を持って見つめていたし
かなり共に多くの話をしても来たし
多くの経験を共にして、思い出づくりも頑張ってきたと思っている。
けれど、これはあくまでもボクの主観であって
彼女はそのように感じていなかった可能性が高く
それを証拠に
彼女は中学一年の後半辺りから
不登校気味の生徒になった。
ほぼ不登校。
最終的には、お休みの連絡なしがデフォになったほどで
お休みの嘘も空々しい、というレベルであったから
正真正銘の不登校児ということだったと思う。
ただ、何となくこういう曖昧な言い方をしてしまうのには訳があって
ボク的に不登校児というイメージがあり
そのイメージと彼女がかけ離れているように見えたから。
彼女は一日中寝てたりすることもたまにはあれど
殆ど、起きたいときにのそのそと起きてきては
好き勝手に食事をし、好き勝手にテレビを見、好き勝手にネットを楽しむ。
実に普通に明るく快活なのだ。
また、友達との交流も積極的にやっていて、友人の数も相当に多かった。
学校を休んでいるというのに
まったく後ろ暗さ無く友達のところに遊びに行ったりもする。
不登校児というのは、暗く卑屈な状態であるというイメージがあった。
不良少女というのは、衣服や髪型などの乱れがあり
言葉が粗野になったりするというような
所謂、スケバン的イメージがあった。
確かに多少は
こっそりジュースみたいなお酒を飲んでみたり
タバコをもらって吸ってみたりしたことはある様子はあったけれど
常習してはいなかったし、とにかく何より、明るく快活で
ボクに対しても、相変わらずずっと
自分からどんどんアレコレと話してきたりもしていたし
何の不満があるのか、何が彼女をそうさせているのか
本当に、さっぱり、わからなかった。
それとなく会話の中で聞いてはみるものの
ただだるい、ただ行きたくない
ただ行く理由がわからないなどというばかり。
宿題や提出物に取り組んだり、期限を守って提出したりすることが
どうにもこうにも苦手な様子で
それらからとにかく逃げ切りたい一心のように見えた。
先生もそのように見えていたのらしく
何度も繰り返された三者面談などでもいつも
「無理をしなくてもいい」というのと共に
「しかし提出物は出さないと評価ができない」という
この細やかな具体的事情との折り合いを付けねばならないのだという
ぶっちゃけ話までしてくださったりした。
仮にテストで満点を取っていても
出席していないとか、提出物が出されていないということであると
ジャッジする項目がテストのみになってしまうため
どうにもこうにも落第点にしかならない、という
至極まっとうな評価事情。
ああもういいよ、提出物はまあいい。
とにかく出席して、テスト頑張ってくれ。◯点取れりゃいいから。
それくらいならできるじゃんな?
というようなことで
何とか最後の最後、ぎりぎりつじつま合わせて
高校受験に挑み、何とか合格した。
が。すぐ行かなくなった。
自分だけ遠い地区から通っていて
殆どがみんな、その地区の子供達ばかりであるために
既になんとなくのグループができている中で
自分から仲良くしてほしいなどというような積極性がでるはずもなく
彼女は、通い始めて2週間ほどで、ポロポロと涙をこぼした。
聞いているこちらも泣けた。
周囲の人間とどうにもこうにも折り合いが付けられないという
自分に対する憤りの涙だとすぐにわかったからだ。
一方で「まだたったの二週間じゃないか」という思いもある。
本当に何もかもがギリギリのラインで
親であるボクも死に物狂いで駆けずり回って
やっとのことで
高校入学までこぎつけられたというのに・・・というような
親側の「せっかく頑張ったのに」という押し付けの思いもある。
何より、高校は出ておいたほうがいいだろう。
そうでなくては後々困ることが増える。
まず確実にリスキーな人生になる。という
漠然としているのに、なぜかとても強い観念があった。
怒ったり泣いたり、軽いタッチで話してみたり
あれもこれもと思いつく限りの説得を試みた。
ボクだけじゃない。担任の先生も、中学の頃の先生も
ボクの母親であるところの「ばーば」も
娘の友達も、知り合いも
ありとあらゆる周りの人間が総出で話しかけた。
しかし、彼女は学校には行かないと心に誓ってしまった。
そして、勝手に決めてきたバイトに行き始めたのだけれど
それも長くは続かなかった。
その様子を見て、更にボクも先生も
「そんなことでは社会に通用しない」というような正論を並べ
「だから高校だけでもちゃんとがんばろう」というようなことを
繰り返し繰り返し、言ったりした。
しかし、尚更に学校は辞める。という結論から
まったく動かなくなってしまった。
恥ずかしく情けない話で、家庭内暴力、というのも
一度だけではあるけれど、あった。
彼女は即座に反省し、泣いて何度も謝ってきて
以後、そのように暴れるということはなくなったけれども。
それからも右往左往、様々な良いこと悪いことがあり
別のバイトに行き始め
そこではなんとなくうまく行っていたようで
嬉々として働く姿が見え始めて
友人の多少の変化はあれど、楽しそうな笑顔が見られるようになった。

彼女は、家のことがまるっきりできない。
一つたりともできないというわけではない。
やればなんだってできる。それは知っている。
けれども、なんというか・・・とても・・・気が利かない。
家庭内での諸事のアレコレの流れを慮るということが
まるっきり、できない。一事が万事、”迂闊”で、何もかもがおぼつかない。
この件は、彼女がもっと小さい頃から
自分はなんとはなしに見抜いてもいて、気にもなっていて
担任の先生が変わるたびに
三者面談時には必ず、そんな娘の傾向について申し送りをしていた。

親であるボクに、アスペルガー気質があること。
ボクの父方の血筋に重度発達障害者がいたこと。
ボクの従姉妹にも重度発達障害者がいたこと。
そして、娘にもどことなくそういう兆候を感じていること。
過集中や、独自の落ち着かなさや取り乱しや有頂天が見受けられること。
ADDか、ADHDではないか?というような点が他にも多く見られること。
けれどもいつも「そんな兆候は感じられませんよ^^」と言われ続けた。
小学校の中学年あたりの時
近所のお友達との物の貸し借りの件で
ちょっとした小さな問題が浮上した時
ボクはとても強い懸念を抱いたので、その時もその話と併せて
本当に、おかしなところはないか?
何か、本人にうまく行かなさみたいなものは見えないか?と聞いた。
それでも、同じく他の子と何ら変わりがない。
明るく快活で元気で人気者ですから心配ないと言われ続けた。
不登校の徴候が現れて以後
家庭内での彼女の迂闊さや、気の利かなさからくる
提出物や宿題をやれない症状の原因のひとつでもあった
「物をなくす」「物を管理できない」というのがますます顕著になった。
部屋は汚部屋と化し、家中のものを勝手に荒らし持ち出し
壊し無くし、消耗し、そのことを何とも思わない様子があり
何度注意しても、何度懇願しても、何度叱ってもどうにもならなかった。
叱られたり注意される理由はわかるだけに
時に、ちゃんとできない自分を辛がったりなどする流れから
何度か発達障害についても語り
一緒に病院に行ってみないか?というような話も何度もしてみた。
当然本人はキレる。
自分をバカのように思ってるんだろう!と憤慨した。
そして、発達障害なんてとんでもない!自分はそうではない!と
強い強い拒否反応を示した。
当然だろう、とも思ったので、無理はしないことにした。
そんな中で、ボクは、まったく別の件を発端にPTSDを発症し
具体的に、みるみる家庭内がめちゃくちゃに崩壊していった。
そんな中での、必死の高校入試、だった。


笑顔でバイトに通っている様子がしばらく続いた後
少し前から現在にかけて、少しづつ、彼女にまた苦悩の色が見え始めた。
バイト先で、何となく仲間はずれにされているという。

いじめは良くないというのがあるので
あからさまにいじめられているわけではない。
ただ、何となく、自分だけがあぶれているというこの感覚は
それを味わったものにしかわからない。
ボクは聞くだけに終始して
細かい意見や手助けをする姿勢を見せない感じで
注意深く動きを見つめている。
彼女なりに苦悩していることに対し
ただ、辛いよね。なんかもう、ムカつくよね。わかるよ。というような
純粋に「自分もそういうことあったからわかる」という
共感する気持ちのままに受け答えるだけにとどめ
それにかぶせてのアドバイス等はしないことにしている。
実際、アドバイスが出来る自分ではないと思うこともあって。
そんな中で彼女はつい先日
ボクの寝ている寝室にやってきて、ポツリとこう言った。
「アタシ、ADHDとかの簡易診断、片っ端からやってみて
 全部ぶっちぎりの満点だったんだよね」
恐らく、バイト先での自分と周りの者との関係性を
自分なりに客観的に見て、判断し、反芻し、反省し
自分を責めたり、皆を責めたりしながら
様々に思いを馳せ、何かに疑いの気持ちを持つに至ったのだろうと思う。
ボクが、ボクの育て方に問題があったのではないかと
頑張ったつもりでも、何かと辛い思いさせてばかりだったのではないかと
そういう話をしたら、そんなことはない、そうじゃない。と言った。
周りの人が悪いんじゃない。
けれども、自分でも何がなんだかとても何もかもが難しい。
こうすればいい、ああすればいいという理屈や筋道は全て理解している。
けれどもとにかく、何故か、何もかもが難しい自分・・・。


ボクは改めて、発達障害の診断を受ける気持ちになったのか聞いた。


すると娘は
診断を受けるのはいいが、診断が仮についたとして


だからなんなのだ?と思う、と言った。
ボクもそう思う。だからなんだというのか、と。

診断がついたら、すぐに楽になるという話ではない。
「治る」という話ですらないだろう。

ただ、周りの人も悪くない。また自分も悪くない。
なのになぜ、こんなにうまく行かないのか
こんなに説明つかずの酷い事に
いつも向かっていってしまうのかという

意味のわからなさと、不条理に対する憤りの中で
ただ一人、底なし沼に沈んでいくようなことを
避ける事は、できるかも、しれない。

自分は、このような質の人間なのだということが
ある程度、明らかになっていたならばーーーーーーー。

もちろん、このまま普通の女の子として生きていくこともできる。
そんなに重度ではないように思うから。
けれども今まだ「子供」の枠内にいるうちに診断を受けるということは
大人になってから診断を受けるよりも
いろいろな側面において、遥かに”具合がいい”ということは伝えた。

これから彼女がどう考え
どういう風に思い、どういう選択をしていくかはわからない。
けれども、どのような選択をした場合においても
ボクは親として、彼女の選択を最優先で
いろいろな事がうまく運ぶように
そのように動けるような自分でいなければならない、と思っている。
PTSDという形態の神経症を患い
働けなくなり、実質的なひきこもり状態にあり
経済状況も環境も全て、最低も最低、超どん底の状態にあるけれど
それでも、できうる限りのことをしたいと思っている。
親としてのボクは、彼女のために存在している。
彼女が、こんな最低の状況の中であっても
より良き自分の将来に希望を見つけることができるよう。
そのより良き自分の将来への道を見つけ、歩むことができるよう。
その手段が、一つでも多くなるように探し続ける。考え続ける。
何より、決して目を、心を、離さないでいたいと思っている。
ボクは、そうしてもらえなかったから。
そうしてもらえていたなら、もう少しなにか違ったように思うから。
これは、ある意味、ボクのエゴであり、義務であり、自分で選び掴んだ権利。
彼女のために動く自分は
過去の見放されっぱなしだった子供の頃の自分への癒やし。
うまく言えない、言えてないけれど
これは、かっこつけを取っ払った正直な思い。
ボクは、自分のためにも、彼女の夢を支える親でありたい。

コメント

  1. お久しぶりです。
    読んでて泣けてきました。
    溢れんばかりの愛を、きっと今以上に感じる時が来るでしょう。

  2. わー!おひさしプリンスです!
    元気にしてなさいますか?
    何年も放置だったのに見てくださってありがとうございます。
    より好い暮らしを、安楽な暮らしをと
    願って祈って頑張ってるつもりで
    なかなかうまく進まないことばかり。
    それでも何とか愛だけは忘れないで
    いつかきっと、報われる日が来るといいな思いながら。
    愛が届いて、叶う日を夢見て頑張ります。

  3. うちもいろいろ苦労しましたよ。ほんとに。

  4. わわ!ITAさん!
    おひさしプリンスです!びっくりした!
    そっか・・・ITAさんのとこも・・・
    ITAさんみたいな立派なお父さんであっても
    子どもというのはやはり一度は
    通ってくる道、通過儀礼みたいなものがあって
    それぞれの大変さの中で
    自分と周りとの折り合いをつけ始めて葛藤するのでしょうね。

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