旧約聖書を読み終わりました。

Religion
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どもども、こんにちわ。ボクです。

ボクは今年に入ってから
キリスト教のプロテスタント教会に通うようになり
それまでは、興味本位で「聖書通読」をやってたのが
いよいよ聖書ってすげー!までになっているけれど

その聖書の中で、聖書の教えを伝える姿が書かれてるけど
そりゃもう大変だったんだと思うのです。

そもそも、宗教観ってのは人それぞれ、土地それぞれだから
しかもヨーロッパとか中東とかになると
土着の宗教ってのが「ガッツリ」あって
それが元で、キリストは磔刑(たっけい)にあったわけだし
今現在も、宗教が元で戦争しているし
そんな中で、キリスト教を布教するってのは
生半可な大変さではなかったのではないかな、と思う。

かく言うボクも、布教活動的なことをした方がいいのかもだけど
とてもじゃないけど、自分の中にある神様を言葉に出来ないのです。

キリスト教では「神・イエス・精霊」の三位一体を主としてるけれど
こういうのもねえ、人に言われて「そうなんだ!」ってはならないと
そんな風に思うんだよねー…。

ボクも長いこと、わざわざ読みにくい「口語訳」の聖書を
最初から頑張って読んでみる!というチャレンジをしてきて
意味がわからんながらも、自分なりの受け取り方で解釈して
途中まじでわけわからんとこは、サーッと斜め読みみたいになりながら
また、途中長いこと、聖書通読をお休みしたりもしながら
そうやって、じわーーっと、身体に浸透してきた感じで
今やっと、旧約聖書を読み終わって新約聖書に移らんとしてるんだけど
メル・ギブソン監督作品の映画「パッション」を見たり
教会に実際に通って、クリスチャンの皆さんと触れ合ったり観察したり
うんもすんもなく、優しく受け入れてくださってる事自体がありがたかったりの中

ほんのりと、クリスチャンっぽくなってきてるかなー?みたいな。

そんな「ほんのり」なボクは
周りの人に「キリスト教いいよ!すごいよ!」というような感じで
うわーーーっとキリスト教の布教は出来ないんだなあ。

そもそも、通信制の大学(哲学科)で学んでた頃
いろんな思想や宗教に触れたけれど
どれも素晴らしいのであって、キリスト教だけが抜きん出てすごい。
絶対的に正しい宗教である!なんてことはまったく思わないのです。

や、自分は「ほんのり」信じてるけどね。
そして毎日の生活にとっても役立ってもいるし
統合失調症を患ってるボクのメンタル面でもすごく支えになってるし
祈りを捧げたり、お願いしたり、心の中で対話できる
そんな「神様」がいるってことは、とても気持ち良いことだと思ってます。

また、プロテスタント教会だからなのか
たまたま通っている教会の牧師先生がそうだからかわからんけど
すっごく自由なのです。こうしなくてはならない!みたいなのがまずない。

すごく自由に、自分の歩幅で、神・イエス・精霊を知っていけば良くて
自分なりに受け入れたり受け入れられなかったりしても良くて。
信じるも信じないも、わかるもわからないも
すべて神のみ心に沿って「そうなっていく」というような感じで
決して無理強いしたりしないのです。

宗教、信仰、てのは、そもそもそうあるべきなんだよねって
そう思ったりするから、尚のこと布教とかはできなくて。

でも多分それでいいんだと思う。
無理強いしたり、勧誘したりするもんじゃないと思うなあ。

ただまあ、キリスト教を知ると、真実だと受け入れると
頭の中にいっぱい生まれる「なぜ?なぜ?」が
一気にいろいろ解決していく気持ちよさはあります。
仮に解決しなくても、それはそれとして受け入れようというような
心の平安をゲットできるんだよなーというのがあります。

とまあ、そんなわけでとにかく
やっとのことで、旧約聖書を読み終わったんで
待望の(?)新約聖書に突入です。
こっからがキリスト教の真骨頂らしいからね。うんうん。

楽しんで読んでいこうと思います。

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