どうもどうも、皆さんこんばんわ。ボクです。
今日は、他に何の予定もないってんで
4回目の祈祷会&勉強会に参加してきました。
勉強会では「テサロニケの信徒への手紙Ⅰ」を学びました。
苦しめられている時、悩んでいる時、辛い時
もっと言えば迫害されている時などには
神様はいないのか!?とか何故!?とか、絶望したり
意気消沈したり怒ったり嘆いたり騒いだり泣いたり
えらいこっちゃになるわけだけども
そんな時って、どうなのよ?キリスト教的に?
というようなところに触れているというお話を聞きました。
神への信仰のゆえに、苦しい(めにあってる)のだと考える。
神のご計画のゆえに、苦しい(めにあってる)のだと考える。
この苦しみが、他の人への救いや赦しや導きになるのだと考える。
というようなことで、苦しみへの不服の気持ちや疑問への
向かう先、矛先が定まることによっての救いがあると言う話で
ボク的には、うおおおお!なるほど!となったのだけども
聖書というものは、何が凄いって、こういうとこだと思うのです。
ああ言えばこう言うじゃないけども
必ず、救いが用意されていて、必ず、愛なのであって
良い時も、悪い時も、全部神さまの言うとおりなのであります。
まだ正式な(?)クリスチャンにもなれていない
駆け出しのにわかクリスチャンのボクの説明では
うまく伝えられないけれども、なんしょ、神様のご計画通りなのであります。
それを「信じる」と、本当に信じ切ると
苦しい時も悲しい時も、踏ん張れる。ということなのです。
それでボクは、とっても救われた気持ちになって帰ってきたのでした。
そしてそして、石鹸まつりとは?ということなんだけども
聖書とは全く関係なくて、ただそのことについて書きたいだけです。はは。
というのも、ボクは体を洗うのに、ボディソープは使わずに
断然、石鹸派でありまして
それ故に、薬用石鹸ミューズとか、牛乳石鹸とかを
常に常備しているのだけれども
先日、上の娘から「母の日のプレゼント」ということで
天然素材の石鹸で有名な「LUSH」のギフト券をもらったのです。
おおーう!これは嬉しい!つって
速やかにLUSHの石鹸を買ってきた先日。
LUSHの石鹸は実に久々なので、ウキウキしておりましたところ
母が「さいんちゃん、これがあるよ」と出してきた箱。
開けてみたら、どどどーーーーーん!
(画像はこちらからお借りしました。買えるみたいです。)
カネボウさんの絹石鹸15個入り!
常備してある石鹸やLUSHの石鹸合わせると
これもしかして軽く1年以上持つんじゃね?的な量になりまして。
こんなにあるなら使うしかあるまい。てことで
母に差し出されて驚愕した、その夜から速やかに使ってるんだけど
これまで嗅いだことのない石鹸の香り。
石鹸の香りですから、決して嫌な香りではなく
良い香りには違いないんだけど、馴染みのない香りなので
使うたびに「おおお…」となったりしています。
しかしながら、年月が経っているせいもあってか
(果たしてどれくらいの年月が経ってるかもわからない)
風呂上がりにほわんと香るということもなく
後腐れのない石鹸であります。これはこれで好ましい。泡立ちも普通。牛乳石鹸のクリームのような泡ではないです。
泡立ちもすこぶるよく、長く体を洗っていても泡切れしません。
洗い上がりは、まあ普通。よくわからない。違いは。
他の石鹸と同じように、さっぱりと気持ちよく洗えます。
しっとりではない。これは間違いない。
石鹸だからね。さっぱりしてくれなくては。
ボクは、石鹸に対して「さっぱり」を求めているのですから。
つーことでですね。
図らずして、全部で20個以上の石鹸が集まった我が家。
暑くなってきて、母の訪問看護によるお風呂も
週に1回から2回になるでしょうし(母がうんと言ってくれれば)
じゃんじゃん使っていかねばです。
無駄にシャワー浴びたりする夏になるしね。うんうん。
てなわけで、今日は、祈祷会の話と石鹸の話でした。
なんとも脈絡のない、締まりの無いブログになりましたが
これから母と「ブラックペアン」の続きを見るので、また今度!
ちゃおちゃーお。
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