母が入院しました。

スポンサーリンク

9/18に2回めのコロナワクチンを接種して
その晩、1回目のワクチンの時と同様に
食事もろくに取らず休んでしまって

それから、元気はあるけれど
基本的に自室から出てこないでベッドに寝ている状態が続いて
ただでさえ細くなっていた食事が
9/24を境にほとんど口にしなくなってきて

テレビ好きの母が、いよいよ自室から出てこず
ベッドで寝てるだけになってしまいトイレに行くのも息切れする状態。

何より食事ができなくなってから
一気に覇気がなくなり
一気に「おばあちゃん」になってしまって
見ているのもしんどいほどで
熱はないけど、咳が酷くなったのが9/26
救急で病院にかかろうと言っても嫌だの一点張り。

じゃあ救急車を呼ぶよ!というと止めて!止めて!というし
じゃあ、次の診察日の30日までは待たないで
明日病院に行けるように手配するからね。ということで

なんとか承諾。9/27に行ってきました。

団地の階段も、休み休みながら
時間をかけて何とか降りて、車に乗り
やっと病院についたけど、窓口まで歩くのが辛いと言うので
車椅子を借りて窓口まで行き

病院の待合で待ってる間
予約ではない診察だから待ちますよとは言われていたけど
1時半の予約で、なかなか呼ばれず待っていたら
血中酸素濃度を測りに窓口の人が来て
測ったところ、何と数値が77しかなくて。

慌てて処置室へ連れていき、寝かせてくれて。
寝ている間、1Kgの酸素吸入と点滴をしてくれて
ようやく先生が見てくれたのって何時だったんだろう。

肺炎を起こしているとのことで
しかもそれが普通の肺炎ではなく「間質性肺炎」というもので

背中側から、肺が、モヤがかかるのではなく
網目状にすりガラスみたいになってしまっていて
前の方の肺は綺麗だったので
その半分の肺で呼吸をしていたんだろうとのこと。

母は背中が痛いと言っては
サロンパスを貼ってあげたりしていたのだけど
その痛みは、肺の痛みだったんだな・・・と。

そしてそのまま入院。
1週間から10日程度で退院されるというような
そんな説明を受けて、そか、良かったと思っていたら

あとになって、先生にまた個別に呼び出されて
「DNAR同意書」というのを取り出されて
これから抗菌薬・抗ウイルス薬を導入して
それでも駄目ならステロイド剤を使います。
そうした場合に、急激に心不全などを起こして
厳しい状態になる可能性があります。

その、心不全で呼吸・心臓停止などになった時
心肺蘇生術はやりません、なのか
心肺蘇生術も当然やって、何が何でも延命処置をするのか

そんなことを聞かれました。

頭は真っ白です。

母は、元気な時
テレビなどで延命処置や心肺蘇生術の話を見る度に
こんなことはせんでくれ。と言っていたので、
それを伝えるのに精一杯で
ボクの意見ってのが、ほい、とまとまるわけはなかった。

書類は持ち帰り、ただただ呆然としてしまい
娘たちに電話で事情を話すも
あーでもないこーでもないと怒涛のように聞かれても
まともに答えることもできず。

一人になり、あれこれ考えていたら
号泣発作勃発で、わんわん声を上げて泣いた。

厳しい状態ってなんだ?
1週間から10日くらいで退院できるんじゃなかったのか?
DNAR同意書ってなんだ?
なんでこんなものを書かなきゃならないのか?
こんなものを書かねばならぬほど悪いのか?
おむつの承諾書ってなんだ?
母は自分でトイレに行けるのに?
母におむつを付けて、身体拘束する場合もあるとか
何の承諾書だコレは?
母がもうここには帰ってこないってのか?

嘘だと言って欲しい。全部嘘だと。

病院のお見舞いフォームから
手紙を送ることができるようになっていると下の娘が発見してくれて
そこからメールを送った。

次の日、上の娘が朝のうちに来てくれて
心肺蘇生術は、非常に辛いものであることを知人に聞き
辛いことはしないほうがいいとか言っていて

下の娘とはまだちゃんと話せてなかったので
「DNAR同意書」以外の書類だけ提出して
あと、衣類や洗面具などの入院の荷物を渡して本人に会うことなく帰宅。

今は落ち着いていますよ、食事も取れていますよ。とのことだった。

そして午後、下の娘が到着。
下の娘が病院に電話をしてくれて
スマホの電源を入れてもらうことができたため
家族みんなで母と話ができた。

少々、ろれつが回っていない感じがあったけど
冗談も言ったりする、元気さがあって
一同、少しホッとした。

そして、上の娘は帰っていき

「DNAR同意書」の話とボクの死んだばーちゃんの話をした。

ばーちゃんが死ぬ時
同じ肺炎で死んだんだけど、心肺停止した時
心臓マッサージや電気マッサージをしようとするのを
もう止めてください!止めてください!
ばーちゃんが死んじゃう!止めてください!(泣)
てなって、止めても止めなくても死んじゃうなら
辛くないように死んだほうがいいという方向で懇願したことなどを。

てか、そんなことより、元気になってもらいたい。

その一心で、近所の神社にお参りした。

祈りが届きますように。

そして娘が、友だちとカラオケに行くというので
一人で家にいても辛いのでついていった。
歌を歌っている間は忘れられる。

帰宅後、娘はホテルに泊まることになって
(大きな蜘蛛を見つけたので泊まれなくなった)
ボクは死んだように眠った。

次の日になり
下の娘と入院の際の上履きや靴下を持っていけてなかったので
それらを持っていきながら、看護師さんから話を聞く。
そして「DNAR同意書」を娘の名前も描いてもらって提出。

昨晩、非常に酸素の状態が悪くなり
ステロイド剤の治療を開始したと上の娘に電話があったそうで
その件も話をした。
今は熱はあるけど落ち着いていますよ。ということだった。

それから、個別に母から電話が入って
とろとろの食事を看護師さんが食べさせてくれるんだけど
そのタイミングが上手く行かなくて
むせてしまって、それで酸素が足りなくなったのだ、と母。

それで、下の娘に病院から電話が入った時
その旨を伝えて、母は気をつかう質で
我慢しちゃって言えなかったみたいだけど
食事のタイミングがあるから、自分でゆっくり食べたいらしいので
一人で食べさせてやってください。申し訳ありません。と伝える。

そして下の娘が帰っていった。
一人でボーッとしていたら夜中だった。

そして今日、ボクは起きたらもう夕方の6時過ぎだった。
上の娘のところに電話が入り
今日はご飯はやめて、点滴にしていて
熱も平熱まで下がって、非常に良くなってきたとのこと。

ボクのところではなく
娘たちのところに電話するのは何故なんだろうと
少しもやるけど、どこに電話でも構わない。

とにかくどんどん元気になって
DNAR承諾書なんか別にいらんかったねーって笑いたい。

母はボクに、開口一番
「飯は食ってるか?」「独身気分を満喫しているか?」と
聞いてきたけれど、満喫できるわけがない。
しかし食事は取らなくてはならない。

母の言う「独身気分の満喫」とは
どういうことを指すのかわからないけれど
とりあえず「きのう何食べた?」を見て
鶏肉を茹でて、手羽元をマキシマムでむしゃむしゃ食べて
できたスープで玉子スープを作ってのんだし
各種支払いもしてきたしタバコも買ってきた。

生き、暮らしていかねばならない。

明日は、Amazonから届いた
栄養満点のドリンクたちを届けようと思う。

なんだか取り留めのない文章になったけど
これが、このところの今までの母の記録。

明日は、今日よりもっと元気になってほしい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました