女子力UPとか、モテ男になる!とか、セクシーとか。

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愛してやまない
ロッキー・ホラー・ショーのフランク・フルター博士の絵からの~。
ジェンダー問題、及び
恋愛問題、セクシー問題に関する個人的意見です。

まず。
このフランク・フルターはオカマだと思いますか?
ゲイだと思いますか?
どう見たって男だろ、と思いますか?
つまりただの変態だろ、とか思いますか?
想像してみて。
この人が、どのように、セックスすると思いますか?
男とのセックス?女とのセックス?想像できますか?
想像できませんか?それとも、想像したくもないですか?

彼は性の解放を訴える存在として銀幕の中に存在していて
未だに絶大な人気を誇っている一人格。
そして、ボクのもう一つのブログはEmanciptionというタイトルで
それは『解放』という意味。

自分の思うところのセクシーの定義は
文字通り『色気』のことであって
且つ、所謂、ジェンダーに囚われないもの。だったりする。

うまく言葉にできそうにないのだけど
この、フランク・フルター博士の存在のあり方や
マドンナ大先生が嘗て『SEX』という写真集で提示したようなことだとかの話のことで
男も女もゲイもレズも、その他も、なんもなし。
且つ、超愉しめる、とにかく、エロティックを愉しむと言う空気感を持っている人のこと。

自分はバイセクシュアルだから尚更かもしれないけど
男にも、女にも、色気を感じることが出来る。
色気、下心、水心、魚心・・・みたいな、色恋空気、エロ空気。

ただ、どうしたって生まれ持ってきちまった『肉体』というのがあるので
ぱっと見どうしたって『こう見える』というのはあるけれど
(例えばこのフランクが、化粧してようがケバかろうが、どう見ても男なのと同様に)
セクシーな空気を感じられる、また、それを求めるセクシーさなんてのは
その人の性的嗜好によるものとはいえ
恐らく・・・男女問わず
それぞれの拘りや主義も問わず
実際は、結構みんな『わかってる』のではないかな。

例えば・・・そうだな。
話題の壇蜜は、タイプじゃないけど(超大好きなんだけど)
ともかくエロい。てのはわかる。とか
ちょっと古めだけど、ベッカムもタイプじゃないけど
男の色気たっぷりである。てのはわかるとかの域でね。

ひねくれて捉えがちだったり、頭固い系の人は、この際、除外で。
あくまでも、おおよそ柔軟な考え方ができる場合においての話ね。

自分も含めて、多くの人は
ある種の固定観念や定義の上に生きているし
それらの上で、自分の主義、というのを持って生きているから
主義と違うもの定義に反するものってのは、とりあえず拒絶しちゃうし
理解もしがたかったりするんだけど

自分が思うのには
『そのようになった時』には、結構みんなフリーになれるんじゃなかろうか。と。

それは酔った勢いだとか
絶対秘密が守られるという空間だとか
圧倒的信頼の中で生まれる解放感だとか
諸条件は必要だと思うけど

絶対、ノーマルです!
絶対、異性愛者です!
絶対、同性愛者です!
とかいうようなのって、壊れる時は
意外にあっさり壊れるもんじゃなかろうか。と
そんな風に思ったりしてもいて。

で、その壊すための武器、としては、とりあえずセックスなんだろうな~とか。

(無理やりその行為を強いられている場合を除いて)
セックスをするという事は
セクシュアリティ問わず
物凄い『自己解放・自己肯定・自己受容』に繋がる行為であることは皆も承知のとおりで

それもあるからたぶん
LGBTに属する人の多くがセックスに対して
非常に積極的な場合が少なくないんだと思ってるんだけど
拘りや固定概念から解放された時、されきった時はたぶん
男も女も、或いは中性すらも、なくなる気がするんだな。
ただもう人間という動物、というのか。

セックスによらない愛を求める類の人とか
単純にセックスに対して非常に淡泊な人というのもいるわけだけど
そこら含めると話が混乱するので
今の時点では、除外して話を進めているんだけども

エロ、は、性欲からくるものだけど
なんで性欲を神が我々に授けたか?なんて考えた時
頭脳が他の動物達より発達しているボクらは
様々な拘りや定義を抱え
それらによって社会を形成し
共存して繁栄しようとする生き物で
時にそれは、足かせにもなるだろうと、そこまで踏まえて
その拘りや定義などを取っ払えるチャンスを
ボクらに与えんとしてたってことかも?とかってね。
重要且つ、非常に有効なコミュニケーション手段の最たるものとして。

って何が言いたかったのかわかんなくなってきたけども

いずれにせよ
誰かれ構わずサカるってのは違うのは言わずもがなで
相手と自分とのソウルレベルの・・・なんらかの交流があった上で
且つ、互いの了承の上で、そうなっていくことが基準なんだけど
(無理やりとか、謀った誘導とか、マインドコントロール的なことでもないって意味ね)
先に綴ったことも含めた
よく見かけるところの『女子力UP』だとか『モテ男になりたい!』とかの方向の話だけど
そういう記事とか情報とか読むの好きでね。
また、そういうことで生きてる若い世代とかを見てるのも大好きで。

いいじゃないの~!頑張れ頑張れ。
あ、自分も頑張らなきゃだわ、うはは。
なんて素直に思っちゃうわけで。

自分がトランスジェンダーでバイセクシュアルだからって
女子力UPに余念ないノーマル女子や
モテ男になりたいと頑張るノーマル男子に
くだらない。とは思わない。まったく。

また、LGBTだからって
特別の、別枠の、それらがあるとも思えない。
誰だってモテたいよねえ。って思ってる。

別にモテなくてもかまわない。という人ももちろんいっぱいいるけど
そんでも、生涯の伴侶、パートナーってのは欲しいもんでしょ。
圧倒的な自己肯定・自己解放・自己受容に繋がるような
ソウルフルで確かな『誰か』が欲しいと思うのはとても自然なこと。

そのためには、やはり、モテなきゃなんで。
まず、受け入れられやすい自分にならなきゃなんで。

自分がトランスジェンダーで
生まれ持った性を捨てたくてたまらなくて
涙にくれること、時には、死にたくなることすらあるとはいえ
自分の場合は、生まれ持った肉体は大事にしたいので
そのまんまで、それを生かす方向で磨き
傍からどのように見えようとも
自分なりの『この線』ってので、モテたいと思う。
そもそもモテるって何よ、とかは、この際おいといてね。

モテたいモテたい言うと、飢えてる、みたいな
節操無し、みたいな
そういう風潮が日本にはもともとあるけど
それって結構ナンセンス。

海外の人達と触れ合うと
ものすごい明るく快活に、全く悪びれもなく
恋愛やパートナーを求めることに積極的で
またそれが、ほんとに何も不思議じゃないんだよね。

そんな彼らと触れ合ううちに
(それは実際の交流だけでなく、書籍や映画なども含めて)
それでいいんじゃないかな~って思うようになった。
なのでね。全部大肯定。大絶賛。熱烈応援。

世の中にはほんとに様々なセクシュアリティを持った人がいて
なかなか定義に当てはまらないことで苦悩する人ってのも少なくないくらいだけど
一つ、絶対に共通してるのは
とにかく、1人じゃさみしいじゃん。てこと。

人それぞれのやり方や思うところにのっとって
それらを求めたり、求めなかったりすることに
いちいちこう・・・『それは違うだろ』とか思ってる暇なし。

男が好きなら
男に好かれるように努力すること、情報収集すること。
女が好きなら
女に好かれるように努力すること、情報収集すること。
男だろうが女だろうが関係なく
人として、という性を超えた部分で魅了できる存在になりたいなら
そのように、努力すること、情報収集すること。

これ全部同じラインに並んでることを、忘れずに。

セックスできるなら
セックスしたいと思えるのなら
どんどんやれる方向で、明るく快活に動こうじゃないの。
圧倒的な自己解放。
これは気持ちいいよ。いろんな意味でね。

また、セックスしたくない、できないの人も
セックスしたい、できる人達を見て
一喜一憂しない。しないように、精神鍛錬。心頭滅却。できるだけ。
だってもったいないじゃない。ね。
自己解放・自己肯定手段はセックスだけじゃないから。

なんか綴ってきたのと矛盾してるようで、矛盾してないんだ。これは。

何らかの手段を使って
ドーンとでもよし、じわじわとでもよし
拘りや定義、みたいなものを壊していこうじゃない。っていう
そこの部分で、やはりこれも同じラインの話。

なんでも物事ってのは不思議なもんで
どんどん深く考え、広く捉え、ありとあらゆる方向から見てくと
結局同じラインに並んでることだったりする。

アレは違う、これは違う、とかいう線引きすら
そこまで見えてきたら、無駄でしかなくて。
無駄と言えば、またしても無駄に長くなってしまったけれども
なんしょ、つまんない拘りや定義から来る主義、なんてのは
きっと壊せるよ。じわっとでも、しれっとでも、ドカーンとでも。

がんばろうね。

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