10回目の日曜礼拝に行ってきたよ。

Prince
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どうもどうも、こんにちわ。ボクです。

今日はいよいよ10回目となった日曜礼拝に行ってきました。

10回目ともなると、これといったこう・・・
特別なことがあった!みたいなこともなく
いよいよ日曜礼拝も「日常」になったし
良い意味の毎週のルーティンになったなーとしみじみ。

今日の説教は「ルカによる福音書8章11~18節」が主軸でした。

話をする時に、相手に聞く耳がなければ届かない。というこれは
単に、相手の聞き入れたくないという気持ちの問題というのだけでなく
単純に、相手にとって想像が難しくてイマイチわかりづらいから
話が通っていかないという場合もあるから
例え話を持って、話をしていくことも大切というようなことでした。

と、それよりも、ボクに響いたのは

その例え話の方で、よく「種を蒔く」と言うけれど
今と違って、昔は、種を蒔く時に
マジで、普通にばらまくだけだったのだそうで
そうすると、よく育つ種と、育たない種があるわけで
それと同じように、種を蒔いたからと言って
必ずしも、好い収穫ができるとは限らない。ということ。

なるほどなー!となったのでした。

それから「灯火」の例えがあって
灯火を灯しといて、隠したりしてたら見えないわけで
やはりこれ、聞く姿勢が大事だったりするのよなーみたいな?
読む姿勢、よく見る姿勢がね。大事なんだなーみたいな?

良くプリンスが言っていた
「Open Mind」が大事なんだよな、と改めて。

かく言う今日は、その大好きなプリンスが空に旅立った日。
悲しむ人あり、淋しがる人ありだけれど
ボクにとってのプリンスは、なんつのかなー。
感覚的に「生きている」ので、全然平気で。

確かにあの日、訃報を見て、強いショックを受け
プリンスが「いなくなった」と思い
頭が真っ白になって、悲しくて悲しくて泣きに泣いたけれど
もともとプリンスは、いつもそばにいる(かのような)存在だったので
彼の残した作品や写真を愛でる毎日は変わらなくて
「今頃プリンスはどうしてるかなぁ?」と思うことも変わらなくて良くて
たぶん、神様のそばで、彼の音楽で神様を楽しませてるんじゃないかな?

そいや、誰かのXのポストで見たけれど
亡くなった人は、この世の誰かがその人を思い出すたびに
その人の周りにきれいな花が咲くのだとか。
するともー、プリンスなんか、毎日花が咲き乱れているのに違いなくて
そう考えると、沢山の花々に囲まれてるプリンスを思い浮かべたりして
なんかちょっといいじゃない?なんて、笑みがこぼれるほど。

そんな風に、沢山の花々にいつも囲まれているプリンスだから
神様にもきっと良くしてもらってると思うボクなのでした。

それと同時に、今日は13年ぶりに木星と天王星が重なる日だそうで
前後10日ほどの期間(4月11日〜30日)は
この重なりの強いエネルギーが世界に充満する
んだって。
しかもそれは、すっごく良いエネルギーで
激動の時代に合わせて人々の幸運や夢、目的地が変化する合図だって。
変化する社会がみんなの夢を更新し、新しい道を生み出す時だって。

しかも、それが最も強く作用するのは不動宮と言われる
おうし座、しし座、さそり座、みずがめ座の人たちだそうで
ボクは獅子座なので、やったー!て感じ。

最近、どうも自分のフェーズが変わったような感覚があって
それって、少々の心の痛みも伴うんだよね。
変化するということが苦手なボクだから
変化すること自体が負担だっていうのと
新しいフェーズになるってのは、それまでのフェーズとの別れであって
別れってのはね、痛みが伴うからね。うん。

でもその別れは、決して悪いことではなくて
これから良い方向に動き出す、良い展開を見せていくっていうことなんで
安心して、この運気の流れ、宇宙の流れに身を任せて
上手に新たに生まれ変わっちゃおう!なんて思ってるところ。

キリスト様も、こないだ復活のお祝いだったことだしね。

また明日から始まる新しい一週間も
心穏やかに過ごせる好い一週間となりますように。

キリストのみ名において、お祈りいたします。アーメン。

兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人をも、イエスと一緒に導き出してくださいます。(テサロニケの信徒への手紙4-13-14)

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