Strike a pose

Music
スポンサーリンク

相変わらず、gleeを見倒しています。
今日見た分からも
色々感じることがあったのだけど
一番心に響いた台詞は
『楽な道だからって、自分を偽るんじゃない』

その回で使われた曲ではないけど
好きな曲で、好きなPVで、うまくカバーしていたので貼りつけてみつつ。
麗しのスー様(いよいよ様付け)とキュートでたまらんカートが主役。

で。
楽な道だからって自分を偽るなという先の台詞は
劇中で、先生のシューが生徒のカートにいう台詞で

カートはゲイなのだけど
そんな彼が『本当の自分をソロで表現してみせろ』というテーマの時に
父親の寵愛を取り戻したいと考えていたために
粗野なスタイルを気取ってだみ声でメレンキャンプの歌を歌った時のこと。

多くの人とは異なるセクシュアリティを持っている場合
そのことをカミングアウトすると言う場面で
カミングアウトする側とされる側の両方に困難さが出てくる。

我が息子を愛すればこそ
どのようなことも受け入れ尊重しようとする父親と
そのことを嬉しく思う息子がいて
しかしその裏で
父親側の当たり前の感情としての
息子への思い、成長した息子との思い描いてきた夢などが
置き去りになってしまう事も、わかっていたりする。

何も悪いことなどないのに
裏切ってごめんなさい。になってしまう事の残念さと切なさ。
そんなこんながある中での先に記した場面があったんだけど
今回自分が触れたいのはLGBTに関する話だけではなく
広く全般的な視点における『夢』や『希望スタイル』のこと。

gleeではいつも
胸に迫るテーマを取り上げていて
しかもあからさまにわかりやすく
ある意味、滑稽なくらいステレオタイプに
多くの名曲と共に見せてくれて、感じさせてくれて、楽しませてくれるんだけど
このVOGUEという曲のかっこよさと歌詞の素晴らしさは格別。

見回してみて
あなたが振り向く場所は いつも心の傷よ
あなたの行くところ どこへでもついてくる
人生の痛みから逃げるために
あなたは何でもやってみる
みんな失敗して
今日よりもよくなりたいと切望するなら
私は逃げ場所を知っているわ
それはダンスフロアーと呼ばれる場所
ここはそのためにあるのよ
カモン!ヴォーグよ
音楽にあわせて 体を動かして
カモン!ヴォーグで行こう
流れるままに 体を動かそう
ほら あなたならできる
あなたに必要なのは 自分のイマジネーションよ
さあ使って
それが必要なものよ
最高のインスピレーションの中へ入って
あなたの夢はドアを開けるわ
白も黒も関係ない
男も女も関係ない
音楽がポンプすれば新しい人生を授けるわ
あなたはスーパースター
それがあなたよ 分かっているでしょう?
訳詞引用⇒音楽イベント情報様(http://music123lover.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

gleeの中ではしばしば
ハイスクールが舞台だけに『夢』のことに触れる。

つか、ほとんどその話なんだけど
その『夢』を語ろうとするとおのずと
『自分らしさとは?』というところに話が及ぶし

そうすると必然的に
個人的コンプレックスや悩みの話になるし
併せて、それらを形成する根源となりがちな
差別や偏見や、人間的な部分の未熟さ、なんてとこに触れざるを得なくなるんだけど
今日はシーズン1の17~19話まで見て
(厳密には、娘が見損ねてた分も付き合ったので10からまた見たんだけど)
その19話でいよいよ核心に触れてくる感じで
『自分のルーツ』に迫る回になってきたりもしてて。

何がいいたいのかわからなくなってきたけど
自分のようにシリアス且つ本格的なGID(性同一障害)ってわけでもなく
肉体改造までは手を出していないトランスジェンダーで
且つ、バイセクシュアルってのは
ある意味、非常にずるいとこに居座ってる気がすることも少なくなくて
『ノーマルです』ということにしてしまえば
あっという間に楽になることを知ってもいるからこそ
その分大きく揺らぎやすく、自分を見失いがち。
生まれてきたままの性別に甘んじりゃいいってだけのこと。
生まれてきたままの性別で通せばいいってだけのこと。
バイセクシュアルだから、容易にそうすることができる。

でも
本当になりたい自分はどこ?
向かいたい先は本当にそこなのか?

そしてこれは何も
セクシュアリティの問題を抱えている場合だけに限らず
まったくそういうことに関係ない人にも
例えば生活、例えば仕事、例えば人間関係・・・そのすべてに言えること。

悪いのは自分ということにしてしまいさえすればまるく納まる。
相手のいうようにしてれば良いだけの話。
自分を殺してしまえば楽になれる。
やりたくないこともやらなきゃ食っていかれない。
生活しなきゃ。生きなきゃならないんだから。

そんな場面を、誰しもが経験してるはず。

夢を諦め
暮らしや稼ぎやキャリアを妥協し
『だいたいこんなもんでしょ』ってとこで手を打って生きていく。
人生なんてのは、こんなもんだ。食えていければいいじゃない。
楽ならいいじゃない。今が良けりゃいいじゃない。

ほら、家がある。最新機器も持ってる。そこそこいい服も着てる。
美味しい食事も食べれてる。恋人がいる。家族がいる。幸せじゃないか。十分だ。

確かに十分なんだろうし
その手に入れた物質的な幸せに嘘もない。
そこで、何の疑問も違和感も、ほんの少しの残念感も持たずに済むのならば。
本当にそれが、自分の望むものであると、確信が持てるものならば。

19話では、夢を追うことと
身の丈に合ったもので満足する努力みたいなものがテーマ。

夢を追うことと
身の丈に合ったものを手にして、そのことに満足して生きることは
はたして必ずしも対極に存在するものなのか?

英語圏の映画やドラマなどの台詞によく使われる単語で
WinnerとLooserというのがある。
所謂、勝ち組と負け組。という単語。
誰だって、出来れば勝っていきたいわけで。
なるったけ、勝ち誇って生きたいわけで。

しかし
自分の人生における”勝ち”ってどこらへん?
自分を偽ることなどすべきじゃないとか
自分の夢は追うべきとか
願えば叶うとか
努力はいつか必ず報われるとか
愛は勝つとか
正義は勝つとか
わかっちゃいるけど
結局そんなものはファンタジーじゃね~かと毒づきたくこともある中で
自分人生の『最大の最高』を模索するでしょ。

だって上見りゃきりがないのもいい加減わかってくる。
下を見たってしょうがないってこともわかってくる。
下手すると、どんな夢持ってたかなんてのすら見えなくなってくる時すらある。

そうなってきた時に
何とか信じれるものを!と思ったなら
陶酔するしかないんじゃないかな、と。
例えそれが、ほんのひとときのことだったり
ある特別なフィールド内だけのことだったりしても

なんでもいいから
自己陶酔出来る方向しか道はないんじゃないか。
なにしろ気持ちをアゲていかないと進めないからね。
と、これが今のところ自分が出した『抜け道』だと思ってるんだけど、どうだろう。

子供の頃、40過ぎた大人なんかみんな
おっさんとおばさんにしか見えなくて
と同時に、立派な大人に見えてもいて
自分も40にもなれば自動的に
何の迷いもなく、なんでもやってのけれるんだろうなんて思ってたけど
んなこた~なかったねぇ。
何事も自動的に、なんてのはあり得んね。

全自動の幸せ人生なんて、どうして思ってたんだろう。不思議。
なんとかして、自分なりのダンスフロアを見つけなきゃならんよ。
自分専用の、人生のダンスフロアを。
恍惚の、あの、キラキラの、ダンスフロアを。

My turn ! と意気込んで

かっこよくキメていかなきゃならないんだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました