我が愛するティム・カーリー様の若き日の画像でありますが。
今の自分にかぶらなくもない。そんな気がした、春の昼。
ま、髪型が同じ感じになっちまってるYO!
って話なだけでしょうけども。
大泉洋よりはちょっといいかもしんない。気分が。
そんなどうでもいいことはおいといて
今日は常日頃から感じていた事の一つである
『ジェネレーション・ギャップ』について、ちょっと見えた気がしたことを。
相変わらず、gleeを見倒すという幸せな毎日を送っています。
Hulu最高。やった~やった~!みたいなことです。
2週間無料のうちにすっかり元取りまくってます。
そんなこんなで
gleeを見て感じたこと、思った事を綴るブログと化している感じだけど
その都合上、めっちゃネタバレになってしまってるかもしんないのは申し訳ない限り。
しかし、容赦なく続けてしまうって~と
そんなこんなで
猛烈なスピードで一気に見倒しているので
どの回かわかんなくなっちゃいがちだけど
確か、ガガ様を取り上げた回でのこと。
お気に入りキャストの一人であるカート(オシャレキュートなゲイ男子)が
いろんな流れでフィン(メインボーカル男子)に罵倒されたシーンでのお父さんの台詞が
様々な角度からぐっときまくりやがっちゃったんだけども
カートが思いを寄せていることに感づいているフィンは
もろさらホモフォビア(同性愛憎悪系の人たちの総称)な発言をしちゃうんだね。
あからさまにカートに嫌悪感を丸出しにして
激しく拒絶し、否定し、侮辱し、罵倒する。
その声を聞いたお父さんが
部屋に駆け込んできて
カートを庇い、フィンに向かって言ったセリフの中で
俺が何年もかけて学んだことを
生まれながらに理解でき身に付けている
新しい世代の男だと思っていたよ。
というような意味の言葉があって。
英語の言い回しもチョイスされた単語もかっこよかったんだけど
ああ、これだ!と思って。
アメリカの(田舎の)一般家庭に流れる空気感はもとより
アメリカ人がどのような感情や感性を持ち育つのが一般的なのかというような事を含む
心理背景なんかは、良くわかんないんだけど
ホモフォビアな感覚っていうのは
恐らく誰しもが・・・
例えそれが、同性愛というセクシュアリティを持っている本人であっても
何故か、生まれ持ってきちゃう感覚なのかもしれなくて
だからこそ
自分が同性愛者だと悟った時に
大いに苦悩するし困惑するんだと思ってるんだけど
それはいったんおいといて
とにかく、同性愛に対する嫌悪感っていうのは
残念ながら、一般的には多くの人が持って然りの感情なのかもしれなくて
カートの父親もその件に触れる。
自分もかつてそうだった、と。
そしてその若いころ、同性愛の人に向かって
今のフィンがしたように
罵倒したりバカにしたりいじめたり嘲ったりしてきた、と。
しかし今はわかる。と言う。
そんなことをするものではない。という事を知っている。と言う。
そしてそのことを彼は『何年もかかって学んだことだ』と言う。
それを踏まえつつ、先の台詞は
若い世代に対する彼の考えるところが露呈された瞬間でもあって
ここでちょっと少し話をよそに移すけど
だんだん歳を食っちゃったボクは
その歳を食っていくな~と感じ始めてからずっと
まんまとみるみる歳を食っていくなかで
自分より若い人の感覚に何度も驚かされてきた。
逆もあるんだよ。
自分が若いころに、年上の人達、年配の人達の言動を見て
びっくりしまくってきたし
今だって、自分より上に人に対して、びっくりすることは多い。
こういうのを総じて『ジェネレーション・ギャップ』と言うのだなと
漠然と受け止めてきたわけだけど
特にその、若い人に対する気持ちとか感じた事を
なんとも表現しかねてたんだ。
また、周りの自分より先に『おっさんやおばさん』になってる人達を見て
ずっと思ってきたのは
この人達は、いつごろ、明け渡したんだろう?ということ。
この『明け渡した』という動詞が何を差しているかを語ると
今話したい趣旨からずれるから
またいつかのテーマにするとして、今回は横に置いておくけど
つまり、簡単にいえば
自分より若い世代の人達を、いつ認めたんだろう?というようなことで
その時に
どのように『まだまだ自分だって現役だもんね』みたいな感覚を手放したのか。
手放すっていうと語弊ありまくるんだけど
まあ、ここは、便宜上そんな感じとしてもらって
そのとにかく、道を譲った時っていうのかな。
それってどんな時だったんだろうと思ってたんだ。
それが、さっきの台詞の中にある
『俺が何年もかけて学んだことを
生まれ持って理解し身につけている若い世代』
という言葉で、これだ!と感じたんだ。
ボクは今年24歳になる娘と先ごろ15年ぶりの再会をし
ついこの間、14歳になったもう一人の娘と暮らしてて
彼女たちと話したり、彼女たちの言動を見ながら
また、その彼女たちと自分との関係性を見ながら
まさにそのことを感じていたんだよね。
例えば
彼女たちに何か大切なことを語る時
自分が思うところの大事なことを伝えようとする時
びっくりするくらい、言葉が少なくて済むんだ。
これは、それこそ、gleeの別の回で
レイチェルと産みの母親との再会の場面で見た
母親が舞台に対する思いを語る姿を見て
『ああ、その思考は私そのもの!』と感嘆するレイチェルにもあったように
血の繋がりは侮れない。というような部分からきている
親子だからこその通じ合う感覚というものとも見えるけど
違う。そうばかりじゃないな。と思わせるものが、はっきりとあって。
でもその正体がはっきりと掴めずにいたんだけど
それが、先の台詞を聞いた瞬間、ビンゴ!と頭で鳴り響いたってわけ。
彼女たちは
ボクが何年もかけて学んだことを
既に当たり前のように身につけて、ここに存在してる。
なぜそのようなことになるのかなんてことはわからない。
でも、この流れから察するに
昔々から、このようにして、ボクらは世代を継いできたんだろうな、と思う。
ただ必ずしも
新しいことだけが正しいのではないし
若い頃はなにかと矛盾も多く未熟でもあるから
そこは、ちょいとばかし長く生きてきた先輩として
言及できるとこはしていくんだけども
なんにせよ、うちの娘たちは
上の子は、今まさに、これから楽しいこと満載のぴちぴち世代だし
下の子は、今まさに、ぴちぴち世代になる前の成長真っただ中だし
見てていろんなことを考える。
病的にものが片づけられなかったり
物事の考え方がどうにもこうにもお気楽極楽すぎて
甘えまくっててどうしようもなかったりというような
本人個人の欠陥なのか、世代によるものなのか測りかねる
問題点も沢山あるけど
彼女たちなりに思い悩んで考えていることも
ありとあらゆるものに五感総動員で感じて学んでいってることも
見てて本当にほほえましく。
なんていい子たちなんだろう、なんて可愛らしいんだろう。と思いながら。
かつて自分がそうであったように
『今言っても聞こえないこと』が沢山あることも知ってるし
『やってみなけりゃ気が済まない』ってことも知ってるから
黙って見守ってくつもりだけども。
本当に困ったときには、すぐに手助けできるように
心構えきちんと持ったうえで、ね。
gleeでは、16歳の高校生という設定のキャストたちが
自分たちでは手におえない問題に直面した時に
普段あんなに大人顔負けで振舞ってるくせに
まるっきり小さな子みたいに大人たちにアドバイスを仰ぐ姿も時々描かれるんだけど
いつまでたってもガキみたいな感覚が抜けないで
のらりくらり生活を送っている大人になりきれないボク自身に
今の自分の落ちつくべきポジションみたいなものを、教えてくれる作品でもあるな、と。
世代をまたぐキャストがそれぞれにイキイキとしていて
それぞれに『思いのままに生きること』を模索しながら
夢を追う事、幸せになること、キラキラ輝くこと
自分を大切にすること、とかいうような
如何なる人にもタイムリーなテーマで綴られていくストーリーだから。
や~ほんといいドラマです。
そんなボクは劇中
大好きなスー先生が思いの丈を打ち明ける唯一の存在としている
『日記さん』を昨晩買いに行ったところ。娘と一緒にね。
互いの『日記さん』は決して見ないこと。と
道すがらの車中で互いに宣誓しながら。
親子とはいえ、プライバシーを尊重していくと言う事や
そのことが、お互いそれぞれの個人としての尊重に繋がるんだよ。
というようなことも話しつつ
親子であることへ感謝しつつ
人の子の親になっている自分のあるべき姿を引き続き模索しつつ
それらを存分に楽しみながら、頑張っていきましょ、てとこで。
ガッツあるのみです。
な。
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