セクシャルマイノリティに関する個人的長文。

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何やらかにやらが切なくて気が狂いそうな夜。
みなさんは幸せな夜をお過ごしでせうか。
ここ数日
このアルバムを聴き倒している。

Timeless Fly Timeless Fly
(2010/02/24)
久保田利伸、久保田利伸 meets KREVA 他

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特に12曲目の『僕じゃない』が切なくてどうにかなりそうです。
で、そんな自分の胸の内の乱れ事情はさておき。
セクシャルマイノリティ。セクマイ、と呼ばれるものに属するらしき
自分のその件についての見解とかを。


このブログのサイドバーの小さなプロフに
『脳内両性具有』であり『バイセクシュアル』であると書いていますが
それに二言はございません。
持って生まれてしまっている性別というのは
どうしてもあって
世の中には本気の両性具有の方なんてのもいるし
メンタル的な事情を抜きにして
肉体事情だけでも様々にあるんですけども
ま。細かくいい出すとわかりづらくなるんで
ここでは便宜上
リアルの人間としての肉体は基本2種、男女の別のみという仮定で話します。
で、自分も男と女の『いずれか』で生まれてきてしまっています。
ここら辺の細かい事情も
語りだすとどえらい長くなるし
めんどくさいし
何より、自分が今はまだはっきり言い切りたくない部分でもあるんで
あえて『どちらかなわけですけども』という言い方させてください。
セクマイのジャンルは
そんらもう様々にあるのらしくて
ボクなんか、ほとんどそれらを把握し切っちゃないんで
Twitterなどで
その道のプロ?の皆さんのツイートで
謎の専門用語にぶち当たりまくってるような
そんな具合で知識も足りないんだけども
だからいろいろ語弊や勘違いや間違いも生まれてしまうかもなんだけども
とりあえずの、現時点での、自分の見解の話です。
自分もそら結構悩みまして
なんとかしてジャンル化されているどれかに
自分を当てはめたいと試行錯誤もさんざかしました。
しかし結論的には、近いものはいくつかあれど
どれにも当てはまらず。
まあ近い気がするのはこれ

トランスジェンダーの中には、「Xジェンダー」である者も存在する。
これに当てはまるのは主に、「両性」や「無性」や「中性」の性自認を持つ者である。
その様相は多様であり、その中には性自認が入れ替わる者や
心の部分部分で違う性を自認する者等がいる。
個人差はあるが、自分の心が男女どちらか判らず混乱を覚えたり
男女どちらかの性である事を強要される環境に対し
拠り所の無さや違和感や苦痛を覚える。
ただし「Xジェンダー」のこの様相は
記憶のあるスイッチング(人格変換)を有する非典型例の解離性同一性障害の症状とも酷似しており
入れ替わる異性の心は乖離した人格であった報告例もあるため
一概に性同一性障害であると思いこむのは早計である。
これらXジェンダー者の場合
(性同一性障害当事者は男性女性のどちらかを性自認していると考えられがちで)
医療的な性同一性障害の診断基準には適合しないとされる事があるが
実際の診療の場では、性自認が中性や無性等である性同一性障害当事者が存在している。
また、「トランス」という接頭辞が
“世間においての、「男性」「女性」という二元論的性別観を前提に
一方の性別から他方の性別への完全な移行”を表すニュアンスをもつことから
例えば「Xジェンダー」の様な独自の性別(性自認)をもつ者や
社会的制度としての性別(ジェンダー)自体を否定する者は
ジェンダーベンダー(gender bender, 性別をねじ曲げる人)
ジェンダーブレンダー(gender blender, 性別を混合する人)
ジェンダークィア(genderqueer, 既存の性別の枠組みにあてはまらないまたは流動的な人)
と名乗る場合もある。

そんな具合で
ハッキリとは口に出せない所の
『自分の望む自分の姿』というのがボクにはあるんだけど
この40年以上生きてきた間で
さんざか右往左往無意識にしまくってきたこともあり
自分自身も判定しがたく
現にバイセクシュアルであるというてるのに間違いなく
惚れるとなったら男だろうが女だろうがかまいません。
でもまあ・・・ここ数年の傾向としては、恋愛対象は女性です。
自分は小さい頃からずっと
スーパーヒーローになりたくて
且つ、王子様を夢見ていたことから
お姫様になりたいのだと思いこんだ時期もあり
非常にフェミニンなところも多々ありつつ
それがまた混乱を色濃くした理由でもあるんだけども
とにかくここ数年は、恋愛対象は主に女性で
願わくば、人生のパートナーは女性が良くて
日本国憲法における婚姻によらない究極の『2人だけの2人専用の幸せ』を望んでいます。

それを踏まえつつ
今年に入ってから自分は
福祉の仕事に就き、現場に従事するようになり
Twitterなどでは思いのままにあれこれ言うてはいるけど
結構どっちでもいいんちゃうか?くらいに
落ちついてきていたりします。
特に老人介護に至っては
人間の肉体というものが
究極的に老いていくというのは
このような体の不具合が出るのだ。
肌、皮膚、骨などのあらゆる個所に、こんなに顕著に出ちゃうんだ。というのを
目の当たりにしまくって
この方々は
肉体に何ら人工的な手を加えていないにも拘らず
この皮膚の状態・・・この・・体の状態・・・と思った時に
GIDなどの方々が
ホルモン治療をし続けていくことや
整形手術などを施して肉体を改造していくことなどに思いを馳せ
彼らが究極的に年老いて行った時
どうなるか、というロールモデルが今はないこと。
あるかもしんないんだけど
少なくとも多くの情報はない今
目の前に老いに老いきった皮膚・拘縮し切った肉体などを見ながら
正直な話、ぞっとしたわけです。
頭のいいお医者さんや学者さんらは
そういうところも当然頭に入れてことを進めてらっしゃるのかもだけど
いつだって『想定外』というのは出るのに違いないし
そんな考えると
自分の肉体の性別はともかく
ボクはとにかく自分の望む姿になりようがない肉体で生まれてしまっていて
いわゆる軽い男装・女装みたいなものも
どんなに頑張ってもまず間違いなく違和感が残るタイプであるがゆえに
中途半端な微妙なルックスになることを強く恐れ
それらの治療や手術に手を出さなかったことを
ああよかったな・・なんて思っちゃったりするんだけども
もう踏み切っている方々というのもいるし
治療せざるを得ないくらい深刻な性同一障害の方もいて
その中でもうまくいってる人いない人もいて
そんな全部全部の皆さんが
老いに老いた時の肉体のメンテナンス的な部分。
当然メンタル面の問題もそうだけども
とにかく『普通の高齢者』と同じに扱えない
扱ってはならないタイプの高齢者になるんだろうなと想像がつくわけで
それで自分は
どんな人も最後の最後まで『望むスタイルで生ききる』という事を
遮二無二なって支援する人になりたい!ってって
LGBT専用の介護施設の開業を目指してるんだけども
その開業の夢へ歩く道すがら、というのが今。ということで
今は精神障害者施設の世話人をやってて
彼らの人として
徹底的に完全にピュアである様に触れるにつけ
本当に
自分の望むところなんてのを
いちいちカミングアウトしたりせずとも
あるがまま、皆さんが見たいように見えるがままに委ね切って
自分だけは『こうなんだよね』というのだけしっかり持って
あるがまま、なすがままで生き切れればいいじゃない。と。
ただこれは
恋愛の場面になるとやはりどうしても
そういうわけにはいかなくなってくるんだけど
とりあえずそのような場面は今回は横に置いておいて
ひとまず色恋抜きの生活の場においては
ほんとにどうでもいいみたい。
というのも
いろんな概念を持ちえない
知的障害者の皆さんはどうやら
彼らなりに『あるがままに思うがままに』判断して
ボクに接してるっていうのがわかったからなんだけど
どのような件についてのどんな場面でも
必ず言えることがあって
それってのは
『人は見たいようにしか見ない』ということ。
これがあるから
本当に、こう見てほしい。こういうことでお願いしたいという
刹那な自分の願いはあれど
どんなに言葉を尽くしても
どんなに肉体を改造したりホルモン治療を施しても
ある程度までは望むとこに近いとこまでは持っていけるにせよ
それでもやっぱりどうしたって
『人は見たいようにしか見ない』という真理を前に
結局逃れられない苦悩に苛まれる。
前にネットでどんな言葉を使おうとも
どんな名前にしようとも
どんなアイコンをチョイスしようとも
どんなアバターを作って活動しようとも
なりきり、というのに徹してみたりしようとも
自分ってのは、どこまでも自分でしかない。という事を書いたんだけど
それと全く同じに
ほんとにね・・・他人から見る自分を思うように操作なんてしない方がいい。
そういう結論に至っている今。
おっさんと言われることもあり
おばちゃんといわれることもあり
よう坊主!なんて言われることもあり
綺麗な方ですよ・・なんて言われることもあり
まあ・・・いいように皆さん見たいように見てくださっているわけで
もうね、ほんとそういうのに無駄に抗わないことに決めまして。
だってほんと疲れるんだもの。
なんと言われようが思われようが
自分は自分だから、もうほんと。と、開き直ることにしたのです。
先にもちらとふれたように
恋愛においてはそうはいかんけどね。
圧倒的に性的に『こうありたい』というのがどうしてもあるから
辛い辛い刹那な思いはどうしても付きまとうんだけども。
色恋対象じゃない人に関してまで
心砕いて疲れることはないんじゃないかな、と。これがボクの意見。
便所が『どちらかしか使えない』とかもどうでもいいじゃないか。
無事用が足せることが何より先決。
生粋の女の子だって
必要に迫られれば男子用トイレでだって用をたす。逆も然り。
衣服に関しても
自分に似合う服、自分の着たい服、自分でいいと思えるもの着てりゃいい。
男のつもりなのに女扱いされることにいらっとしても
まあいいじゃない。その人は、あなたの人生に責任なんかない。権利もない。
女のつもりなのにオカマだなんだ言われて傷ついても
それだって同じこと。
その人は、あなたの人生に最後の最後まで関わり続けるなんてできやしない。
ここまで簡単に開き直れりゃ話は早いけど
そうはいかないから苦しいんだけどね。
自分にたわわな胸がないこと
官能的な美しくしなやかな肉体美が備わってないこと
魅惑的なヴァギナやペニスが備わってないこと
そらきついの。もうもう本当にきつい。苦しい。
場合によっては、デパートなんかの服屋の前で唇かみしめて涙こらえたりもすんの。
愛する恋人を、本当に真の意味で
自分は満たせているのか、愛でることが出来ているのか、不安で死にたくなる時もあんの。
どうして自分は自分の望む肉体で生まれてこなかったかと
空を仰いで悪態ついて泣き叫びたくなる時もあんの。
でもこれだって
普通の生粋の男性女性にもあること。
太り過ぎて痩せられない自分に苦悩する人
大きすぎる胸や小さすぎる胸に一喜一憂する人
背が低い高いで悩む人
顔のつくりがアレだのなんだのって悩む人
でかすぎ、短小、粗チン、遅漏、早漏・・・いいだしゃ切りないの。
みんなみんな肉体のコンプレックスはある。
だから、出来るだけ苦悩は少なめですむように
どの道抗ってもどうにもならない部分というのはどうしてもあるんだし
とにかく目指すは『自分らしい幸せを掴もう』ということ。
時にはその『自分らしさ』すら見えなくなって苦しいんだから。
無理にカムアウトしない。
無理にみんなに理解してもらおうとしない。
無理に自分を自分で決めつけようとしない。
無理に自分を押し付けない。
人は勝手に決めつけたりあしらったり勝手なことを言うけど
それほんとどうしようもないから。
見たいように見てもらってりゃいいと、開き直ったもんがきっと最後は笑う。
そんな風に思うのでした。
長くなりすぎました。最後まで読んでくれた人がいたなら
Thank u !
言いたいことの1/10でも伝わってくれたなら幸い。

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