弱った時こそ

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ボクの友人の多くは
弱った時に、連絡をしてくる。
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その弱り方も様々なんだけども
大抵まあ、弱った時に、連絡が来る。
若い頃は
そんな自分の立ち位置みたいなものに
『いい時は用無しってことかよ』なんて
思ったりしたこともあったけど
この歳になって
この歳の、今になって
ようやくわかった気がする。
そうじゃないんだな、ってこと。


自分の場合を振り返ってみれば
すぐわかることだったんだろうけども
調子のいい時
自分がとってもイケてる時
そんな時ってのは
パワーもあるしキラキラしてて
とても充実していて
忙しくもあるし
いわゆる『ノリにのってる』状態だから
往々にして『かっこいい時』ってことなんだけども
人は誰しも
かっこいい自分を人には見せておきたいもの。
できることなら
かっこいい自分だけを見せて
かっこいくキラキラし続けていたいもの。
その状態を外部に対する『戦闘態勢』と仮定するなら
その戦闘武装が保てなくなった時
それくらい弱っちゃった時
人に会いたくない・・・ということになってくんだけど
そんな弱った時に
ボクに連絡をくれる人、逢いたがってくれる人ってのは
ボクにはかっこ悪いとこ見せてもいい
弱ってるとこ見せてもいいと
そう思っているからに違いなくて
それって
とてもボクとしては誇っていいことなんじゃないか。
思ってもみない問題にぶち当たって迷う時
迷いすぎてあがきすぎて
わけがわからなくなっちゃった時
その状況を知ってもらいたいと思うのが
このボクであるということは
これはかなりありがたいことで。
ここら辺
先にもちらと書いたように
自分はとても誤解していた部分かもしれなくて
弱った時に釣り合う相手として
ボクをチョイスしてる。みたいな風に捉えてたので
何だかんだ言いながら
ボクのことをこの人達は下に見てるんだろうな。
なんて思っていたから腹が立ったりもしてたんだけど
違うね。これ。
弱ってる時や
武装しないで、または、武装できないでいる時に
そんままでも構わない人、と思ってる。これは
下に見ているのではなくてむしろ
心のままに預けてもいい人。ということで
信頼してくれてる。ってことだね。
ただこれねえ・・・。
これだと
弱ってない時は連絡してこないんで
その間、自分は孤独に陥るんですね。
ボクは
弱ってる時、心を寄せても良い人ってのが・・
いないのかもしんなくて
いや、いるんだけど
みなさんと自分のバイオリズムは
時折激しく真逆に動いているらしく
落ちてる自分を持っていく
取り付く島がないように見受けられる。とか
邪魔になってはならんな。とか
せっかく上がってるらしきとこに
ケチつけることになっちゃいかんな。とか
まあ・・・
その落ち方ってのが
自分はそれこそ取り付く島がないほどに落ちるのであって
何を言っても無駄無駄無駄無駄無駄~!
みたいな感じに激しい落ちっぷりであるからなおさらに
寄って行ったら迷惑千万になるのがわかるから
『ちょうどいい落ち具合』の時しか寄っていけれないんだけども
それでも試しに寄って行ってみて
実際、もう一度繰り返してしまうけど
落ち方や怒り方なんかがなんしょ半端ないためか
通じないんだな。普通に。
話や思いが通じないから
あ~やっぱ通じんしな~、うん、了解。てなもんで
自分で抱えていくわけですけども
ボクが4年強ほど身を寄せていた世界に
セカンドライフというのがあるけども
そこを引退する時も
ほんとに多くの人にさんざか言われたこととしては
『いてくれるだけでよかったのに』
というようなことで
これにはその人それぞれに
『いてくれるだけでよかったのに』の理由があったようだけど
その言葉がいろんな人の口からこぼれるたびに
『その、いるだけってのは、いるだけの方からしたら寂しいもんなんだよ』
みたいなことを返して
止めてくれる皆さんを振り切って
『いてくれるだけでよい人』の位置から逃げ出し、辞めたんだけども
幸か不幸か
リアル世界は『辞める』てのが出来ませんから
いつもここにいるよ。という状態が
望む望まざるにかかわらず
死んでしまうでもしない限り続くんで
相変わらず
弱った友人知人から『たまに来る連絡』に応じれる。
先ほど友人の一人から
職場を解雇になったのだという事で連絡がありまして
正に彼女の『弱ってるのよ』という時だったわけですが
円形脱毛症にまでなったりして
なんだか謎の蕁麻疹も抱えつつの
ストレス三昧なんだという報告を受け
さんざかあれこれ聞き倒してから
そらえらいこっちゃ~。
しかしあんた。
そうはいうものの
これまでも何だかんだいろいろ
ほんとにほんっとに、いろいろあったけど
なんとかやってきてたじゃん。
若くして結婚して子供生んで
立派に育て上げて
可愛い可愛い孫まで生まれて
立派な一軒家も建ててローン完済も目前で
可愛い可愛いわんこ達もいて
だのにまだまだ全然若くてきれいにしてて
同い年のおばさんらなんか屁でもないじゃん。
そんだけやってきた実績あるじゃん。
傍から見たら順風満帆の
羨ましい幸せ家庭のきれいな奥さん。てのは
な~んも変わっちゃないじゃん。
きつい時、これまでも何度も何度もあったし
好きなだけ拗ねたりへこんだり
なんもせんでダラダラしてたりしていいんじゃね?
ちった~ハゲくらい作っとけばいいよ。
そのうち飽きるよ。蕁麻疹にもハゲてるのにもさ~。うははは。
とかなんとかいうて笑い飛ばしただけなんだけども
元気出た!とかいうて電話を切り。
そんでもまだ
しばらくはゴネゴネ、ネチネチ、グズグズするんだろうけど
そんでもいいわけです。うん。
よくよく考えてみれば
美意識も自意識も高くプライドもめいっぱい高く
そゆことで誰よりも頑張り
かっこいい自分を目指してやってきた彼女が
よわっちい時に連絡してくるってのはさ。
これはほんとすごいことで。
ボクはいつなん時も
どのようなフィールドにいようとも
『そういう立ち位置』ってことなんだろうなあ。なんて思ったりして。
少し前にこのブログのエントリーで
『夜中に台所できみに話しかけたかった』という本を紹介しながら
愛するってことについての
自分なりの見解みたいなのを書いたんだけど
http://sign3121.blog.fc2.com/blog-entry-86.html
要は友情ってのも同じだね。きっと。
ふとした時
気が抜けきってて、心が素っ裸で
すっかり丸腰状態の時に
ふと思い出す人ってのは大事な人で
そういう時に
思い出してもらえる、思ってもらえるってのは、本当に誇らしいこと。
大して気の利いた事も言えないんだけどね。
そしてまた
そんなしてることで
自分自身もなんだか救われたりする。
どんな形にせよ
思い出してもらう、頼りにしてもらう、支えにしてもらう
そんなしてもらえるってのは、とても大きな励みになるね。
自分のふだんの孤独感とかはさておき。
セカンドライフを去る時も
ボクはセカンドライフは引退するけど
『ここに、いるんで。いつも、ここに、いるんで。』と言い残してきた。
ネットに繋げて
ほんとに話したいなら、ほんのちょっと探すだけで
すぐ見つかるようなとこに、すぐ、そこ、にいるんで。と。
で、その言葉通りに
やっぱりボクはここにいる。ここに、です。ここに。
誰を待つともなく
1人で・・・ここにいます。
な~んも変わらず
嘘みたいに同じことを繰り返しながら
嘘みたいにほんとにな~んも変わらん感覚で。
どんななりをチョイスしてても
どんな名前になってても
どんなに見た目が変化したとしても
な~んも変わらん、ボクのままで。
なんなりとお申し付けください。的なニュアンスで。
このいただいた立ち位置ってのは
これからも大事にしていきたいな、と。
そんな風に思うのでした。
ま、とにかく
あんま大して、気の利いた事言えもしない、できもしないけどね。

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