善良さについて。及び、親子は親であり子であるが違う件。

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こんにちわ、ボクです。
今日は、人の善良さの話をしたいと思う。
まず、この本。

ボクは少し前に、この本をKindle版で購入して
事の発端は、ニーチェのことを知りたかったのであり
どんなにニーチェの本を読んでも
かなりグッと来るところ、共感するところはあれど
なんとも気持ち悪い感じで
掴めねえ・・・掴めねえよ・・・ニーチェ・・・と
この思いを何とかせんがための苦肉の策だったんだけども
あまりにツボった。
あまりに著者である中島義道さんが好きになってしまった。

という感じだったのだけど
ネタバレしてもしょうがないので
まずかいつまんで語るとこからスタートしたいと思う。

この本に書かれていることは
ニーチェが最も苦しめられたのらしき善人について。
ツァラトゥストラでとくとくと語られているのが
この善人なのだけれども
それをとてもわかりやすい解釈で説いてくださっていて。
ボクも長く苦しめられていて
常々、何かの折にぶーたれていることのひとつに
「良かれと思って」「アナタのことが心配で」とか何とかいう
非常に善良かつ、自愛に満ちた風のセリフの背後に臭う
どーにもこーにも胡散臭い香りという存在がある。
これらの言葉の後に続く言葉は
まずおおよそ、概ね、ボクのためというものを発端としたものではなく
それだけならいざしらず
非常にその発言者の意向”だけを”尊重したものが多い。
そういうようなことの多くの事例を
しつこいくらいにあげつらえて
真っ向から狂ったように言及しまくっている書。
それが、ニーチェの本ですから
そのニーチェの生き様や残された書物を元に
善人の悪事(?)を説きに説きまくっているこの本は
物凄い辛辣な内容であるのだけれども
あまりにも真っ当至極なことばかりで
また、辛いことには、自分にも当てはまるところも多分に見受けられ
痛いし痒しで、どうにもなんともたまらんことになります。
この手の本は「自分について書かれてはいない」というような
他者と自分との差別心がなけば
到底読み進めにくい羽目になってしまう種類のもので
少ない救いはその、差別心がなくなる瞬間を持てている自分。
ああ、自分もそうだ・・イタタタタ・・・と感じることが出来る自分。
その一点において、かろうじて
差別化を図ることができるというところ。
ボクは、この本やニーチェの本の中で説かれている
善人とは違うといえる。ギリギリ。
そこで、唐突に、ボクの母のことを書いてみる。
母は、幼少時のボクを
まだ2歳3歳あたりである幼児であるころから
一人家に残して夜の仕事などに行き
それは食わねばならぬというやむを得なさからであっただろうが
やはり小さなボクには相当堪えて
少しく状態を悪くしたっていうので
以後、親戚知人に預けまくるなどして
さっぱりボクの面倒など見ない母であったのだけれど
これは
ボクが預けられ先で折檻されていたり
非常に不便な扱いを受けていたりすることを
彼女は完全に知らぬまま、或いは知らぬふりを通して
中学の頃は、ほぼ一人暮らしを強いている状態で
たまにこたつの上に置かれる1000円で
生き延びさせるというような有り様で
借金取りを追い払う役目なども担わされ
その間、彼女は何をしていたかってーと
とにかく働き続けたってわけですから
いいのか悪いのか、判断がつきかねるわけです。
ボクの高校の奨学金も
大学に行くための奨学金も
マジか!?ってくらいにしれっと使い果たしてくれちゃって
必死でバイトして高校は何とか出たものの
高校でも先生に異様に折檻されて
毎日毎日肩たたきに合ってたことですら彼女は知らぬまま
「さいんちゃんは、ぐれたりしなくてよかったわぁ♥」
などとのんきに言ってくれちゃってたりするのであり
そして、案の定、大学には行けず
なんやかんやで彼女の負うべき責務や支払いなどを
大部分何故かボクが背負うなどし
まあ、とにかく、そんなことだったのだけれども
しかしながら、彼女はとにかくどこまでも果てしなく
脳天気に、さいんちゃんはいい子で助かるわぁ♥なのであって
最近で言えば
ボクがPTSDを発症したってのに
大丈夫だから!大丈夫だから!と言って
嫌がるボクを無理やり市役所に連れて行き
案の定、パニック発作全開になり、大声で泣きわめいて卒倒するボクに
「さいんちゃんっ!やめなさいっ!恥ずかしいっ!」
などと言うたりしたのであり
けれども止まるわけがない。だってそれは発作なのだから。
ということで、はっとした彼女は
それ以降は、ものすごく助けになってくれたりしているので
これまた、いいのか悪いのか若干判断つきかねる。
つまり、こういうようなのを、善人の親、と定義してみようと思うのです。
実際のところ
本当の本当に、ボクを食わせるために働いていたのだとして
それにしちゃ、月に数回あるかないかの
こたつの上の1000円ってのは、合点がいきかねる。
且つ、ボクの奨学金を全て使い果たして
しれっと知らぬ顔をしているあたりも、まったく解せない。
もっというと
ボクは幼少時、彼女と暮らしている間は
可愛がられてもいたが、物凄い折檻も受けていて
草竹という名の、機織りをする時に使う角材でおもいっきり殴られて
何時間も何時間も押入れに閉じ込められたりもしていたのであり
頭をでかいはさみで散切り頭にされたこともあり
けれども、彼女曰く、ボクをとても大事に思っており自慢であり
「良かれと思って」放り出して来たのであり
「ボクの為を思って」よそんちに預け倒して働いたのであります。
今だって、とてもとても力になってくれています。
たまには支払いを肩代わりしてくれる時もあります。
時々、外食にも連れだしてくれるし
一人で買い物もままならないので
買い物も付き合ってくれたりします。とてもいい母親です。
しかしながら
ボクが抑うつ症状と心身症の酷さで
家のことをまるでやれない状態であると訴えても
ボクの家の家事をちらとでも肩代わりしてやろうなどということはなく
家が酷く荒れて、汚れて、不潔になって
そのことから新たに不潔恐怖症まで発症してもなお
家を綺麗に片付けてくれるということはなかった母。
例えば先日の大阪に診察に行った際にも
5日間留守にしている間
ネコたちの餌と水と、トイレの世話を頼むと言っていったのだけど
餌と水は、娘と母と二人でやってくれてたらしいが
トイレは荒れ放題。あちらこちらに糞が散乱していると
迎えに来てくれた車の中で告げられたわけです。
散乱しているということはわかっていて
あえて、手を付けずに、報告だけをしてくるわけです。
けれども、迎えに来てくれたりはしていて
「さいんちゃんのために力を貸している」というわけです。
事実、70も過ぎてフルタイムで働きながら
ボクのところにも時折顔を出すということ自体大変なこと。
相当頑張ってくれていると思います。
一緒に暮らせばいいじゃないかと言っても
四の五のブツブツ言って動こうとはしない。
ボクのところに来たら、いろんなことをいうけれど
ボクの状態からして
自分がやらなきゃならないことが多そうだからでしょう。
ボクが元気に家のこともやり、そこそこ稼ぎもあった頃は
何かというと一緒に暮らしたいと言い続けていたのですが。
大事な娘と暮らしたい、と、言っていたわけですが。
これは、娘も同じくです。
確かに彼女もボクのためにやってくれていることは山のようにあり
ボクを好いてくれていることもよーくわかる。
けれども、これはとてもとても残念なことだけれど
ボクが元気に働いて
懸命に娘に向き合って生きて暮らして
いろんな所にどこでも連れて行って
できうる限り、よそのお宅と同じように必要品は購入し
不自由のないように頑張ってきたことなどは
嘘みたいに覚えておらず
いよいよ発症してしまう前の
徐々にあれこれでができなくなって来てた以降のことしか
頭にないので、親らしいことをしてもらえていない自分ということで
大いに嘆いて、責め立てて、反抗し倒すのです。
そらそうです。
良くしてもらった記憶が無いならば
良くしてもらってないも同じでありましょう。
それでも、かーちゃんのことは大事であるし、心配している!という。
その言葉に嘘もないのだろうと思います。
何しろおいおい泣いてまでして、そのように訴えますからね。
つまり、母も娘も、非常に善良な母と娘であります。
つい先日は
ボクには今、大事な想い人がおり
ゆくゆくは、その人との人生を歩む計画を考えていると
だから早く元気になりたいのだというようなことを伝えましたところ
真っ向から反抗してきたりはしなかったけども
突如、その話をしたあとの買い物のショップなどで
いっちいち「アナタは女なんだから」ということを誇示してくるわけです。
早く彼氏を見つけないと・・・くらいまで言い出す始末。
まあこれはいいです。そう言う気持ちもわかりますから。
しかし、ずっと前に
ボクは普通に女性である生き方でいた頃
彼氏がいると言っても「絶対にそんな人とは会わないからね!」等と言い
真っ向から反対の姿勢をとった上に
「さいんちゃんは、性格が厳しいから、男の人との暮らしは無理だ」とか
「そもそも男なんてどいつもこいつも信用ならないんだから」とか
まあ、いろんな御託を並べまくっていたのでありますが
では、というわけではないけれど
彼氏を作ることもやめて、しばらく一人でいましたら
「さいんちゃんが結婚してくれないと心配で心配でしかたがない」
「心配で心配で、安心して死ぬこともできない」
などと言ったりしていたのであり
男を愛せないっぽいという話をしたところ
「そうだよ。別に結婚にこだわらなくても、とにかく誰かと一緒に」
「友人同士で同居の形をとるというのもありだよ」
みたいなことも言うていたのであって
しかし。
今回、想い人との将来の話に対する難色。
どっちやねん!
おんどりゃーーーー!

となるわけです。
もっとすごいのには
ボクが元気になってきたというと
それは良かったーといいつつも
ちょっとずつ働き出してみようかというと
全力で反対する。止める。まだ働くなという。
何なら若干、具合が悪いというと嬉しそうに見えることすらある。
それらのいずれも、母曰く
「良かれと思って」「ボクの為を思って」ってわけですが
果たして、本当に、ボクのためになる意見であるのかどうか。
これらのことからわかるのは
我親から生まれたボクは
親のコピーではありませんでした。
まるで似ていない。考えることが似ていない。
似ているところもあるにはあるが、意味がわからない。
それくらい、まるっきり似ていない。
そんなボクから生まれた娘は
ボクのコピーではありませんでした。
まるで似ていない。考えることが似ていない。
懸命に向き合って育てたので
似ているところも多々あるが、多くは意味がわからない。
髄の髄がまるっきり似ていない。
ボクの為を思って
ボクが病気に伏したり、家をしばらく留守にしたりする時
確かに、思う存分ゆっくりしてくれと云うてくれる。
そして実際に、寝かせといてくれる。
ゆっくり出先を楽しませてもくれる。
けれども、その間のボクの日々の諸事を
まずほとんど肩代わりはしてくれない。
ようやくちょっと具合が良くなって起き出せば
ようやく出先から疲れを抱えて戻ってきてみれば
てんこ盛りに残され溜まったままのアレコレがお出迎え。
こんなことはよくあることと聞きます。
このような質の人間は、多々いるということなのでしょう。
また、これは家族の話ではないけれど
ボクが、自身のジェンダー問題に関して
ボクの肉体の現実のことはちゃんと受け入れており
男になりたいなどと思っている事自体も
気のせいであるとか、思い込みに過ぎないのではないかと
自分自身でもものすごく疑っているくらいなのだと話すと
あーよかった!ほっとした!わかってるなら大丈夫だね!
すっかりどうかしてしまったと心配してた!
そんな風に云うてくれる友人知人が何人もいる。
とてもとてもとてもとても、ありがたいことです。
そんなにまでボクのことを心配し、思ってくれている。
けれども、わかってるなら大丈夫だね!の
「大丈夫だね」の矛先は、どっちだ?
すっかりどうかしてしまったというのは
何をどう読み、何をどう見て、そのように思っていたのだ?
まだまだ元気であった頃から
真っ向から、自分のジェンダー問題や
母や娘との確執問題などとも向き合って
自分をこれ以上ないくらいまで疑い
疑い、疑い、疑い続けて
責めて、責めて、責め続けて
それでいよいよ
それまでもっと酷いことだって乗り越えてきたってのに
小さなある事件を発端に発症して
何もかもままならない心身症状を抱えるまでになったのだけど
わかってるなら大丈夫ってのは、どこがどう大丈夫なのか。
ボクは、とっくのとんまに
発症する前から、病んでしまう前から
この問題にはずっとずっと取り組み続けてきて
把握しきっていたのだけれど。わかりきっていたすべてなのだけど。
それを、何度も何度も言い続けているのだけど。
それもコレもすべて
善良な皆さんの愛と親切と優しさからきています。
これは嫌味で言っているのではありません。
すごくどうしても嫌味な感じに見えてしまうだろうけれども
他にうまく書きようがないのです。
そんな中で、もう少し元気になったら
外ではちゃんと女として生きてやっから
きっちり、前のように女として生きれるように訓練してくっから
ほんの少し、家でだけでも
ネット上でだけでも
嘘でも、上っ面だけでも
家族であるなら、友人であるなら
ボクが男でありたい人なのだということを忘れずにいて欲しい。
ボクは頑張って、改めてセラピーを受けて、訓練をして
女の肉体を生きようとしてるだけにすぎないと。
そのことを、忘れないでいて欲しい。
そんな、ボクのささやかな願いは
聞いてもらえることはない。
ボクの人生は、ボクが生きる道であって
他の誰かの道ではなくて
他の誰かが肩代わりしてくれるわけではないというのに。
ほんの猫のトイレの世話すらも肩代わりしてくれないのに
ボクの人生は、なにかと・・・みんなのために存在しているのらしい。
みんなの思うように
思いに沿うように生きなければ、安心してもらえない。
心配させ続けてしまうのらしい。
ボクは、みんなを安心させるために生きている。
心配させないように生きる義務がある。
家族を支え、食わせていく義務がある。
家族の諸事を、面倒事をさばき続ける義務がある。
それができない間は
「どうかしてしまっている」ということ。
そんな自分は、心配されて、不安にさせてしまう。
そんなことではいけません。
ボクは頑張らなくてはなりません。
優しく思いやりにあふれた
ボクを愛してくれる家族や友人知人の思いに応えなければなりません。
善意や優しさや思いやりが
時に酷く、重く辛くてたまらないのは、ボクが悪いのでしょう。
ああ、どうしても厭らしい感じになってしまいます。
それはひとえに
ボクはボクの人生を、ボクの思いにできるだけ沿う形で
生きたいという強い願いと理念を持っているからです。
皆のために生きるのが、皆を喜ばせることと知りながら
そのことそのものに、苦悩して戸惑っているからです。
親に対するボクとして。
子に対するボクとして。
いつも支えてくれる友人知人に対するボクとして。
その恩義や義務は、必ず果たさなければならないのらしいけれど
必ず果たしたいと自分でも思うのだけれど
その先に、ボクの幸せはあるのかどうか。
ボクはボクの理念や願いは、黙っておかねばならないのか。
ボクはやはり、どうにもこうにも、受け入れがたいのです。

コメント

  1. 想像もつかないほど
    苦しい状況下でありながら
    もがきながらも
    自分を見失わなず保ってきた
    mayteさん。
    今回のブログ、そんな仕打ちがあったにも
    関わらず出てきた人たちに拒絶すること無く
    それでも思いやりの心を今も向けている所に
    じーん。
    ここに出てきた人たちは、きっとmayteさん
    には一人一人大切な人で今後もずっと関わる
    人たちで、だからこそ今のmayteさんを
    受け止め本当に理解してあげて欲しいなと
    思いました。
    そんなmayteさんに私が伝えたい言葉は
    この歌の歌詞に散りばめられています。
    ↓(めっちゃ他力ですが全部入っているから
    よかったから聞いてみてくださいw
    フルバージョンじゃないのが残念ですが)
    ★Life Goes On~like nonstop music~
    槇原敬之
    http://youtu.be/2dNAudBCSUA

  2. 聞きました!
    めちゃめちゃいいうた!
    教えてくれてどうもありがとう。
    勇気づけられます。

  3. これ読んで
    あー… 私 完全にアウトだ!
    と 思った。
    そうそう 悪人!よく眠る奴ほど悪人って話も聞いたことあるし ガッツリ当て嵌まる!
    私 ダメだ!人間 一からやり直ーし
    ありがとう!
    そして ごめんなさい!

  4. わー!さいてんコメントありがとう。
    今頃見ました。気づきました。遅くなった!申し訳ない!
    えっと、こちらこそありがとうございます!
    そして、ごめんなさい!
    なにがなんつったって
    どこがどうなったって
    さいてんは、命あるかぎり永劫にボクの先輩で恩師で
    魂のおねえちゃんであります。

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