今日は、めいっぱい胡散臭い話。そしてそれは相当長い。

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こんばんわ、ボクです。
めちゃめちゃ胡散臭い話をします。
胡散臭い話の代表格、それは『スピリチュアルネタ』でありましょうが
まさにそれをやらかしたいと思います。
というのも、いろいろ経験し体験し
いろいろ思考し考察しまくった結果
他に言い様がないからであって
特に、それを信じきってるというのではなく
とにかくその方向で話をしてみよう。というだけであるということを
最初に念頭に置いてもらった感じで話を進めたいと思う。
まーあらゆることは
あらゆる見解、あらゆる解釈をつけることができるもので
例えば科学的見地から見ると
割と受け入れやすいような感じがしたり
なんとなく説得力も強く感じられるものであり
また、ぶれにくいもののようにも感じるので
ボクはできるだけ努めて
科学的根拠を多く求めるようにしている方だと思う。
しかしながら
結局のところ
どのような理論や学説や思想を用いようとも、突き詰めていくと
言うてることは同じじゃね?となることも多く
それ故、非常に胡散臭くはあるが
わかり良さはナンバーワンである気がするところの
スピリチュアルな方向で語ってみたいと思ったわけです。
 


例えば自分は、何度も云うているけども
ちょうど二年前、とある事件を機に、PTSDを発症して
七転八倒のアレやこれの中、
自分史上でも最低の暮らしを続けているわけですが
これは医学的に見ると(特に精神医学で見ると)
PTSDを基本スタイルとして
各症状、神経質症だの、心身症だの、パニック症だの出てるわけで
しかしこれね。病理として数値には出ないわけです。
渦中にある自分としては
幾度と無く『悪魔に呪われている感』がすごかったという方が近い。
日本風にいうと『生霊に祟られてる感』がすごい的な。
何しろ自分の意志のようで意志ではない
どうにもできない心身症状に取り込まれていく様。
どうにもこうにもネガティヴな思考しかできない。
もともと暗いタイプではあったけれど
どーーーーーーーーーーーもおかしすぎるわけです。
ネガティヴな思考をしていると
自ずと弱ってきます。身も心も弱ります。
その弱まりが極まって来た結果の全てであるようにしか思えない。
終いには動きも暮らしの諸事もままならなくなる。
これを一般に抑うつ症状というわけだけども
スピリチュアル方向でいうと『霊障を受けている』となるし
日本風にいうと『祟られている』となるわけで
また、ただの性格をこじらせただけにすぎないとも言えるし
話がわやになっていくばかり。
そこを無理くり、わやにしないようにしてくってーと
とにかくいろいろあろうが、ひとまず
 

『霊障を受けている』
『祟られてる』
『何かにハマっている』
『こじらせてる』

というような、これらを
抑うつ症状と同義・同症状・同状態と仮定して
総合的に一気にスピリチュアルでまとめていうとすれば
サイキックアタック、と言うものにやられている。というのだそうです。
これは何度か自分も口にしたことがあり
Twitterなどでもちらっと言ったことがあり
友人との会話などではちょいちょいいうことで
これ、あながち眉唾ばっかでもない気がしている。
サイキックアタックっていうのは
その語音のニュアンスからなんとなくわかるように
いわゆる、邪念、怨念、憎悪の念、良くない感情の塊、と
そんなようなものの「礫(つぶて)」みたいな感じなのかなと思う。
これは悪い人が、投げてよこすものというのではなくて
誰でも無意識に放ったりするものです。
あまりに悪いことが続く時。
あまりに難儀な問題が押し寄せてきている時。
あまりに痛い思いをした時。
あまりに辛い時。
あまりに不服で理不尽な思いを感じた時。
こういうようなことは
地球、宇宙の法則からして当たり前に生じるものでもあり
というのも、等価交換の法則・質量保存の法則というような
科学的根拠すらあるもので
サークル・オブ・ライフ(食物連鎖)にも見られるものです。
例えばこの地球の質量はとても莫大ではあるけれど
決まっているといいます。
そしてそれは、少なくなったり多くなったりしないことを基本としていて
雨が降ったら川に流れていき、海に流れて行くなどしつつ
その間にも太陽に照らされ続けていたり
空気乾燥などの作用も受けながら
じわじわと『水』としての質量は減って
『水蒸気』として空に登って行くなどして
『雲』というのになり、またそれが雨を・・・というような循環がある。
その循環をボクらの小さな視野で見ると
『水が減った』『水がなくなった』『水が移動した』となるけど
なにはともあれ、地球上の中で様態を変えただけで
ずっとそのまま居続けているH2Oとかいう物質だったりするわけです。
それはなにも水だけでなく
全てに置いて、平等な作用として起こり続けている。
毎分毎秒です。途切れなく、何かの作用が起き続けていて
その作用で全てが循環している。こう言う理論がある。
そんな中で、意識、念、エネルギーと言われるようなものも
ちゃんと質量があるということが解明されていたりもします。
質量がある以上
この、今言った、質量保存の法則や等価交換の法則の影響を受けてる。
質量を保つためのホメオスタシスという元に戻さんとする力に
常に影響を受けてる、といえて
影響を受けつつ、様態を変えつつ、しかしずっとここにある。
そういうような自然的に起こる作用に
いちいち理由を付けたがる生命体。それがボクらで、
ボクらの社会生活概念上の都合の良し悪しなどを基軸にして
善悪区分を付けて判断を勝手にしていくわけです。
その我々の観念からくる判断でいうと
いい事ばかりありすぎると、それが極まって来た時に
ざーーっと悪い方に振り戻しが来る。この図式は感覚的にわかると思う。
当然逆も然り。悪いことばかりありすぎて、極まった時に
恐らく同じように、ざーっといい方に振り戻しが来る。はず。来てるはず。
そこを踏まえつつ
これは地球規模で見るとまた違う視点になるんだけど
それでも要は同じことで
とある国はめちゃめちゃ発展して『近代化』が進んでるが
とある国はまったく発展せず『原始的』なままであるというような場合。
これだって、地球の総質量は一定のままいようとしてて
等価交換の法則によって、フラットに保たれている中での
この状態であるはずなんだけども
この『原始的』なのは、基本的に悪いことではないけれど
原始的、それは野蛮、というような我々の概念から
バックリと、一方だけが
なんだかよろしくない感じに受け止めたりするわけです。
また、とある人達は非常に物質的にも恵まれて『富んでいる』が
とある人達はまったく恵まれず『貧困』の状況下にあるというような
資本主義の元に生まれる経済的流れなどもあり
これだって本当は同じことなんだけど
近代化社会に生きる我々の社会経済規範がそもそも
物質的に最低限ラインだの、何だのというのを作り上げてもいて
それらの過不足に寄って優劣が決まる。決めちゃう。
そういうようなところに持ってきて
ボクらは何しろわがままでありますし
非常に偏った概念・観念を元に思考して暮らしているので
いいことが悪い方に振り戻される方が酷に感じる。
とてもとても辛く大きく感じる。強い不服や理不尽さが生まれる。
そこに、ぽっと沸くエネルギー。
それが負のエネルギーであって不思議はなく
それが「うわっ!」と瞬間的に強くなった時に
パッと礫になって、誰か、何かのところに飛んでいく・・・という
そこまでじんわり脳内シミュレーションしてみると
何となく、そういうのってありそうだよね・・・って気がすると思う。
例えば、幼少時から、その、先に言ったような
どうにもこうにも淀んだ貧困の中にいる人というのを
腐水であると例えてみると
腐水は綺麗になるために、不純物を除去しなきゃとか
水分だけ綺麗に水蒸気となって昇華していくとか
そんなようなことをしないと、純な状態になれないわけだけども
四方八方が塞がれて太陽の光の届かない場所にある腐水だったら。
不純物が取り除かれるような流れもなく
昇華するための光も熱もない。
真っ暗な壺の中に貯まった腐水。
腐水の中に生きるエネルギー。
これはもう望む望まないにかかわらず、毒なわけです。
毒が毒しか知らなければ
自分を辛く思うこともないかもしれないけれど
物凄いきれいな水の中に生きる人を見たりする。
キラキラ輝いて透明で、さらさら気持ちよく流れていく水を見て
不服を感じる。不平を抱く。不満を抱く。
そんな風に、負のエネルギーは生じるのだろうな、と
そんなふうにボクは思っていて
そこから、ボク自身が
腐水の生まれであったと思ってる、ということとしてみる。
腐水生まれのボクは
腐水の中にある時はなんとなくやってこれてても
テレビや映画や本の中に、キラキラの水の存在を知りました。
自分もキラキラの水になりたいと思いました。
それが嘘だろうがファンタジーであろうが
そこは全く関係なく、知ってしまった、のです。
加えて、元は同じ水なので
やろうと思えばできないはずないというような
感覚的な確信すらあったかもしれません。
しかし腐水の世界は酷です。
キラキラの水をキラキラさせるために流されてくる
泥やらなんやらを請け負っての腐水だったりもするわけで
それは、自然の法則、循環の中の当然の流れですから
腐水根絶という自体がまずありえない中で
自分だけが腐水からの脱却をせんとするわけですね。
すると、腐水は腐水に呼ばれもする。
引きずられもする。引き止められもする、と。
その呼ぶ作用、引き止め作用、引きずり作用が
詰まるところの『サイキックアタック』なのだと思うのです。
かくしてボクは、サイキックアタックを受けまくったし
ある場面では、自ら集めたりなどすらしてたかもしれない。
そうして、自分も弱ってた間中、恐らく礫を投げまくってたと思う。
しかしながら、これですら
じわじわとではあるかもしれないけれど
ちゃんとホメオスタシスは働いてくれるはず。
あまりにも毒が極まっていくと
薄まりたがる、はず。
腐水にも腐水なりの純度の差はあるかもしれないわけです。
そして、先ほどふと思いついた盲点。
負の作用、負のエネルギーがあるってことは?
正の作用、正のエネルギーも同じ量がここにあるはず。
最近とみに顕著に元気が戻ってきて
気分がみだりに明るく
鼻歌などを歌ったり
一人なのに猫らに向かってギャグを飛ばしたり
頭おかしいんじゃね?ってくらい浮かれている時もあるんだけども
相変わらず生活は最低レベルのままであるのに
何故にこんなに明るく快活であるのかといえば
サイキックアタックの逆バージョンをいっぱい受けてる気がするわけです。
キラキラアタックを受けている。
そんな感じがするのであって
これたぶん間違ってない気がする。
そのキラキラアタックが大きかったり強かったりすれば
変わらずサイキックアタックが来続けていたとしても
じわじわとキラキラが優勢になっていくわけです。
サイキックアタックの出処が不明確であるのと同じに
キラキラアタックも出処はわかりゃしないんですが
何しろ、キラキラが優勢になっているっぽいぞ、と。
キラキラが優勢になるというこれは
あたかも好いことでしかない気がするけれど
それも我々の概念的ラインで見ていくと
腐水にも腐水なりの存在事由があり
腐水なりの居心地の良さや存在するための環境の整いがある。
友人もいた。食っていた。生きていた。楽しいこともあった。
しかし、キラキラのそれとは違うから
恐らくキラキラが強まっていくごとに
腐水属性のものは流れて淘汰されていくでしょう。
腐水というと悪いものと思うけれど
この世に存在している以上、先にも書いたとおりで
この地球上の物質であるというだけなわけですし
良識も良心も必ずあったから
流れて遠くなって、別れ、なんてことになると辛い。キツイ。
振り戻しの作用などで具合が悪く感じることもある。
とまあ・・・そんなこんなで
キラキラ水属性に入れるまでには苦悩も苦労も苦痛も伴う。
さて。ここで。
腐水とキラキラ水という言い方したけど
これは、実は単純に『ゾーン』の話をしていました。
『ゾーン』というと
どちらも良いも悪いもないというフラット感が伝わるはず。
あっちのゾーンもこっちのゾーンも、アリ。
しかしそうやっていうとわかりづらい面もあろうということで
あえて、腐水とキラキラ水みたいな比喩にしたわけです。
でもホントは、ただのゾーンの違い。
互いのゾーンは、どちらもフラットに平等のはずだけど
様々な概念や社会基準のせいで善悪を付けられてしまう。
正のエネルギー。負のエネルギー。という言い方をしたけど
実を言うたらこれですら、どっちもフラットなはず。
しかし何が違うかといえば
ボクらは、生命体である以上
必ず何らかの属性と資質特徴を持っていて
場違いの場所にいると、具合が悪い。作用がうまく働かない。という
ただ、それだけのことのように思うのです。
本来のボクがいるべきゾーンではないところに生まれたボクが
その具合の悪いゾーンの作用を受け続けるというのは
まあ、良くない。普通に、良くない。
極まりすぎてる場所自体も、具合がよろしくない。
流れが止まる、動かない、淀む、というのは、これは良くない。
それは循環の法則から脱してしまっているから。
これは、例えばボクみたいな人が
いきなり皇室のような誉れ高き世界に迎え入れられた場合を
ふんわりと考えてみるとわかると思う。
誉れ高き世界は、圧倒的正と思えるわけだけど
たぶん間違いなくボクは馴染めなくて
辛くて辛くてきっと具合が悪くなる。
そこは明らかにキラキラ世界だけど
ボクはきっとそこですくんで止まってしまう。違うから、です。
短期間であればトキメキを謳歌したりもできそうだけど
まー、まず無理だよね。
とまあ、そんな風に
サイキックアタック、というのはすなわちこれ
自分と違うゾーンから発せられるエネルギーのことじゃね?と思うのです。
良いも悪いも決められないもの。
ただ、自分に合わないもの。馴染み難いエネルギー。
そして、どのようなエネルギーも流れて動いていかなくてはならない。
止まるってことだけはよろしくない。と。
止まると、それは、極まるしかなくなっていく。
病んでいる、その状態こそが
止まり、たまり、よどみ、極まっていっている状態であったのだろうと。
しかしながらボクはようやく動きました。
具体的に本質的に動き始めたのだと思う。ほんのりと。
故に・・・本来のゾーンに向かって・・・いるはず。
少なくとも、極まりは取り除かれ薄まっていく、はず。
そしてそれは、思いや観念に囚われて
止まり、たまり、よどみ、極まってる間は、ダメ無理なのだろうと思う。
他のゾーンが見えて、そっちに行きたいと
魂レベルで無意識ながらも強く望まなければ、ダメ無理なのだろうと思う。
そのためにもまず
自分のゾーンエネルギーを探さなくちゃならない。
自分向きのゾーンはかならずある。
そのゾーンのエネルギーと関わっていくこと。
そのゾーンのエネルギーを持つ生命体と
正当且つ、無理のないエネルギー交換を始めること。
これが大事よね。と、それが言いたかったのですが
まあ長くなりすぎました。
最後まで読んでくださった方がいたならば
このボクが今長々綴ったことから
ほんの少しでも
感覚的に『わかり』『何かを掴む』ことができたかもしれない。
できたなら・・・幸いです。
自分にフィットするであろう自分ゾーンのエネルギーを
ぜひぜひ、探してみようじゃないの。
なんかこれかも?と思ったら、ちょいと動いてみようじゃないの。
具合が悪くなってる時
きっとそれは、そのゾーンじゃないよっていうサイン。
でもそれですら
違うゾーンを味わって初めて
自分ゾーンの存在をわかるようになるとかかもしれず。
何しろ、自分ゾーン、掴もうじゃんよ。
自分ゾーンに向かって、流れを起こしてみようじゃんよ。
頑張ろうね。て言うか、ボクは頑張ります。
 

コメント

  1. あっという間に読んでしまいました。
    長い?いやいや、文面こそ長いけれど読む方は
    全く長さを感じず、とても読みやすくてわかり
    やすかったです!。
    初めて目にする単語がいくつもでてきて大変
    勉強にもなりました。
    読んでいて感じたことは、
    mayteさんは
    「属する人」ではないということ。
    どこかにうまくはまり込み、そこのゾーンが
    居心地がよければ生きることは楽であると思う
    けれど、きっとmayteさんは今あるどこかの
    ゾーンに着地はしないんだと思う。できない
    のではなく、「しない」んだと思う。
    これまで様々な体験をし、多くの人を見てきて、
    これだけの事が書けるのだもの。
    自分はこうありたい というビジョンがしっかり
    有ると感じたから。
    mayteさんのキラキラゾーン、ユートピアは
    自分で作り上げる新たな自分ゾーンだと私は
    思う。自分で創り築き上げたゾーンに合致し
    同じ志をもつ人が集まれば最高ですね。
    間違いなく体調は回復し始めてきて再び
    エネルギーが湧き始めている気がします。
    無理は禁物。どうか無理だけはせずに、
    ゆっくり前進し諦めずにいつの日か
    mayteゾーンを確立して下さい。
    心から応援しています(^-^)b‼︎。

  2. どうもありがとう!
    そうだな~。
    自分のゾーン、自分が統治する場所。フィールド。
    確かにそういうものを望んでいると思うし
    既存のものには合わないこともわかっていて
    それには多くの学びと経験が必要で
    いつになったらそれが整うのかはわからないのだけれど
    どんなに小さくささやかであろうとも
    自分にフィットする場所、人、エネルギーの中で
    思う存分生きられる日が来ると良いなと思います。
    これは、他に合わせることの努力を放棄して
    ワガママで言っているというのとはわけが違うという
    自負も多少なりともあって
    ボクの思うところのゾーン規範や理念が
    しっくり来る人というのもきっといて
    それは、そのゾーンが用意されるのを
    心待ちにしている人かもしれなくて・・・なんて
    そういう気持ちもあるので
    とにかく頑張りたいなと思う。
    頑張るっつっても
    宇宙や自然の法則のとおりにしかならないので
    その様子を見ながら、無理なく、そうなれるように
    一点を思い懐き、進んでいこうと思います。

  3. http://youtu.be/algaC2jhu8s
    この曲を昨日 久しぶりに聴いて
    歌詞が 身体の中いっぱい染み込んできた。
    今まで 何度となく聴いた曲なのに
    それは 昨日だった。
    ここに 相応しいコメントかどうかわからないけど 聴かせたくてね。

  4. この歌の キラキラって
    たぶん 自分の居場所のキラキラのことだよーねーw

  5. >さいてん
    好い歌をありがとうございます!
    キラキラ、ゲットで行きたいっす。

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