レズビアン用語を調べたりした件からの覚書

LGBTQ
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さて。ボクです。
自分は魂の有り様が男である、心が男である、思考が男である
もしかすると脳の仕組みが男である、などと思っている人間ですが

今現在、自分が受けることができる(できた)
医学などで解明せんとする方向や
理論的に分析せんとする方向などで
なかなか確定させることができないがゆえに
自分でもフワフワしたままでありまして

自分自身の肉体の性別と
自分自身の性自認に違和感がないノーマルな人にはわからないと思うけども
自分の性別が浮ついているという状態は
想像以上に酷なのであって

何故に酷かというと
性別というのは社会生活、思考、生活態度などの
日々の全てに関わってくることであるからなんだけれども
今日は、まず、そこら辺のことについて考察から始めてみようと思う。

先にも書いたように
自分は男だと思っているし
これまでのあらゆることから自分的には
事実であると確信しているし、ある種の自信もあるのだけれども

一方で、医学的やら理論的に立証することが適わないため
自分の中で沸き起こる疑問点としては
自分はただのレズビアンってのなんじゃね?
ということなんだけれども
ほんとのこというと
そうではない!という確信と
確信に至った経験と実績があるのだけども
それでも一応、真向から疑ってみようとした時に
これまでも何度かやってきたことだけれども
ここで改めて再度「レズビアン用語」というのを調べてみた。

自分がレズビアンであるからには
どんなレズビアンなのかを明らかにしたいと考えたからである。
そこで。Wikiでみると
まー色んな種類のレズビアンがいるのだけれど
ここでまあ、自分に関係あるかもしんないのだけ抜粋してみながら
自分はどうだ?というのを記してみたいと思う。

タチ
性行為で能動的な側。歌舞伎の「立役(男役)」から。なお、外見や振る舞いが男性的とは限らず、フェムのタチも多い。(類義語:攻め/対義語:ネコ)
これは近いと思うが、必ずしも性行為で能動的かどうかはよくわからない。
そもそもノーマルカップルであっても
必ずしも男性が能動的ではない場合もあるし
なんだかちょっとこの理由っぷりはよくわからない。
故にいまいちピンとこない。
ダナー、ダナー系
肉体は女性であるが、男性的な気質が強く男性的な振る舞いを好む人。自らを男性として認識していることもある。「旦那」が語源。自然発生では無く、あるダナー系サイトが言葉を作り普及に努め現在浸透している。
これはものすごく近いような気がする。
というか、これでいい気がする。 でも、これあんま聞かなくない?聞く?
中性
見た目や服装が男性っぽくもなく、女性っぽくもない女性のこと。レズビアン用語における「中性」とは見た目を基準としており、半陰陽とは異なる。
これはよくわからない。
なにをもってして「男っぽい」とか「女っぽい」とするかによる気がする。
でも何となく自分はこれである気もするが
見た目はまるっきり女だと思うので、なんかちょっと違う気がする。
トラ(トランス)
トランスジェンダー、トランスセクシュアル、トランスヴェスタイトの総称としての略で、“虎”とも表記。また最近は、外見は女性としてのお洒落を満喫し、違和感も無く内面的には男性の自覚がある「フェムトラ」というセクシュアリティをも出現した。
この、「フェムトラ」というのかしらん?とちょっと思う。
あまりにオンナオンナした装いは
最近居心地が悪いと感じるけれども
女体としての”身だしなみ”と言うのは大事にするし
メイクもスキンケアもボディケアもちゃんとしたい人なので
やはりこれはちょっと合っている気もする。けどなんかピンとこない。
TG(FtM)
トランスジェンダー (Trans Gender)。出生上の性とはズレた、あるいは反転した性自認である。
出生上女性だが性自認が男性の場合は、しばしば男装し社会的にも男性と扱われることを求めるが、トランスセクシュアルと異なり性器に耐え難い違和感はない。
戸籍上女性の場合、本来同性愛とは無関係であるが、セクシュアルマイノリティという括りで、レズビアンサイトの利用を許されている場合が多い。
これです。これ。これが一番しっくりきます。
自分の性器に耐え難い違和感はないし
過去には男性との性交渉もできていたし、今後もできる可能性もある。
何より出産も良好に2回経験している。
けれども自分の強い希望として、社会的に男性の立場を取りたい。
男装というていいのかわからないが
まあ、男性と変わらぬファッションである。
ちなみにレズビアンサイト及び
レズビアン界隈の皆さんとはあまりうまく行かない。
なんとなれば、レズビアンの皆さんは”圧倒的に”女性が好きな人が多く
なんつったって見た目以外の女要素が少なすぎる自分は好まれない。
TS(FtM)
トランスセクシュアル (Trans Sexual)。性同一性障害と言われるものと事実上同一の状態であることが多い。身体的、社会的にも出生上の性とは反対の自認があり、身体的な耐え難い違和感を抱きSRS手術を希望する。
戸籍上女性の場合、本来同性愛とは無関係であるが、セクシュアルマイノリティという括りで、レズビアンサイトの利用を許されている場合が多い。
これではない。
身体的な耐え難い違和感はないし
手術やホルモン注射などで、肉体的に男になりたいとは考えていない。
というか、生まれ持った肉体が華奢であるから そのようなことをしても
見た目に違和感しか残らないという確信があるからで
ガタイが良ければ考えたかもしれない。
とは言えど、持って生まれた肉体は慣れ親しんだものであり
親からもらった大事なものという概念もあり
また、健康上の不安などもあるので
恐らくやはり、ガタイが良くても希望しないと思う。
とまあそんな程度であるので、まず間違いなくこれではない。

と。そう言う具合で
自分はおおよそ「フェムトラ」という感じなのかもしれないが

ただ、フェムかどうかはちょっとやはり謎で
プリンスが好きで、また元々幼少時から
妖艶なオトコや美しいオトコや色気なオトコが好きであるがゆえの
美意識の高さであるだけであり
女らしさと直結してない当たりからして「フェム」ではない気もするから
やはり単純に「トランスジェンダー」で正解だと思う。

事実、今カウンセリングを受けている病院では
自分の男性性を望むスタンスを”まったく”否定されることなく
そうなんだよね、という感じで対応されていて
つまり、女体のオトコという希望が
”まるっきり” ”これまで悩んでたのが嘘みたい”にフッツーに通っている。

なので、最近はめちゃめちゃ楽なのだけども
それは一般の人にあまり触れていないからに過ぎず
世の中にはいろんな人がいるのであり
その世の中の人の中でも
LGBTのことなんかチロとも知らぬ人の多いのが田舎の特徴で

せっかく社会復帰しても
そのような人たちに触れたことで
またしても具合を悪くしてしまった・・・というのでは
どうにもこうにも・・・ってなるんで

それで今、カウンセリングを通じて
耐性をつけるべく
あえてちょっと負荷をかけていく、というようなことや
ジェンダー関係ない部分においても
ちょっと無理をしたりもしてみる、というようなことをして
その取り組みの様子と心身症の具合との照らし合わせをやりながら
ジェンダー問題の部分も
PTSDの原因となった問題の部分も
両方からのアプローチで行動療法を本格的に行ってるところ。

とにかく自分はやはりレズビアンではなく
かと言ってどうしたって生物学的に男ではないので
女体のオトコにしかなれないという現実を”本当に”受け入れ
自分のあるがままの「かくあるべし」を練り直し中。

女体のオトコというのは
他にもいないわけではないんだろうけれど
可視化しにくいもので
表現もしづらいもので
男性がちょっとシナを作ってオネエ言葉を語りさえすれば
「ああそっちね」となるのとは訳が違って

ただのガサツな女、無礼な女、生意気な女、態度のでかい女と
とにかく良い具合にならないもんだから
品と優しさとしなやかさを保ちつつも
自分の納得の行く「かくあるべし」との折り合いをつけんとしてる。

そもそも、一般の男性にしろ女性にしろ
いちいち見る人見る人に「自分は男ですから!」とかを
基本的には、わざわざ知らしめたがらないものなのであり
それが普通というもんでしょう。

あるがままでよいはずのところを
いちいち声を大にして表明したがってる時点で
ちょいとおかしい、ということになるのだとも思うのです。

で、とりあえずうまくいく気しかしない。
これは、随分メンタルの方は良くなったことの現れでもあるけど
何より、なんとなく先が見えてきてるよね?という意味です。
LGBT関連情報が多く流れるTL状態になっている
自分のツイッターなどをみてるからかもしれないけれど
実際のところ、世の中は随分性差問題に明るくなってきていると思う。

以前、ボクが彼女がいると言って
彼女との関係性の話をしたら「気持ち悪い」などと言い捨てたあの人も
聞こえないふりでやり過ごしてくれたあの人も
影でこそこそ「キチガイ女」等と言い触れ回ってくれたあの人も
非常にバツが悪くなる日は遠くないと思う。

男が女を愛するように
女が男を愛するように
男が男を愛し、女が女を愛したり
男も女も関係なく愛し愛されることを希望するのが当たり前となる
そんな日は本当に近い、すぐそこまで来てると思う。

それでいて
従来の男らしさや女らしさという「ロマン」は
決してなくならないし、かえって際立っていくような気がする。
それらの概念があって初めて成り立つものというのがあるから。

それを基軸に、社会性や品格というものが成り立つし
そう言うことを含めた総合的な「ロマン」から
芸術性や表現意義が生まれると思うから。
そしてそれを基軸にしたところに
「こういう人がタイプ」「理想の人」というのが形成されもするから。

というようなことと同時に
圧倒的に性差によらない生き方をする人も
とても自然に認められて
それもひとつのスタンスとして普通に通るようになると思う。

みるみるいい塩梅に統合される概念がある。
統合される中でも、守られる概念がある。
ボクはそれを最近、とてもリアルに感じているのです。
と、言う長々の覚書でした。

知らず知らずのうちに
ボクらの概念も断捨離のターンに入って
ますますソフィスケイトされていきますよ。
楽しみですね。では、また。


そして今、これを上げて8年後の2023年現在。

職場では、同じ部署で働く同僚のKさんだけにカムアウトして
難なく受け入れてもらい、女体で女の暮らし、社会生活を送っているが
心の有り様的には男なんだということを踏まえて
ふっつーーーに仕事してます。

男であるということを無理に知らしめずとも
女だと思われていようとも
ふっつーに、髪もロングのストレートだし
スカートこそ履かないけれど
レディースの服か男女兼用の服を着て
特別なお出かけの時には化粧もするし
生まれたままの、あるがままの、ワタクシでおます。
というところで落ち着いております。

て言いますか、この8年の間にいろいろあって
自分としては、中性ってことでいいのかも?
ていうか、わざわざ性別の枠に当てはめなくてもよくない?
ということで「ノンバイナリー」というカテゴライズで落ち着きました。

ボクはボクですやん、というような感じです。

それと同時に、ボクはどっちかというと
男性嫌い、あるいは男性恐怖症、男性不信だなと感じることが増えました。
それで、自分の心の有り様であるところの「男」に固執しなくなったのかも。

つまり、男になりたい、と思わなくなりました。何ならなりたくない
女でありたいとも思わないけれど。
世の中には、いやらしく汚いクズ男が多すぎます。
そんな男にはなりたくありません。みたいな。変な感じですけども。
何だか男でいるってのは、厄介なことみたいな気がする。
うまくいえないけどもね。

この8年の間に、ボクは「心は男です」という太鼓判を医師にもらったけど
それってまじで?みたいな気すらしています。
ボクはあんなにいやらしく汚くありません。

でもまあ、女じゃないもんなあ、それだけははっきりしてる。
女のなりをしておいていうのも何だけども。

とまあそんなこんなで、まだふわふわ中だけど
この8年の間に「ノンバイナリー」という新しい言葉が生まれたので
それだ!それこそが今の自分にフィットしている!

と、思っている、それが今のボクでした。以上です。

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