A Parfect Day

Books
スポンサーリンク

NoLove,NoLife ノーラヴ・ノーライフ [DVD]

あえて原題のタイトルに。

いつなん時も・・・
多くがそうなのだけど

映画や音楽や本ってのは

『今手に取るべき』として手に取ってる気がするよね。
コレも何げなく目に留まって借りてきて。

見てどんだけ胸に響いたかというような話で。

たぶんその響き方が
また例によって普通と違うとこで響いてるに違いないけど。

昇進を約束されていたはずの一家のお父さんが
昇進の日に何と真逆のリストラに合う。

とっさに口をついて出た嘘から
(まるっきり嘘ってんでもなかったのもあって)
本を1冊書きあげて、一気にベストセラー作家になって・・・

とかいうような内容なのだけど

少し前に株式投資に興味が湧いて
まずは基本を学ばねばってんで
行き当たりばったりで見つけた個人投資家のブログを
なんだかとても丁寧そうであったのと

その彼が
とてもドラマティックな成り行きで個人投資家になった
(少なくとも、そういうことになっていた)というのも気に行って
メモを取るまでして1から最新記事まで
がっつり読み倒してみた時にも感じたことだったり

英語のフィーリングを感じる余裕もね~ってって
邦楽の古いアルバムをあれこれ引っ張り出して聞いてる時に
尾崎豊とかね。浜田省吾とかね。佐野元春あたりのさ。
そこら辺を聞いているときにも思ったことなんだけど

尾崎豊のシェリーっていう歌の中の一節にもある

お前が言う通り、夢か金かわからない暮らしさ・・・。

これ、本当に思う。というか感じる。

たぶん41とかになって
こんなんでいいわけないだろう。とか
自分で無意識的に相当焦っているのだろうとも思う。

焦りながらも
45で生涯独身のまま死んでいった叔父のことや
84で清く正しく美しく死んでいった祖母のことや
21で清らかな身体のまま死んでいった従妹のことなんか考えてる。

死んだら皆、いっしょやったやん・・・。

彼らの死の回りには
それぞれのエピソード、背景があったけれど
どれもこれも夢か金かわからない暮らし。というのがあったように思う。

富や名声は、幸せの代名詞に近くて
故に、金と夢は同義語に近いかもしれず
愛は金じゃ買えないとは言うけれど
金がないと愛を育んだり良好に継続させていくのは困難で

かといって

金があれば、必ずしも愛が手に入るわけでもなく
金があれば、必ずしも愛が永遠に続くわけでもなく
金がはれば、必ずしも幸せではなかったりもして

でもないと、だいぶ・・・幸せになりづらい。

自分が、とても金に執着するのは
子供の頃から貧しかったからだと思い込んできたけれど
ちょっと違うかな。

小さい頃から無意識的に
『生活を担う』ということを念頭にして
言動の全てを行ってきたからであるように思う。

うまく言えないけど・・・。

何もなくても生きていける。というのは本当で
(厳密には違うけど)

歌舞伎町のこころちゃん

この映画のDVDを手に取った同日
このような悲しい写真集も見つけたりなどしていて

『しっかり生きる』『生活を営む』ということに関して
自分は何か今、大切なものを掴まんとしていることだけは
間違いないのかな。と、そんな気がしている。

糸井重里さんのツイートだったかなあ・・・。
村上龍BOTだったかもしれないし
老子の言葉だったかもしれないけれど

動物は、生きてるだけで満足している。
人間は、つまらない思考を持ったために
生きるだけでは満足できない悲しい生き物になってしまった。

みたいなニュアンスの言葉を見たりもしていて

少しづつ・・本当に少しづつ
生活の立て直しの毎日を送りながら
そして焦りも精いっぱい自覚しながら
また先の見えないまっ暗闇の人生たるやに不安も覚えながら

けれども
どこか『最後の砦』的な安心牌的ニュアンスで
自分より先に死んでいった身内のことを考えたりしている。

否定でも肯定でもなく
『死んだらみんな同じやったやん』というのは

生きると言うことに焦りと不安で気が狂いそうになった時の
唯一の救いになったりする。

大丈夫。万が一しくじっても死んだら同じなんだから。みたいな。

これは、ネガティヴな考え方なのかもしれないけど
自分にしてみたら
むしろポジティヴに自分を向けるための最後の最後の砦。

何が言いたいのか
まったくわからなくなってきたけど・・・。

富と名声を獲得するということは
社会に、世間に
自分を認めさせることに成功している。という点で
とても大切なことで

金じゃないんだな。と思う。ほんとはね。

でもとりあえず、金になっちゃうから。
金や・・・豪邸や高級車や・・・てなっちゃう。

それらはあくまでも『象徴』であるにすぎないのだけど
『象徴』であるからこそ
とにかく持ってる方が気持ちがいいのは間違いなくて

実際それらに囲まれていると
『私は幸せです』と言いやすいに違いないし
誰が見ても『幸せ』に見えるだろうな。と思ってしまう。

先にチラと触れた個人投資家さんは
ほんとかどうかはわからんけども
そらもう・・・結構などん底から巨万の富を得ている人なのであり
(のわりには無料のアメブロでやってはってんけども)

でも

ちっとも幸せそうに見えない
幸せそうに感じられなかったというのも事実で

たぶん・・・幸せの定義にも『ライン』があって
その『ライン枠』の中だけが、幸せなのかもしれない。

そしてその『ライン枠』ってのは
たぶん人それぞれなんだろうなあ・・・と、漠然と。

映画の中のお父さんは
奥さんであるお母さんと娘の三人暮らしで
『本当の幸せのライン』を見つけたようで良かった。

自分も見つけたいな、自分専用の幸せのラインを。

と、そんな風に思ったりしている、冬の朝。
今日も寒いねえ。もうすっかり冬だ。
灯油を買って来なきゃだなあ・・・真冬のストーブの火は・・・

それこそ・・

幸せのラインのこっち側の気がするしね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました