タイム・イズ・マネーを実感している昨今。

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ジャスティン・ティンバーレイクに目がないワタクシ。
そのうえアマンダ・セイフライド嬢にも目がないワタクシ。
そらもうね。見るでしょ。見ちゃうでしょ。
がっつり大画面で見るしかないでしょ。てって
映画館に見に行ったんだけども

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取り上げている題材的にも相当興味あったし
何よりトレイラーが相当かっこよかったしで
あまりに期待がデカくなりすぎたらしく
見た直後は『ふーん』な感じで帰路に付いたりして。
しかし、後でじわじわと効いてきた。
そして今となっては
猛烈にぐっときまくっていて、見て良かったなと思ってる。

ルックスは『いいぐらいのとこらへん』で老いがストップし
そこから以降は限りある時間の分だけ生きることができる世界。
そしてその時間が通貨とされている世界。

必死で働いてもらう代償は
金でなく、体にちゅ~っと補充される運命時間。
何かを買うたびに
体からちゅ~っと持って行かれちゃう運命時間。
手首に刻まれる運命時間が
00:00:00:00になった時、まさにタイムアップ。
ばったりと死んでしまう。

裕福層は『いいぐらいのとこらへん』で老いることのない体と
使いきれないほどの運命時間を持っていたりする。
そして、いわゆるブルーカラー、労働者は走る。
いつも、走る。
とにかく時間がないからだ。
いつも、時間がないから走る。

裕福層は、走らない。時間は余るほど持っているから。
そんな時間格差がそのまま
貧富格差となっている世界で
その時間をいいように搾取している存在に気づく主人公は・・

という話なわけだけども
ここまで直結ではないけれど
今のボクらの社会だって
既にとっくに時間は、ほぼそのまま金だ。

そこで考えたいと思うのは
現場からのたたき上げ系社長や
自分で事業を興した社長は別にして
生まれた時からお金持ちでした的な人らにはわからないらしき部分。

労働者の多くは
限りある自分の時間を提供することで
代償となる賃金を受け取り、その金で生活を営んでいる。
という、至極当然なことについてだ。

生活を営むということは、人生に直結している。
前に確か何かの番組で、美輪明宏さんが確か
こんな感じのことを言っていた。

働くというのは
あなたの時間を売っているのと同じで
あなたの時間は、あなたそのものですから
あなたはあなたを切り売りしている、ということです。
そのようなことに承諾して、働いているということです。
働くということは、そういうことですから
働いている時間は、働くことだけに身も心も使用して当然なのです。

みたいな感じのことだったように思う。
言葉は違ったと思うけど、大体こんな感じの事を。

この時に、自分は『そうよなあ』と思って
それ以後、働くってのは、自分を切り売りしてると同義。と考えるようになった。

と同時に、時間に対してケチにもなったように思う。
自分が良しとしているなら
どんなに無駄なダラダラ時間もかまわないのだが
良しとしないことに自分の時間を使うことを
とても不本意であると捉えるようになったし
誰か自分以外の人と過ごす時間に対する意識が
とても大きく変化した。

相手は相手の身を削って自分と一緒にいてくれているし
また自分もそうして一緒にいる。という考え方だ。

ここら辺は、金持ちも貧乏人も普通くらいの人も関係ないとこだけど
それでもやはり、金持ち層と一般層と貧乏層では
時間の消費具合が大きく違ったりする。

例えば遠距離カップルがいたとして。
互いに金持ちであれば
スケジュールの都合さえけば簡単に会えるかもしれないが
そうでない場合は
旅費の捻出がまずはの問題として大きく圧し掛かってくる。

なんとかして安くすまそうとすれば
高速バスや普通の電車を乗り継いで・・などということになる。
新幹線で2時間で行ける距離を、半日かけたりする羽目になる。
当然、二人の時間はそれだけ少なくなる。
やはり、タイム・イズ・マネーなのだ。

そんな中で
5時に待ち合わせ、という時に
毎度毎度、彼女が6時ごろ来るのでは、そら腹も立ってくる。
待たせやがったな。というよりも
ボクの時間を浪費しやがったな。
二人の時間が短くなっても構わないんだな?
そんなもんなんだな?
みたいなどんどん悪い具合になっていったりする。

よく『明日死ぬかもしれないのだから、今を大切に生きよう』とか言うけど
なにもそんな生き死ぬのことに置き変えずとも
普通に・・・
自分の住まう町の
アルバイトのおおよその平均時給で換算するだけでもわかるはず。

例えば、時給850円。
毎回小一時間遅れてくる彼女ってのは
ボクの850円を毎回きっちり『ふいにしてくれやがって』いるわけだ。
って、金勘定すると、急にいやらしく聞こえるでしょ。
でも、これは真実だし真理だと思う。
ここで愛している気持ちがあれば・・・とかいう
綺麗事やファンタジーは無駄無駄無駄無駄無駄~っ!てやつで
自分の時間をふいにし続けてくれちゃう人とは
上手くいきっこない。

こういったことは、たいてい『一事が万事』ってことになる。
皆、時間を金に換算するとやらしくなるのは
本能的にわかってるし
換算すると腹立つこともわかってるから
わざわざそんなことはしやしないんだけど
無意識の潜在意識下では、ばっちりわかってるから
遅刻する人やルーズな人は嫌われるし
普通にやはり『一事が万事』ってな具合で
その人の行動パターン一つ一つに出るもんだから
疎まれ、下に見られ、使いものにならねえ。ということになっていく。

そしてそのことまでも、わかってるから
みんな必死で時間に遅れないようにするんだろうけども
仕事の時はそうするが
遊びの時間はルーズ。という人も少なくない。
かく言う自分も、本質的には
相当時間にはルーズな人で
とってもざっくりとした時間換算で事を進める。

けれどもそれは
仕事だから、とか、遊びだから、という分けっぷりではなくて
自分にとって大事か否か。という分けっぷりでルーズさが変化する。

仕事は、先にも書いたように
雇主と自分、共に働く同僚や仲間との約束事だから
とても重要。なので、ちゃんと優先。
しかし、仕事が終われば、ボクの時間です。という気持ちで動く。

ボクの時間は、ボクの大事な人と過ごすためにあり
ボクの面白いと思うことに費やすためにあり
ボクの疲れを癒すことに使うためにあり
ボクの体を労り、元気を補充するためにある。

そこをうまい事うまい事・・・帳尻合わせて
それらをこなしているので、ボクの時間は、とっても重要。
皆にとっても、それぞれにきっと同じく、重要なはずで。

この映画では『本当に限りある時間』を如何に過ごすかがキーになってて
見た後、じわじわと、迫ってくるものがある。
あと数時間しか持ち時間がない。なんて時にルーズな人は生きていけない。
そういう時間に対する感覚。

体内に備わっているらしき『自分時計』の進み具合が
大きく違う人とは、頑張っても埋められない溝が鼻からあって
その溝は埋まることがまずない。

このことは
この映画をみると、ぐっとリアルに感じられるようになると思う。
いやらしくなっちゃうけど、それはそれとして
一度、時間をいちいち時給換算するごっこをしてみるといいかもしれない。
自分の時間は、自分の思うように浪費すべし。
自分以外の人に、かる簡単にペロっと浪費させ続けることなかれ。

なんてね。
ま、そんなボクの勝手な解釈はさておき。

アマンダ・セイフライド嬢の
まるでバービーのごときセクシーキュートな可愛らしさを
堪能するだけでも、必見の作品と思う。
んっとに可愛いから。マジで。

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