万能の力を手にするとか。

House Keeping & Life
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この映画は
我が心の映画の第1位の2トップの方の一つ。

そう。ボクの心の映画の第1位は2つで
どちらも甲乙つけがたくて
ずっと2トップってことになってる。

そもそも自分はジム・キャリーが大好きで
コメディ映画も大好きで
この映画も一応、コメディというくくりなんだろうけど
たくさんの『人生訓』がちりばめられてる最良作品。

結構いい線まではイケるし
そこそこ恵まれてもいるんだけど
自分の人生がどうも『うまくない』と感じている主人公ブルース。
実際、今一歩ってとこでいつもコケるし
ついてない・・・って感じで
彼にしてみりゃ不幸の連続。

そんなブルースは天に向かって悪態をつく。
チャンスをつかめない自分が悔しいやらなんやらで
チャンスをもっとわかるように
もっとわかりやすい感じで
サインをくれよ!みえやしないぞ!
とかなんとか
本当に、本当に、マジで
空に向かってつばを吐く。空に向かって悪態三昧。

しかしね。
もうもう笑えるくらいに
わかりやすいサインが来まくってんの。
神様はね。
ちゃんと彼に
物凄くわかりやすいサインを
目の前に示し続ける。
しかし彼には見えないんだな。
しかもなんでか知らんけど、徹底的に見ちゃいない。

かくしてブルースは大事故に見舞われてしまう。
神様からのサインを
とことん見なかったばっかりに。
するって~と
なんでこんなについてないんだ・・・て言うのになる。
あんなに願っても
神様はサイン一つ送ってくれやしない。
自分はきっと神様に見放されてる。
つ~か、神様の目は節穴に違いない。
つ~か、神様仕事してね~。
とかなんとかもうね。人のせいにしまくるしかなくなってくわけです。

そんな彼の元に
いよいよ神様、ほんとに目の前にご降臨。
神様だっつっても信じないし
話も半分に聞いちゃったりしてるんだけど
そんな彼に神様はあろうことか
神様の仕事を全部預けてしまう。
そう。彼に神の力、万能の力ってのを与えていなくなる。

さて。
万能の力を得たブルースは
その力を持ってして
自分の幸せをつかむことができるのか?
世界中の人を幸せで統治することができるのか?
ってとこなんだけども
神の仕事、ってのがまた面白く描かれてて
そこも注目されたし。なんだけども

今日ここでボクが取り上げたいのは
万能の神の力の及ばないところ、てのがあったこと。
神の力は物凄いもので
ほんとになんだって瞬時にできてしまうんだけど
たった一つ。どうにもできないことがあった。
それはなにかというと
人の心を思うように動かすことはできない。ということ。

ブルースは失った恋を取り戻したくて
躍起になるんだけど彼女の心は戻らない。
彼女がまだ自分を愛してくれていることだけは
神の仕事を代わりに請け負っている流れ上
彼女の祈りが手元に届くことでわかっているのに
彼女は戻らない。
彼女の考えのもとに
彼のところに戻ろうとはしない。
万能の力を手にしたってのに
やっぱり彼女の心は彼にはつかめない。動かせない。

とても上手く出来た映画だな、と思った。
そして、これは映画だけれど
いわゆる作りもの、フィクションなんだけど
とても真理を突いてるように思った。
なにも恋の場面ばかりではなく

実際のところ
冒頭で、あんなにまでも神があからさまに示したサインを
ことごとく見ていなかったブルースだってそうで
本人がサインを掴もうとしなければ見ようとしなければ
サインが来ていることに気づいても
それをサインだと認めて動かなければ
何の役にも立たない。

ブルースはその神の力を持ってして
全力で彼女に笑えるくらいに
わかり安すぎだろ!っていうようなサインを送り続ける。
彼女もあからさま過ぎるサインの連続に
さすがに気付くんだけど、行動に移さない。
それは彼女の心が決めていること。
そんなことをしている間に
彼は成長してくる。
万能の力をもってしても
どうにもならない心の大切さ、思いの深さ、広さに気づく。

そして
如何に自分が神に特別に愛されていたか
如何に自分が多くの人に愛されていたか
それらに、気付く。

コメディ映画のいいところは
9割方ハッピーエンドであるということだと思ってるんだけど
この映画も、もちろんハッピーエンド。
しかも最高のハッピーエンドだ。

この映画を見た後
きっと心がすかっとするし
自分も神に特別に愛されてるかもしれない。
自分も多くの人に愛されてるかもしれない。
そう思えるようになる。

気持ちがね・・・腐ってる時に見るといいの。
大いに笑えて、泣けて、感動する。
ボクはこの映画を数え切れないくらい見ていて
その都度、笑ったり泣いたりする。

それでもボクは
ついていないことばかり続きすぎたり
失敗ばかりしてしまったり
判断ミスを繰り返してしまう時
神様に悪態をついてしまう。
ブルースみたいに。

今がまさに、そんな感じの時で
一昨年あたりから、ほんとについてなくて
多くのものを奪われ、失い、壊してきて
いわゆる『失意のどん底』ってとこにいる。
何もかもに対して斜めに見ているし
何もかもがつまらないし
何もかもを信じまいとしている。

でも
この映画のことを思い出す。
神様を演じたモーガン・フリーマンが
まるでほんとの自分の神様みたいな・・・象徴みたいな感じで

ふと

頭の右上あたりに、うっすらほわ~っと浮かんできたりする。

たぶんね・・・
サインはいっぱい来てたし、来てるんだ。
ただボクが見えてないし、見ようとしてない。
ただそれだけのことなんだと思う。
でもその事って本当に大きくて
見えない時は、見えないんだよね。
ブルースがまさにそうだったように。

サインをくれと言いながら
サインを焦がれているのに、待ちまくってるのに、見えない。気付けない。
ついてない、っていうのは、この状態のことを言うんじゃないかなと思う。

周りで起こる全てに意味を見出そうとしたり
『すべては必然である』なんていう説には同調しかねるんだけど
それでも・・・ついてない、不運、てのは
こういうことなんだろうな~と思う。

人として生まれ
自分の人生を、よりよく生きるために
労働をすることや
その労働こそが、人の喜びにつながることや
多くの人が一人残らず
愛と幸せを願っていることや
それらを踏まえて動いているからこその
多くの争いや諍いも
全部この映画に凝縮されてて、すごいなって思う。

まあ・・・それこそ
『こんな映画はファンタジーよ』
ってやつだし、実際ファンタジーなんだろうけど
また見てみようかなと思う。
まるで今の自分みたいになってるブルースを。
そしてブルースが、どうやってハッピーを掴んだかを。
どうやって、みんなをハッピーに導いたかを。

神様からのサインは
きっと周りに笑えるくらいわかりやすく
ゴロゴロ、徹底的に転がしてくれちゃってるのに違いないから。

目を開け、自分。
心を開け、自分。
サインはすぐそばに。

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