すっかり初夏でございますが。

Mental Health
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Sometimes I Cry / Eric Benet

ただでさえ少ない小遣いだってのに
同じアルバム2枚も買っちゃってたYO!

でもとても良いアルバムなので
今後何かのお礼だとかお祝いの時などに
誰かに贈らせていただいたりとかなんとか
そう言う方向でアレして行きたいと考えている。

そんな、そんなエリック・ベネイ。

まあ、書きたいことは
エリックのことじゃないんだけど。
最近、自分の部屋では、彼の曲ばかり聞いてます。

英国式カラーセラピー【オーラソーマ/aura soma】イクイリブリアムボトル(25ml) 44番
コメント:守護天使『ガーティアンエンジェル』という名前のボトルです。ネガティブから平和への変容を促してくれるのだとか。使用してて気持ちよく、気分も良くなります。

そいや、オーラソーマのリーディングしてもらった時
もうあれから結構経つかもなんで
またミニリーディングってのを
web上でやってみたんだけど、やっぱり変わってませんでした。

記憶力がすっかり衰退しているので
思い出しながらやったのではないんですけど
これは根っこから変わらん。ということなのでしょう。

B044 The Guardian Angel
守護天使

2本目に選ばれたときに、チャレンジとなる性格的側面:

内なる平和が欠けています。グラウンディングしていません。
自分の人生の状況に絶望しています。
自分の存在自体に自棄的であり、神を疑っています。
辛い子供時代を送り、それがまだ解決されていません。
また、自分自身を欺き、希望的観測で毎日を過ごしています。
結局はすべてがうまくいくという期待を膨らませていますが
絶対にそうはならないときでさえ、この態度は変わりません。

はい。まあ、そういうことです。

彼これこの問題に気づいてから、10年とか。
如何に成長がないか。ていう情けなさなんですが

未だに取り組んでいるわけです。
いや、取り組んでないから成長してないのか。
向き合ってるつもりで、ちっともうまくいってやしない。てとこです。

しかし神を疑ってるというのは違うかな。

神、と思ってないだけで。

未だに、なんですか?
自分は『タオの世界』を信じておりまして
皆さんが漠然と思うところの『神様』てのを思う時
『タオ』のイメージを持つようにしています。漠然と、ですが。

神々しく、高尚で、豊かで、果てしなく優しく
大いなる・・・目に見えないほど巨大で深く広い・・・。

得体のしれない『力』のように思っているに近い。
白くなくて、むしろ黒い闇。混沌。というイメージすらあるかもしれず。

のわりに、そう。
ボトルにまんまと指摘されているように
『グラウンディング』てのがまったくうまくいっていません。
これは力いっぱい自覚があって
またそれに対して具体的に改善しようという取り組みもしていません。

『グラウンディング』がうまくいってない。ということは
これすなわち、なんしょかんしょ
全てにおいてトータル的に『ぐだぐだですねん』と。

そういうことなのでございます。

うまくいってないから
果てしない不安や答えの出ない疑問を抱えている自らを欺き
とりあえずの希望的観測で生きてくしか方がないじゃあないか。と
そんなこう・・・だらっだらですわ。なんしょ。

与えれば与えるほど満たされる。とかいうような
真理がございますが

そもそも自分には
人に何かを与えるものなど持ち合わせておらず
実に実に手元不如意な毎日を送り続けており

せめてもの
脳内の閃き。これはきっとなんかの役に立つやもしれん。と
気持ちのいい時、コンディションの良い時の
役立ちそうな閃きは、外に向けて配信するようにしているけれど

最近はめっきりそれすら枯渇気味。

ちょっともうね。
あまりにもアレなんで、山に行ってきますわ。

うんと前・・・こんな感じで打ちひしがれ
ハートの水が枯れてしまい
どうにもなんねーなこれ・・というような状態の時に
山に出掛けて、ヤマモモの木を抱いたりしてたんですよ。

傍から見たら間違いなく気違いなんで
わざわざ人のいない山まで行くんですけどね。

それが具体的にどのような意味があり
どのような効能があるかもわからないし
どのように考えて、それを実践するに至ったのかの
脳内の経緯すらわかんないんだけども

とにかく、アレは気持ちがよかった。

自ら座禅などを組み
無我の境地に至るなんてことができるほど
人間ができちゃおらず
瞑想、というのもうまく行ったことない気もする自分は

ヤマモモさんを抱っこして目を瞑る。

コレが精一杯の『何か』なのかもしれんです。

スピリチュアルレベル:

神から与えられるインスピレーションや「彼方」からのサポートを高めます。
内にある流れとつながって、その流れを信頼できるようになります。
自分の人生の
目的を
外部の確立した体系(例えば、宗教)の中に見出す能力をもたらします。
この人を「魂のオアシス」と結びつけます。つまり
「私の奥深い所には、力
を取り戻せる場所がある」ということを理解させてくれます。

精神的レベル:

人生の様々な側面を統合していくように促します。
心を「より高次元の知恵」に対して開いていきます。
例えば、超感覚的な知覚に対して開きます。
グラウンディング効果があります。これまでのパターンを消し去るのに役立ちます。

感情的レベル:

エゴの欲求とは無関係の歓びや明確な動機づけをもたらします。
エゴが生み出した悩みを解消します。子供時代のトラウマから自由にしてくれます。
身体的、感情的、あるいは性的な虐待の経験がある場合には
そこから生じた苦しみを解放します。

まあ、案の定読んでもいまいちピンとこないんですが
自分のこのところの不具合は
いよいよ病的な域に差し掛からんとしてることだけはわかっていて

自分が話したことやお願いしたことが
守られないこと、遂行されないこと
それに加えて改善されないままにそれが繰り返されることや
話したことを、まるで無視しているがのごとく
同じ質問、同じ話題を振られる等というような事柄全般に対して
脳味噌がどうかなってしまうんじゃないかくらいに怒りが沸騰します。

文字通り『我慢ならん』の極みで。

それだってのに
家中に守られない約束、遂行されない決めごと
改善されないままに繰り返されることが『当たり前』のように存在しており

全てが薄汚れ、穢されているかのような感覚の中で
『人それぞれというものがある』ということがあるってのもわかるから
とにかくどうすることもできず
かといって、きっと恐らく受け入れ切れてもいないため
日々がストレス。と、そんなことになっていると推測。

物事の如何問わず
『そうなっているからそうなっている』のであろうし
自分はやたらと我慢ならんことが多いが
自分以外の人は自分が思う『我慢ならんこと』は取るに足りないことであり
それらが守られなくとも『一向に構わん』のであり

実際のところ
本当に『一向に構わん』ものばかりなのだろうとは思えど

気がふれてしまうんじゃないかと思うくらいの怒り。

これと日々向き合い
ぐっとこらえ、抑え込む毎日は、途方もなく疲れるのであって
ますます自分以外の人との接触を避けたくなる傾向。

お口で言うてくれたこと。
約束してくれたこと。
これらをきちんと守ってくれる人の存在だけが
今の自分を支え、救ってくれるので
そのような人とだけ、一緒にいたいと願ってしまいます。

が。

自分はこう言うところを乗り越えていかねば
永遠にストレスをためて行く一方になることは大決定なわけで
なんとかして克服するなり
最低限でもスルースキルくらいは身に付けないと

自分がやられる・・・自分に。

ば~ちゃんが・・・

なんだかんだいうて『一人がいい』と言うて
寂しがりの癖に一人を望み
たった一人で清く正しく日々を営むことを
自分以外の誰にも邪魔させず
そうすることで、心の平安を保ちながら生きていた人。

彼女は
心の平安を保つための代償としての『孤独』を受け入れていたのだけど

それでも根っこが寂しがり屋だから
自分の存在を『とことん忘却された』というような事柄に直面すると
酷く酷く絶望に打ちひしがれたのだろうと思う。

彼女の記念日や誕生日、彼女の大事だと思っているところの家族との行事。
これらは絶対に忘れてはならなかった。そこが最低最小限の砦だった。

それをついに祝わってもらえなかった、そのすぐ後に
彼女は倒れて息をすることを手放して天国に行ったのだけど。

なにが言いたいのかわかんないままに書いてみたけども

自分は・・・随分いろんなことに対して
腹をくくることに成功して来ているほうだと思うけど

もうひとつ、もう一段階のフィールドへの
腹のくくりが欲しいのかもしれない。

なんなれば、自分は、ば~ちゃんほど潔く
真っ向から『孤独』を望み、受け入れて行くのは困難だと思うから。
実際、ば~ちゃんも受け入れ切れていたようには、見えなかったし。

それくらい、困難なことなのだろうと思うから。

全てが思うようにいかないことも
思うように行くことも、両方とも同じくらい当たり前であること。

人は自分のことや家族のことを大して深く気にかけちゃいないこと。
これも、当たり前のことであるということ。

ココを徹底的に、本質的に、腹に落とさないと
自分はたぶん死んでしまう。ば~ちゃんみたいに。

みんな大して気にかけちゃいないなんて、そんなことないよ。というような
慰めや情けや優しさや誤魔化しや思いやりとかが欲しいのではなく
真実を、腹に落とさなければならない。

でなければ自分は今後もずっと
人や物事に対して、無意識にとても強く求めてしまい
求めていることが為されないことで勝手に傷つき疲れはてることを繰り返す。

回りの人に
どうしてそうなんだ!という身勝手な怒りを抱いてしまい
迷惑もかけるし、場合によっては酷い思いもさせるしってんで

できるだけ堪えようとすると
堪えるのも大変だもんだから、逃げよう・・という話になって行くし。

もしもそれでもどうにもならんからってんで
人に『改善して欲しいのです』とお願いしてみて
『そうだね。わかりました。今後気をつけます』というてくれたからとて
やはりそれは、改善されないのです。

相手に改善を求めようとすると
余計に疲れる。余計に打ちひしがれる。
されば、自分で『徹底的に相手に求めない』『相手のあるがままを完全に受容する』
そういう能力を身につけるしかないのでしょう。

そのために、とりあえず歯の治療をして
山に出掛けて、ヤマモモさんを抱くことにする。

風が強いと桶屋が儲かる。的な話のようだろうけども

実際、そうしたいと今思うってことは
そうしておいて間違いないのだろうと思うから。

コメント

  1. 2本目のボトルを読んだとき、
    「そりゃあれだぜ、海だぜ。山だぜ。慈愛だぜ。」
    と思ったら山に行くということで…
    私は書くことを失ったわけですがw
    なんちゅーか…
    この世はすべて二律背反だね。陰陽だね。
    自分のアイデンティティーを追い求めるから
    他人にも常識や社会性という言葉で正当化して求めてしまう。
    意思が伝わらず泣くほど悔しくて
    猛省してしまうけど、止められない。
    自分の不完全さを許せたら
    相手にも求めずにいられるのだろうか…。
    でも、そんなこと、死ぬまでわからなくてもいいとも思う。
    理想を掲げて手探りで模索していくのが人生だよね。

  2. うははは。そうだったかww
    実際、歯の治療はようやく無事に
    本日からスタートしまして
    一番辛いと自分が思ってるところの完治は
    恐らく1カ月も先になるとのこと。どんだけ重症だよ!!
    で、次は
    酷いのは飛び越えて乗り越えてしまい
    『カス』になっているため
    自分的に平気になっているんだがしかし
    先生的には
    『これは酷い!!大変なことだ!』という事態になってるらしい
    右の奥歯を引っこ抜くのだそうです。
    生活をとことん最低ラインまで落ちぶれるに任せ
    その間にボロボロになったワタクシの口内は
    そりゃもう大変な騒ぎだぜ!なのらしいです。
    それでも歯磨きは、ちゃんとしていたのと
    元来は頑丈な歯であるというのもあり
    治療途中で放置、そこに虫歯菌に侵されまくりだったにしては
    被害が広範囲にわたっていない!これはある種奇跡的な!
    という状況ではあるのらしい。
    深刻度はすごいが、範囲狭くて良かったね。っていう。
    で、人生論ですが。
    ほんとにその『常識』とか『社会性』て大問題で
    自分にはこれが甚だしく備わってないらしいと自覚もあるのに
    自分規格の『常識』とか『社会性』なんてのを
    エラソーに相手に求めちゃうわけです。
    なんかねえ・・・また戻ってきちゃいそうで。
    どこに戻るってね。
    一人が一番。ていう場所にです。
    めんどくさいからなのか
    生まれ持った性質からなのか
    産まれてから以後うけたあれこれのせいなのか・・
    人に強要してしまう姿を
    自分の中に見つけて、押さえつけるのに苦しむならば
    いっそ一人が・・・てなってしまうというか。
    40過ぎてもなお
    まったく自分が改善などされちゃないってのに。
    ほんとに困ったもんです。
    かみちゃんの言う通り
    それもまた人生。て話なのだろうけど。

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