一万円生活とかなんとか言う番組のおかげで
すっかり耳たこ的になってしまったかもしんないこの曲。
実に・・・なんとも言えない
残念なような、しかし、現実はそうよなあ・・・と思わずにはいられんような
こういうことは、一度や二度は誰しも思ったことあるよなあ、きっとと
そんな風に思っちゃう曲なのでありますが。
Money, money, money
Must be funny
In the rich man’s world
Money, money, money
Always sunny
In the rich man’s world
Aha-ahaaa
All the things I could do
If I had a little money
It’s a rich man’s world
カネ、カネ、カネ
そら楽しいだろうね、金持ちの世界は。
カネ、カネ、カネ
いつだって晴れ渡ってんだろ、金持ちの世界は。
あぁ、もしボクなら少しの金であってもなんだってやれるだろうに。
この世は金持ちのためにあるんだよな。
意訳すぎかもですが。ちょっと。まあいいじゃない、拗ねてんのさ。
で
人生においての先輩というべく
自分の大事な友人の一人も貧乏上がりの人で
つか、今だって全然貧乏である我々であるのだけど
そんな二人で語ったことは
『貧乏という病理について』だったりで
貧乏が沁みついたようなフィールドに生まれちまったばっかりに
なにをどうしても這いあがれないフィールドみたいなとこに生まれちまったばっかりに
どうにもならんのだよ、これもう、誰もわからんよな、この感じはさ。
なんつってね。
努力と工夫と根性で
ある程度のとこまではイケても
それを揺るぎなき定着というか、安定までしきるってのは
いろんな問題がありすぎるんよな、とかね。
それらすべて
結局のところ『自分のまいた種』となってしまうだけで
どうにもこうにもならんのよなあ・・・なんだろな、これは。
まるでそれはたちの悪い持病で
その持病はなんと不治の病であった。とか言うアレなんかな~っって。
そもそも『金持ち』の定義からしてあいまいなんだけど
自慢じゃないが、『貧乏』の定義はわかるぞ。
貧乏というのは
常に何もかもに、ひもじい。という観念を抱かずにはおれない状況。
そのひもじいの感覚は、食べ物を満足に食べていないというだけではなく
何においても『不足している』という感覚を抱かずにはおれない状況のことだ。
自分はそう思ってる。
だから、金持ってても貧乏という人もいたりするんだけど
いい家、いい服、いい車など、物質的に満たされていても貧乏なんて人もいるんだけど
いずれにしてもその貧乏に侵されると
その病理の深さや多岐にわたる特異性とかなんとかのおかげで
抜け出す道を見出すのが非常に困難になる。
そこらへん考えると
物質的に満たされていない系の貧乏の方が
物質的には満たされてるが貧乏よりは
解決策が明らかになりやすいので楽かもしんないんだけど
この歌は恐らく
物質的な貧乏のことを歌っていて
どんなに可能性のある考えを持っていても
そしてそれが本当に可能性のあることであるとわかりきっていたとしても
人ってのは
身なりがきちんとしているとか
肩書きがすげえとか
いいとこの生まれであるとか
そんなようなことで、話を聞く、聞かないを決めてしまう傾向が強いので
例えば、ホームレスの汚いオヤジが
世界を覆すような肝をもってして、何らかを語らんとしてたって
それは箸にも棒にも引っかからない。
誰も耳を貸さない。目を正当な感じで向けたりしない。
理想論では、どのような人の話でも聞くべしみたいなこともあるけど
そんなようなことをいつだって実践することが苦にならない人なんてのは、まずいない。
かくいうボク自身も
ルックス、見なり、肩書、素性などが明らかで
『よい(身分の)人だ』みたいな自分なりのラインを越えてる人の話しか聞かないみたいな
そういうところは嫌になるくらいあって
だからこそ、それをどうこういいたいのではなく
それを知ってるから思うのよ。
やっぱ物質的に、環境整ってる人じゃなきゃ
成せるかもしんないものも、成せやしないよ。とかってね。
スイカだって
養分を含んだ肥えた土と多過ぎず少なすぎの水と
いい具合にスイカにとって最高のタイミングで降り注ぐ日光なんていう
それらの条件の整いっぷりがあって初めて
おいしく素晴らしいスイカの実を実らせることが出来るのであって
それらの何かが足りない場合は
良いスイカの実はおろか、育つことすらままならないのであって
だから
アレがないからできないとか
これがないから出来ないとか言ってるうちは本物じゃない。なんていう理論も
そら一理あるかもしんないけどもさ。
そんでも環境整わなきゃ、できん。というのが真理なんちゃうの?って思う。
そんなものに振り回されてるような人間は大した人間ではないし
そんなものに振り回されない人間にわかってもらえばいいじゃないかみたいな理論もさ。
確かにそうやろけどもさ。
先日、セカンドライフについてぐだぐだ言うた中にも書いたけど
そんなものは所詮ファンタジーでさ。
そうよな、そうよな。わかってくれる人はいるさ。とかなんとかっつって
がんばってプレゼンの準備をしたとしても
誰も来なけりゃ、誰もまっすぐに聞いてくれる人がいなきゃ、なんもならんのよ。
まずは『人が耳を傾けたくなる人』になるまで
そこまで行くのが困難なんだよね。
そこの部分を手っ取り早く片つけてくれるんが、金だ。
例えばボクは
何か相手を確実にやりこめなくてはならないというような
交渉の場に行く時は
借りてでもいい服を着ていい車に乗って、その場に行ったりする。
アルマーニのスーツを着て、ベンツで乗り付けた時点で
8割方勝った感じになることを知っているから。
無論、アルマーニを着てベンツから降りても
大した弁論できなきゃ意味ないのは言わずもがなであるけども
まずはのファーストインプレッションで、効きのいいジャブかましてなんぼ。
どんな身なりをしていても立派なものは立派なのが真実のはずだけど
現実ってのは、そんなとこにはないよ。
現実は、そんなもんじゃない。
金がなくても、理念があれば、てのは・・・ファンタジーよ。
稀に通ることはあるのかもしんないけど。
従って
ボクは金が欲しいであります。
自分は多くの金を持ってして
環境を如何に最高に整えてもなおクズかもしんないけど
もしかしたら
環境さえ整えることが出来たら
びょ~~~~~~~ん!と一気に上がれるかもしんないじゃんね。
そこんとこ『もしもボックス』とかでもいいから
つまり、嘘でもいいから、一瞬でもいいから、ちょっと見てみたい気がするよ。
ま、それこそファンタジーだけどさ。
うははは。
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