どうもどうも、ボクです。
ずーっとずーっとずーーーーっと気になっていたところの
市内にあるプロテスタント教会に
やーーーーーっとのことで顔を出してきました。
というのも、能登の震災があり、なかなか支援もおぼつかない中
少しでも神様に近い場所で祈りたかったから。
毎週日曜の朝に日曜礼拝が行われていることは
知っていたのだけれど、なかなかね。行けなかったんだよね。
先週から、今日行くと決めていて
朝起きてから、行くまで、ひよっちゃってひよっちゃって
とってもドキドキでしたが、親切な方が手伝ってくださって
礼拝のプログラムも滞りなく参加することが出来ました。
招詞や聖書を読んだり賛美歌を歌ったり
詩篇交読や祈祷や説教などなど、怒涛のごとく時間は過ぎ去り
あっという間に1時間半が終わりました。
ちゃんと能登の震災や、ガザでの戦争のことも話に上がり
どうぞ神の導きがありますようと、祈ってきました。
賛美歌は、もちろん知らんのばかりだったけど
賛美歌の本があって、なんとか歌えるもんでありますね。
1曲だけ知ってるのがあったんだけど
賛美歌の詞がすごく心に響いて、ちょっと泣きそうになりました。
ボクは、十字架にキリスト様がかかったものや
キリスト様やマリア様の像があったりする教会は
子供の頃から何故かとても苦手で
や、苦手というより無理で、恐ろしく感じてしまうのだけれど
今日伺った教会は、十字架にキリスト様はかかってないし
像もなく、ステンドグラスもない、とてもシンプルな教会でした。
荘厳さはないけれど
ボクにとってはピッタリの、とっても気持ちの良い教会で安心でした。
そして、会の最後に
初めてきたボクを皆さんに紹介していただいて
「震災があって、少しでも神様の近くに来たくて来ました」と言ったら
皆さんに拍手を頂いたりして、ちょっぴり恐縮。
そんな感じでお集まりになってる皆さんも
とても良い皆さんばかりで
小さな子供さんもいたりして、ほのぼのとしていて
礼拝が終わったあと、美味しいお茶とお菓子を頂きながら
しばし歓談したあと、帰ってきました。
あ。そうそう。
ちょっぴりずつながら、聖書通読をしてる話もしたんだけど
すごいことには、旧約聖書を読んでて
ずっと謎だったところの
延々と数を数えたり、広さを測ったりしてるかというのが
ちょーーーーど、今日の聖書読みタイムで読まれて
「エザキエル書」の最後の章だったんだけど
この町の名は「主はそこにいます」と呼ばれる。
で結ばれていることについて、お話があって
ずっと広さを測ったり、数を数えたりするのは
主が「そこにだけ」いるのではなく、皆のそばにいらっしゃること
主が与えてくださった恵みを確かめることにあるというような
そんなような話で、こまけーこたー忘れたが
とにかく、意味のあることだった!!というのがわかってすっきり。
旧約聖書を読んでいくというのは殆どないのだそうだけど
何という、ジャストミート加減。
まさに、ボクは導かれていったのに違いない。なんて思ったりね。
そんなような話をしたら、皆さんも「すごいわねー」って。
聖書通読を頑張ってる話もしたけど、とても感心されたりして
ちょっと、(*´σー`)エヘヘ ていう感じでした。
つってもボクはまだ「歴代志下」の序盤で止まっているので
また読み始めなきゃならんなこりゃ。と。
あ、そうそう。聖書も2冊もいただきました。
どちらも新約聖書だけれど
1冊は、左に英語訳、右に日本語訳が書いてあるタイプで
もう1冊は、文字が大きめになっているタイプのもので
聖書の参考書みたいな感じのもの。
どちらも目次のところに、例えば
「失望・落胆した時」に読むと良い章とかがあげてあって
シチュエーションに合わせて聖書を読むことができるようになってます。
何という親切な聖書!
生活密着型という新しい形式!と感心してるとこです。
それから、最後に回ってくる「献金」は
あろうことか何も考えてなかったので、大きいお金しかなかったし
どうしよー・・・と思ってたけど
できる人ができるだけでOKというスタイルだったので
今日のところは、深々とお辞儀してよしにしてもらいました。
それにつけても、思い切って行ってよかったな。
心清らかな優しい人達と触れ合うって
自分のオーラとか魂とか、そういうのの浄化もできるような気がしたよ。
てな感じで、なんしょ、とても気持ちが良かったので
「毎回は来れないと思いますが、また伺います」と約束して
そうして帰路についたのでした。
キリスト教信者ってのではないけど
暖かく向かえてくださって、ほんと嬉しかった。
またいくよー!
以上、プロテスタント教会突撃リポートでした。
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