離婚を考えたりしちゃうあなたへ

Colum or News
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え~。
ワタクシが離婚して干支が一回りしきってしまいまして
時効ってのとは違うんですが
なんというか
離婚について、或いは結婚について
ちょっと私なりの見解というか
経験談というか
今後の指針というか
ま~、そういうのを記してみる気になりました。
ま、ちょびちょびは書いてもきたんでアレですけど。

確か、離婚というのは
あまりよろしくないこと。と言うのにカテゴライズされるもの。
という感じだと思っていたのですが

気付けば
かなりオープンなことになってるようで
ひとたび『離婚』というキーワードで
amazonあたりを検索するって~と
物凄い量の離婚に関する本がヒットしまして

その中から
なんとなく選んだのがこれなんですが
『離婚しても』というのがどうも引っかかりつつ
何を書こうと思ってるかというと
離婚する。という具体的動きにしていこうという場合
何が一番気になるのかというと

たぶん

『どこまで来たら離婚していいのだろうか』ということなんじゃないかと思って。
一人の男と一人の女が
違う一個の人間と人間が
家族として人生を歩く。なんて言う
大変な毎日、一日一日を、
暮らしというものを、立てていく。
それが、言わば結婚って奴だと思うんですが

普通に苦難も我慢も出てくるわけで
出てこないってのは
ほぼ100パーセントないわけで、だから、
離婚の二文字を1度足りとも考えたことがないとか
夫婦の間に1度足りとも上がったことがないとか
脳裏をよぎったこともないとか
そういうのも、とても少ないかもしれないんですが

あ、いや
まだ結婚したてとか
結婚して年数短い場合は『まだない』てのもあるかもですけども
まあ、あるんだと思うんです。大抵。

ただ、それを実行するかしないかというのの
ジャッジポイントは??ボーダーラインは??というね。
そこが曖昧でしょう?いつも。
最もそこは曖昧にならざるをえない部分でもあるんですけどね。
だって、人それぞれですもんね。

浮気が許せない人もいれば
浮気は良いけど
そのくちゃくちゃやって食べる
その口元がもうどうにも我慢できない!!とか
浮気もくちゃくちゃもいいけど
仕事しろよ!てめえ!とか
浮気もくちゃくちゃも仕事しなくてもいいけど
ギャンブルやめろや!とか
浮気もくちゃくちゃもギャンブルもしないし
仕事もしてるけど
しすぎやねん!仕事!ちょっとは家族と触れ合えや!とか
ほんと様々だからね。

そこで一応、参考までに
自分が離婚した理由を軽く羅列してみようかなと。

1.大酒のみであった。
2.飲んだ上に暴れる人であった。
3.しかも妊婦の腹を蹴る系の人であった。
4.私から見た姑にこそこそと金の無心をする人であった。
5.仕事をしなくなった。(おかげで借金地獄)
6.妻をストーキングし始めた。
7.姑が話にならなかった。

これを読んで、納得できない!て人も
なかなかいないんじゃなかろうかと
そんな風に思うくらい
この離婚理由には自信があるという妙な話になってるんですけども
他にも細かいこと言い始めると大変なことで。

これでも
離婚に至るまでに7年掛かってます。
何故に7年もふんばったか。
それは、間違いなく、愛ではありません。

『離婚してはいけない』という
間違ってはいないけど
必ずしも正しいとは言えない倫理観からです。
離婚すると子供が可哀想。とかね。

子供が可哀想も何も
こんな状態では
自分が可哀想過ぎて
つか、旦那も可哀想過ぎて
子供の面倒も落ち着いて見れてなかったでしょうし
子育てを楽しむ、なんて、ありえなかったですし
そもそも未来がなかった感じで。

今も貧乏すぎて未来が見えませんし
まだ、自由というものがあるので
解決策とか、打開策みたいのを打ち出して
果敢に立ち向かい
努力、創意工夫、我慢、忍耐、根性などを駆使して
見えない未来を見えるようにすることもできるわけですが

既に旦那もいる
その旦那との関係性がもうアレ。という中で
未来が見えないってのは
『本気で未来ないです』に近いといいますか。

家族という小さな社会において
不具合が生じている。という段で
話し合いがもたれないとか
話し合いが空論で必ず終わるとか
改善案もクソもねえとか
そうなったら、止めていいと思う。
それを言いたいといいますか。

私が離婚後、紆余曲折あって
娘を一人で産んでからも
さらに紆余曲折を経て
いよいよ、一人を貫き通しているのには
以下の理由があります。

1.思いがけないアクシデントを背負いたくない。
2.自分の信条や夢や希望を蔑ろにされたくない。
3.モノがあった場所にないのはうんざり。
4.積み上げ作り上げたものをあっさり壊されたくない。
5.やってもやっても『まだまだ』といわれたくない。

すなわちこれ全部
そのまんま、男性不信の塊の意見といいますか。
或いは人間嫌いの塊の意見といいますか。

平穏無事に暮らしているところに
びっくりするような理由で
いきなり激怒されて殴られたり
会社でつまらないことがあったとか
飲みすぎて辛いとか
そんなことで仕事たっぷり休んだり辞めてしまったりして
給料激減で借金地獄に追いやられるとか
頑張ったところではなく
頑張りがまだそこまで行き届いていないところばかり
見られて指摘されて
ダメなやつという扱いを受けつづけたりとか
本当に頼りたい時に見放されるとか
言いたいことが言えない雰囲気とか
困ってるところにさらに困ることが倍増するような仕打ちとか

うんざり、うんざり、うんざりなのであって
ただ単に相手が悪かったんだよとか
そういう次元でなく
そういうフィールドとなってしまう
アノ空気がいやというか
自分以外の人間が
私に背負わせる
私に味合わせてくれる
あれやこれやがもういやというか
何より『自分』がなくなる
『自分』を『自分』としてはいけないようなアノ感覚ね。
それが最もいやで。

そんなこんなで、人として
普通に信じることが出来て不思議ではない部分を
圧倒的に信じることができなくなってしまったんですね。

例えば
『私は田中太郎です』と自己紹介などされて
『私は○×商事に勤める36歳です』とか続いた場合の
全てが、信用できなかったりします。

本当に田中太郎なのか?
本当に○×商事に勤めているのか?
つか、○×商事って本当に存在しているのか?
36歳ってのはどうでもいいけど
そもそもあんたは、本当に人間なのか?
みたいな有様ですよ。私の本音の腹ん中ってのは。

とね。

そんな酷いことになる前に『自分』が壊れてしまう前に
無駄な我慢はしないでください。

子供のためにとか
せっかく愛し合って結婚したのだしとか
良くなる可能性もあるかもだしとか
一人になるのが怖いとか寂しいとか
親戚やご近所の目が・・・とか
んなこたぁ
本気でどうでもいいことです。
なんとでもなりますから。

自分以外の人は
文字通り、自分ではない人なのですから
自分の考えの及ばない行動をするし
想像もつかない問題を持って帰ってくるし
それを投げつけてきます。
それを二人でなんとかしたいと
なんとかしようと
思い合えるのならば
それはとても素敵なことで素晴らしいことで
理想的なことであるから
そんな二人なら
もうなんだって乗り越えてしまえると思うし
頑張る、の価値も出るわけですが

もうその二人でなんとかしたいとか
二人でなんとかしようとか『二人で』とか『家族で』とかが
ないな。見えないな、ありえないな。
そういうのが本気で無理だな。
相見えることはできないな。と
一回や二回ではなく
しょっちゅう感じる
頻繁に感じる、日々感じる。
そしてそれが、絶対的に気のせいではなく
物理的にも精神的にも『現実』として、自分を取り囲みきっている。

と感じる場合は
いいです、もう。頑張らなくて良いです。

それでもまだ
一緒にいたいと思うなら
本気でうんざりするまで一緒にいればよいです。

一緒にいて、頑張りたいと思うなら
もうダメだ!!となるまで一緒にいればよいです。

同じ空気を吸うのがいや
歩く音がいや
洗濯物一緒に洗うのがいや
風呂の湯が同じってのがいや
笑うな、ごら!キモイんじゃ!ぼけ!
なんていう
最悪の状態になるまで頑張ればよいです。

でもその場合
私みたいなことにならないとも限らない。

こんな素敵な人と
一緒になれるなら、さぞ幸せだろうにと憧れていたら
うまいこと付き合えるようになり
念願の結婚まで出来たってのに
こうなる。

この現実が
どれだけ自分を壊すか。というのを味わってからでよいならば。

とか書いておいて
信憑性も何もあったもんじゃないですが
それでも私は
前の旦那さんのこと、いい奴だったとか思っています。
なかなかいい奴だったのにな、と。

何がどう、掛け違えて
何がどう、掛けることなくスルーされて
ああなったのかな、と。

頑張り方が間違っていただけで
もう少し、本当の意味で頑張れていたなら
まだ家族でいられたのかな。
幸せになれていたのかな。
そう思ってしまうことも、たま~にあります。

でもすぐに思い直すのです。
私の決断は絶対に間違ってなかった。
だって『今』があるから。

今は真っ暗闇だと嘆いてばかりだけど
それでも
本気の真っ暗ではないと
挽回できるチャンスがあると思えるから。

挽回のチャンスを
ことごとく潰す相手と一緒にいても
何も得るものがありません。
お互いに、です。
相手も潰したくて潰しているんではない。
自分がそう仕向けているってのでもない。
私にとってアノ人はダメだった。
アノ人にとって私はダメだった。
その事実を真摯に受け止める。
私がダメなのではない。
アノ人がダメなのではない。

あなたと私というコンビが
結婚して家族となる。という場合はダメなのね。と理解する。

そうすれば得体の知れない『良いこと』とされているところの
無駄な頑張りはしなくていいことに気付くと思う。

これは
離婚を推奨しているのではありません。

だって、やはり、せっかく結婚したのだから
『いろいろあったけど、二人で良かったね』と歳をとってから
笑いあっていれるのが一番良いもの。
自分が出来なかったからこそ
お友達や、周りの人には
それを実現してもらいたいと、
物凄く強く思っているもの。

だけど
もういいよ。と言ってあげたくなるくらいの
現状の中で生きている人もいるから
一人は怖くないよ。

ただ、責任が『まんま自分に掛かってくる』ってだけ。

でもその分、自分と、その他最低限の分しかかかってこない
だから今よりずっとずっと楽になるよ。

というのは言いたかったかな。

コメント

  1. >そもそもあんたは、本当に人間なのか?
    ツボった!!!
    しかし、ほんとに同じ人間なのか?!と思うときがありますね。逆に僕がそう思われたりすることも多々あったのだろうけど。
    しかし参考になります・・・(笑)

  2. わはは。ツボリましたか。
    良かった良かった!
    って
    良かったのか??w
    でもほんとにね。
    そこんとこになっちゃうんですよ。
    究極の話。
    あなたは人間ですか?ってね。
    『違う人間』であるのを前提として
    『あまりにも違う人間』でないことを
    お願いしたい。切に切に。っていうね。
    今ね~
    倫理学のリポートに取り掛かるに当たって
    倫理学概論なんていう教本を読んでるのだけど
    価値観は違って当たり前なんだけど
    倫理観は違うと困るのよね。と
    そんなことを思いながらやってて。
    いずれにせよ
    『人間になりた~い』ってとこかなw
    意味わかんない締め方だけどw

  3. どーもです。また来ました。
    というのも、私も離婚組、子供なし。10年たちました。
    今思うと、なんであんなに苦痛だったのかなあと思うけれど、
    一緒にいたことも、今では悪くもなかったかな、なんて思えるんです。
    たしかに、問題のない夫婦なんていませんものね。
    ただ、私の場合、最初から不信感から始まってしまったからね。
    ぬぐえない部分はどうしてもあったわけで・・・
    私も、積極的には離婚は勧めないけど、でも無理は一番行けないと思うから。最後は自分だと思うからね。自分が幸せになることを考えて行けばいいし、その結果が離婚でももちろんいいと思う。
    ひとりで生きてくって、責任あるけれど、自由でもあるからね。
    お子さんいるのも、いいことだと思う。私も1人くらい作っておいたらよかったかな・・・(^^;;・なんて今はね。
    でも、もうすっきり、前向きに生きてくしかないよねって。
    固い話になっちゃった。ゴメン。
    また来ます~。よろしくお願いします。

  4. はじめまして。どんな大変な話もエンターテイメントな読み物に変えてしまうmayteさんの筆力に感動しながら、いつも読ませてもらってます。パープルレインのころも好きだったけど、3121で再燃しているプリンスファンです。
    コメントの欄に書いてあった
    価値観は違って当たり前だけど
    倫理観は違うと困るのよねぇ
    至言です。名言です!また感動しました。日々初対面の様々な考え方の方々と話をしなければならない仕事で疲弊してた心に光が差し込んできました。ありがとう!
    また、遊びにきます。

  5. ご無沙汰しております。
    離婚とはまた別かもしれませんが、男女の違いというのは永遠に埋められないものなのかも知れません。
    >相手も潰したくて潰しているんではない。自分がそう仕向けているってのでもない。私にとってアノ人はダメだった。アノ人にとって私はダメだった。その事実を真摯に受け止める。私がダメなのではない。アノ人がダメなのではない。あなたと私というコンビが結婚して家族となる。という場合はダメなのね。と理解する。
    この部分、本当に共感出来ます。
    夫婦に限らず、親子、恋人、友人、そして職場の人間関係にも当てはまると思います。
    昨年、こんな本を読んでおりました。
    http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/4872902602/ref=dp_change_lang/503-8301963-5951114?ie=UTF8&language=en%5FJP
    作者が女性なので、女性側の視点からほとんど書かれているものですが、男が読んでも興味深い内容でした。
    また漫画で恐縮ですが、週刊ビッグコミックスピリッツ誌で連載中の『ハクバの王子サマ』という漫画(明日発売の回ですが)にこんな台詞がありました。
    「それに昔ほど結婚しろっていう親や社会のプレッシャーもないしな。現に年々結婚率も出生率もへってるし・・・ みんな結婚のメリットのなさに気づいているのさ。」
    「結婚なんて・・・必要性が薄くて金のかかる、趣味みたいなもんだ。よほど好きな女じゃなきゃ俺はゴメンだね。」
    って長々とすみません。
    結局何が言いたいのかというと、他者と一緒に自分を貫いて生きるというのは難しいなということと、もっとシンプルに世間のしがらみから離れて生きていたいなということです。結婚をしたことの無い自分がいうのも何なのですが・・・

  6. 私も10年経ちましたが。
    お互いきっとそう悪くないのに、組み合わせでどうしようもない、とか。
    転がり始めたら、どう止めようと思っても止まるものでもない、とか。
    昨日までそこにあったものが、なんでないんだろう、とか、なんなら私が人として失格なのであろうか、とか(そんなこたぁないハズだけども)
    いろいろあるわけで。
    でも、別れたい人と別れられたという事は、別れるのにとてつもなく苦労しているケースを見ると、ラッキーなことで。
    枷がはずれて、選択肢が増えるわけで。
    いろいろあって、いろいろ考えて、いろいろ選んで、振りかえってそこそこ納得できたら。
    まずまずいい人生だよね、きっと。

  7. 例えば有名人の結婚、離婚についてマスコミや一般の人達もあれは略奪婚だとか年が離れすぎとかこの人は結婚向いて無い等色々批判的なコメント言われますが当人たちはどうしようもない事情でそういう状況になってたりするのでそんな事言わなければいいのにと思います。いい人のなのに2回3回離婚する人だっています。やむにやまれぬ事情があると思います。もちろん1回目の結婚でHappyEndの人もいますがそうじゃない人も沢山いるのが現実です。

  8. >不具合が生じている。という段で話し合いがもたれないとか
    こうなるとどうしようもないです、終わりですね。
    >私にとってアノ人はダメだった。
    アノ人にとって私はダメだった。
    これそうなんですよね~。

  9. mayteさんッ(∋_∈)`ヽ
    本当に貴女はスゴイですね!(>_<)`ヽ
    何があっても味方です! 何があっても~!!
    うわぁーん!
    mayteさん、らぶゅぅぅ~~~!!

  10. ◆hakoさん
    そうですね・・・。
    後悔というか、ああ、今なら違うかもな。とか
    そういう感じってのはありますよね。
    昔より絶対今のほうが、自分も年取った分、寛容になったかもしれない点において。
    私は結婚の時は不信感というのはなかったかもなんですが
    その後の他の人との恋人関係の中でありましたね・・・。
    でもそれも自分のせいって言うか。
    不信感を抱かせるあなたが悪いというより
    不信感を持ってしまう自分が悪かったな~みたいな。
    好きなのに信じられない辛さってのもあって
    あれもなかなかにきつかったのですけど。
    一人でいるのは自由である分責任もあるけど
    そのどちらかってことですよね。たぶん。
    責任とらなくちゃならなくても自由がいいか
    自由に制限が多くなるけど責任を分かち合ってもらいたいか。
    とか言って~
    夫婦だってのに責任逃れされてちゃシャレにならないんですけどw
    いずれにせよ『前向きに』というよりむしろ
    自分が選んだ道なんで、まんま受け止めて生きてくしかないよな。みたいな感じです。
    ◆のぼりんさん
    はじめまして!
    いや~、そう誉めていただいちゃうと恐縮してしまうのですが
    嬉しいです。ありがとうございます(^^)
    そうですね・・・。
    何も結婚や離婚や恋人関係だけにあらず
    全ての対人関係において通じるものですよね。倫理観。
    何しろ・・・『人間であっていただきたい、なるだけ私が接する人は』みたいなw
    で、3121いいですよね~。
    ここ数年のアルバムの中では秀作だと思ってます。私も♪
    『Black Sweat』はフランチェンとかいう
    お笑い芸人の登場テーマになってるしw
    えぃ~お♪
    ◆プリコンさん
    おひさしプリンスです!
    ですねえ・・・
    その『ハクバの王子さま』の台詞は生々しいですねw
    実際、結婚に夢がなくなったというか
    メリットが感じられなくなったというか
    必要性がなくなってきた感じしますもんね。
    本当はその部分もおかしな話になってきてるなと
    私的には思ってる部分であるんですけど。
    人間も生き物ですんで
    生き物ってのは生まれて育って『つがい』になって子供を産んで育てて死ぬわけで
    ただそれだけの営みの繰り返しなわけで
    それからイチ抜けた!って人間だけがアレしちゃうのもどうかな~とか。
    ま、離婚しておいてなんですけどw
    それと、本、面白そうですね。
    いろんな本の検索の流れで見かけたことがある気がします。
    いつか読んでみたいかもです。
    ◆るりぞーちゃん
    うんうん、そうねそうね。
    『終わりよければ全てよし』と赤毛のアンの言葉じゃないけど
    いろいろある中で
    いろいろな選択をしつづけて生きて
    そこそこエエやん。と思えるならば御の字。っていうね。
    つか話変わるけど
    るりぞ~ちゃん臨月で『エイリアンvsプレデター』見るってすごいね。
    私は8ヶ月くらいの時に『ボルケーノ』をみて
    猛烈な張りがきてしまい大出血で緊急入院したのよ~^^;
    だから心配だわ~、大切にしてね~。
    あとちょっとだからね~。
    あとちょっとで幸せを、ぎゅっとお手手にいっぱい握り締めた
    可愛いあかんぼに会えるのだから~。

  11. ◆3121さん
    あ、それ、私も思います!
    それは離婚だとか結婚だとかに限らず
    世間を賑わしがちなバッド・ニュースなどに対する
    無責任な謎のコメンター達のコメントを聞く度に。
    なにかの事象には必ず理由や背景や流れがあって
    簡単に裁くなんておこがましいと思うのです。
    大学の勉強の中で『法学』というのもやるんですが
    それでも法哲学ってのに必ず触れていくんですね。
    ある事件があって
    それに対してどう裁いていくかって言う段で
    哲学的、倫理学的見地もちゃんと入れていくわけで
    簡単に無責任に裁くなどしないんですから
    一番直接的に影響度の高い
    テレビなどのメディアで、軽々しくコメントしないで欲しいな~と
    そう思ってしまうのです。
    元来ニュースというのは
    物事をありのままに伝えるだけに留まるべきで
    そこに主観を入れるものではないと思うんです。
    主観を述べたけりゃ
    自分の番組や、ブログとか、何とか
    『自分のフィールド』ってのを使ってやれよってね。
    しかも『あくまでも自分は、こう思ってしまうのだ』というのを忘れずに行った上で言って欲しい。
    そう思ったりするのです。
    ◆slyさん
    ほんとにね・・・
    それでも『まだ何とかなるかも』『何とかしたいできるだけ』って
    無駄に頑張ってしまうんですけど・・・。
    一旦踏ん切りつけて
    手放してしまえば何てことない全てであるのに
    固執してしまうんですよね・・・そして傷ついて。
    『相手や自分が悪いんじゃなくて~』って
    思えないから執着しちゃうのかもしれなくて。
    難しいです・・・。
    ◆多香子♪さん
    わははは。
    なにをどうなったら『らびゅ~』になるのか
    私にはわかりかねちゃうわけですが
    ひとまずありがとうございます~♪
    私も多香子さん、らびゅ~よ~♪

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