明日15日、世田谷でLGBT成人式があるということを受けて。

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はいはい、みなさんこんにちわ。

ていうか、あけてました、おめでとうございます。

 

今年も月1、2回の更新とかいう

とろとろとんまな感じになりそうな感じではありますが

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて。

 

明日、15日に、世田谷でLGBT成人式が行われるそうです。

 

▶LGBT成人式:ありのままを祝福 世田谷で15日 /東京 – 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20170109/ddl/k13/040/005000c

 

とてもいいことだなあ、羨ましい話だなあ、とか思いつつですね。

 

晴れ着を着たくなくて、ブラックパンツスーツで出た

我が成人式の思い出に思いを馳せつつ

久々に、自分のLGBT事情を語ってみようかな、って思いましてね。

 

 

時は、一昨年の今頃。

 

ボクは大阪まで出向いて

GIDの診断を受けていました。

 

ボクは自分はGIDではないのではないかと思いつつの

診断だったのだけれども

その理由は、ついこの間、15年ほど前までは

自分は女であると信じて疑っていなかったし

持って生まれた肉体に対する嫌悪もないので

それで、GIDではないだろうと思ってたわけです。

 

しかしながら

その時に先生に言われたのは

ボクみたいな40代、それ以上の世代のLGBTでは

「子供の頃から性的違和があった」という人は少なくて当たり前で

 

というのも

我々が子供の頃や若い頃には

LGBTや、性同一性障害、なんていう言葉もなければ

概念も一般的ではなかったため

自身の持って生まれた性別に対して

疑問や違和感を持つ術がなかった人が多くいるのです。と。

 

「なんか違う」くらいは思えたとしても

ボクのように、かえって、持って生まれた性に対して

「女として生まれたからには」と誰に言われたわけでもなく頑張り

その都度違和感はあれど、それが違和感であるとすら認識できず

「なんか変・・・なんか変・・・」と言う感覚すら認識できず

とにかく無闇に頑張ってきた・・・という人も少なくないのです。と。

 

ボクはまさにそれであったので

先生にそう言われて、安堵の涙がこぼれて仕方ありませんでした。

 

そんなボクの幼少時や若い頃といえば

お姫様になりたいと考えつつも

せっかく抜擢されたお姫様役を丁重に辞退して

男役を買って出たり

 

冒頭でも記したように

せっかく晴れ着を着せてくれようとするのに

絶対イヤだとブラックパンツスーツを着たりしていたわけです。

まさか自分がGIDであるとか自覚なしに、ですけども。

 

ていうかね。

本当に、ついこの間、15年ほど前までは

女であることに非常に強く、固執していまして

女として生まれたからには、という意地がありました。

 

女性特権、というのを余すとこなく使いましたし

恋愛も大いに謳歌していましたし

男性とのセックスも、大好きで、存分に楽しんでいました。

 

だけども・・・なにかがとてもうまくいかない。

注 : この、うまくいかないのは

自分がアスペルガーだからではないか?とも考えて

それも併せて診断してもらったんだけども

アスペルガーの生きづらさと

女として生きることの生き辛さとは別物であると診断されました。

 

恋愛などの場面で、結果的にいつも

何故かとても男性に張り合われてしまう。

自分も、男性に対して、言いようのない憤りを感じる。

いつも「馬鹿にしてるんだろう」などと言われたりする。

セックスも主導権を譲らないところなどから

「身体が目当てなんだろう」などと言われたりもする。

 

結婚していた当時も、なんというか

家に二人男がいるような感じになってしまう。

家事などは自分が率先して「女の役目」と頑張っていたけれど

仕事も頑張り、旦那は仕事をやめてしまうなどして

なんというのかな、男の役目を全部奪う形になってしまう。

女のくせに・・・という言葉も幾度となく言われました。

 

て、ここらへんの違和感は

言葉にするとどうも違う感じになってしまうので止めるけども

 

そうこうしている間に、ふと、自分の中の違和感が沸点を迎えます。

そして、ある考えに行き着いたのです。

 

もしかして、自分が男だったら

生きやすいんじゃないか?

 

そこで、インターネット上で

男として振る舞ってみるという試みに取り組みはじめて。

 

 

そして、男として振る舞えば振る舞うほど

物凄い自由なんですね。

誰も疑ってこなかったし

アバターなどで男の姿をしていれば

後は自然に振る舞うだけで、なんでもうまくいく。

対人関係の問題も0にはならずとも

激減して、本当に自由で

どんどん自分の中の男性性が羽ばたいていくようでした。

 

みるみる元気になりました。

それまでなかったような閃きや力が湧いてきて

とても晴れやかに、活動的になりました。

 

特にセカンドライフという仮想空間では

ほぼ完全に男性を謳歌できて、とても楽しかったし

恋愛もたくさんしました。

 

中の人の肉体は女性なんだということも

付き合った人には様子を見ながらカミングアウトして

リアルでも実際に付き合ったりもしました。

 

ボクを、男として見てくれていさえすれば

ボクという人間の持つ違和感は消えてしまうようでした。

 

肉体が女性であるのに

ボクという人間を目の当たりにしながら

それでも男性として見る、接する、というのは

とても大変なことだろうと思うけれど

過去の彼女たちは、ちゃんと男として見てくれて

男として接してくれる人ばかりで、本当にありがたかった。

 

彼女たちは

ボクがボクであることを許されている証。

男としてのボクを支えてくれる存在でした。

 

そんな中、今度は、自分で自分を苦しめ始めました。

 

何かにつけて「女であるばっかりに・・・」と思い

メンズコスチューム売り場では涙がポロポロこぼれます。

着たい服が着れないという辛さで胸が締め付けられます。

他の人の何気ない言葉に傷ついたりもします。

 

本当の男でありさえすれば・・・。

 

この言葉は、ボクの中で何度繰り返されたかわかりません。

 

途中まで、女であることに何の疑問も持たずにいれたのに

なんで気づいてしまったのか。

女として生きていれば、何も問題はないじゃないか。

何もわざわざ男になりたいと思うことはないじゃないか。

 

そう思うのに、男ではない自分が辛い。

 

そして、職場で問題が起き

いよいよ本当に精神を病んでしまいました。

 

女のくせに、男然として振る舞うことが

「生意気」に見え、職場で危険な事件が起きた時に

見て見ぬふりをされて、大怪我を負ったことを発端に

PTSDになり、そこから神経質症を発症。

そこに輪をかけて「本当の男でありさえすれば・・」と自虐。

自分という人間は、嘘をつき不潔で臭いのする汚い存在であると

強迫神経症がみるみる悪化していきました。

 

そんな中で受けたGID診断では(これまで何度も書いてきたけど)

 

確かに、心は男性ではあるけれども

自分の持って生まれた体に対する対処法は見つけられるし

折り合いを付けることができるので

"障害"ではないですね。乗り切れますよ、頑張って。と言う診断。

 

そんなこんなで、ボクのカルテには大きな文字でデカデカと

「性同一性障害」の文字もあるけれど

診断書は出してもらっていません。

 

「本当の男でありさえすれば・・・」と言うセリフと

併せて聞こえる声(幻聴)と

自分は不潔で汚いという思いと

併せて臭ってくる匂い(幻臭)と戦っています。

 

そうして、PTSDや強迫神経症ではなく

最終的には「統合失調症」と診断されて療養中。

 

今は彼女もいなくて

ボクを、ボクであると示してくれる存在がいません。

 

しかしながら、彼女はいなくなったけれど

ボクはボクであるし、ボクであらねばなりません。

 

母も娘達もいます。こんなボクに、上手に接してくれます。

 

ボクは、先生が言ってくれたように

自分の持って生まれた体に対する折り合いを付けるために

なんとしても、病気を克服しなければなりません。

 

 

 

LGBT成人式は、とてもよいこと。

 

成人式で、自分の思う装いができたなら

 

ボクのように

性的違和をこじらせて大変な思いをする人がいなくなる

一つの道となるかもしれません。

 

 

自分のことは、自分の心が決める。

自分の性別すらも、自分の心が決めていいのだと

そう、思うのです。

 

 

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