聖書を読み始めたんだけどもね。

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みなさん、こんばんわ。

おひさしプリンスの投稿であります。

最近読んでいる本がありまして
それがこれなんだけれども

聖書は大学の時に講義の中で触れたり
宗教勧誘のオネイサンから貰ったのを掻い摘んで読んだきりで
すっかり忘れポンチでしたし
キチンと読んだことないってことだな、こりゃと思ったので
読み始めたんだけど、これが面白くて。

この本自体も、掻い摘んで書かれているのだと思うけれど
そして、物語調で書いてなくて
すごく淡々とまとめながら書かれているせいもあって
アダムとエバからの創世記が
んっまあ、びっくりするくらいめちゃくちゃの人間ばかりなのであって

アホみたいなことですぐに妬んだり
妬むだけにとどまらず、殺してみたり
大事な十戒の書かれた版を叩き割ってみたり
どうしても子が欲しいとかで
父親に酒を飲ませ、関係を持ち、その子を産みまくってみたり

自分の子が死んだからといって
人の子を自分の子だと言い張ってみたり
権力に任せて、700人の妻と300人の妾を持ってみたり
人の妻であろうがなんだろうが、いいと思ったら寝てみたり
挙句子供を産ませて、それを出世させてみたり
カオス過ぎるわけです。

そもそもの神様も

ちっとも慈悲深くなどないのであって
んっまーすぐ怒る。怒ってすぐ、神の御業に寄って
滅ぼしたりさせちゃうから、さあ大変。

まだ旧約聖書の部分を読んでいるのだけれども
とにかく人々は自由奔放すぎるというのか
なんしょ、妬む謗る憎むのオンパレード。

あまりにそんなのばかりが続くのでつまんなくなりかけてたところだけれど

ふと、自分自身の過去を振り返ってみて
営業職をやっていたときなどに
ボクなんかよりずっと稼いでいい服着ていい家に住んでいた
先輩営業レディに妬まれて、罠を仕掛けられたりしていたことや
営業職じゃなくても、始終、先輩に罠をかけられたりしていて
何かと妬まれやすい自分だったのだけれども

ずっと、なんでそんなに人は憎んだり妬んだりするのか
それだけに飽き足らず
悪口を言い触れ回ったり、罠を仕掛けたりするのか
ボクはさっぱりわからなかったのだけれども

聖書を読むにつけ、これはもうどうにもならない人間の業なのだろうなあ。
何ていう思いに至ったりしているのでありました。

かくいうボクも
人を羨んだり妬んだり嫉妬したりすることは少なくなく
でもね、それだからといって罠を仕掛けたり、悪口を言い触れ回ったり
そんな下劣なことはしないのであって
そのような自分の中に沸き起こるネガティヴな思いとともに
のたうち回っているだけにすぎないのだけれども

他の人は、いとも簡単に実行に移すんよね。不思議でしょうがなかった。

ところが、聖書によれば
人間というものは、産まれたときからそんなことのオンパレードで
つまりは、その先輩営業レディも、他の意地悪してきた人たちも
『人間だもの』ということでしかないではないの。

びっくりしつつ、何とも言えない気持ちになっているのでありました。

思えば、自分が今の病気になったきっかけも
その『人間だもの』が所以だったとは。

つか、聖書ってこんなだったっけ!?ってなってるんだけど
兎にも角にも、今はその『人間だもの』のところを読んでいます。

◯◯時代、◯◯国の◯◯王が、どーのあーのと
なんだかつまらないながらに
これでもか、これでもかと『人間だもの』を見せつけられて
不思議なもんで、自分の中の何かがゆるゆる解けかけています。

自分の理解の枠を超える妬み方や憎み方をする人を
本質的な部分から、許せる気持ちが芽生えたりしてる気がします。

まだまだ本文の40%に満たない分しか読めていないけど
少しずつ読み進めていくうちに
その『人間だもの』と理想の人間との差異と
『人間だもの』の部分で大いにカオスってる人に対する

メンタル的対処法を学ぶことができちゃうかもしんない。

なんてな。

ちょっと楽しみにしながら、読み進めるつもりです。

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