正義というものに取り組む。その2

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そもそも・・・。
自己啓発本的なものであろうと思って購入したこの本。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
(2010/05/22)
マイケル・サンデル商品詳細を見る

力いっぱい自己啓発本の枠を飛び越え切っており
つか、そゆ類のものではなく
完全に『哲学書』だったのでありますが
それならそうというてよ、もう、馬鹿っ。
とか思いながら、ほんとにちょっとづつ読み進めている。

それならそうというてよって
まあ、お題からして『哲学』って目いっぱい書いてあるので
完全に自分が舐めてたってだけなんだけども
昨日、エントリーあげた時点で
40ページ読んだよ、て書いてたんだけども

まだ
80ページ目にも到達しておらんという体たらく。
時間だけはいっぱい取ってるんだがな!←自慢にならん
読み進めるだけでも
自分にとっては非常に難儀なのであり

なんとなれば
ちょっと読んではまた読んで・・・と
同じ個所を幾度も反芻読みしなければ
頭に沁み込まんのだよ・・・とほほ。

ほんでまた
ちょっと読むと猛烈な睡魔が襲ってくるため
軽く数分意識がないなどという感じで
読んでるのか寝てるのかわからないとかいう
非常にスローリーな読書。
読書っていうていいのか?という感じの読書。

一つ一つは、頭に沁み込んだ段階で
ほほう!となれるのだけど
とにかく遅いわ、読んだそばから忘れ気味で進んでいってる予感満載だわで
ろくなことになってないんだけども
そんな具合でちょっとづつ読み進めていくに
漠然と思ったのは、また本文と関係ないんだけど
同じ哲学書であっても
様々な他の人の理論を取り上げて
それを用いながら比較対象、或いは例題、命題として挙げて
何かを言わんとしていくという形のものではなく
それが理論的に筋が通る通らない
成り立つ成り立たないはさておき
ずば~っと一気に
その人の考えるところを
淡々と述べて述べて述べまくってくれちゃってるタイプの方が
自分は好きらしい。ということ。

確かミスチルの何かの歌の一節にあったんだけど

あらゆる角度から見なければと
そうしているうちに
自分にとって大事なものが、わからなくなってしまったよ。

みたいな、そんなような意味の一節があって
自分はそれの正しい文句は覚えちゃないが
このこと自体は深く胸に刺さってるんだけども
正にこんな感じになっちゃうのである。

あれもこれもと
様々な例題命題に着目して
どれもが『一理ある』となってく。
もしくは逆に
どれもが『そりゃないんじゃないの』となってく。
そんなこんなしていくうちに
結局何だったのさ、どれも通らんじゃないの。
みたいにわけがわかんなくなっちゃうのである。

今現時点において
この本の中で紹介されている
ベンサル、という人の説く理論が
突っ込みどころは満載であるにはあるけど
自分にとっては、結構有効な気がしながら読み進めてる所で
往々にして哲学というのは
そもそも答えがない学問であるから
結局何だったのさ、どれも通らんじゃないの。
となっていってこそ成り立つ変なとこあるわけだけど
自分は過去記事『タイム・イズ・マネーを実感している今』
このベンサルの唱える方向の感じで
ものを考え、文章をしたためたな~と振り返り。

ボクは、このエントリーで
大切な限りある時間を単純に時給換算してみろっていうことを言い
そうすること自体にはいろいろ問題もあるが
とにかく時給換算してみて、それをきっきと浪費させてくれちゃうような人の
その存在ってのは・・とか言うようなことについて書いた。

それを踏まえて
ベンサルの唱える理論は
多分大体簡単に言うと、一つはこんなとこ。

人の望む幸せとか快楽を数値化して
人の望まない苦しみや困難を数値化して
前者から後者を引いて出た数値が
より大きい方が『より幸せである』っつ~ことで
そっちを取っていくのが正しいのではないか?

これは非常に自分にわかりやすく
そうすること自体に
いろいろ問題(例えば感情はどうだとか道徳的にはどうだとか諸々)はあれど
とにかく一旦物事をわかりよく整理するのに有効だと思うし
何より数値で、金銭単位などで
よりよい効果が表れる方を良しとしていくわけなんで
実に理にかなってると、自分には感じられた。

つまり
先にあげた自分のエントリーも
図らずして、ベンサル的な考え方でやってたっていうわけ。

且つ、その際にベンサルは
その幸せや快楽の『質』は問わないのが更に素晴らしい所で
彼の理論における数値化をする際に

例えば
モーツアルトは(一般的に)質が良いとされているものだから高いとか
対して、昨今大人気の初音ミクは
モーツアルトよりは質が良くないとか言うちゃって低めにするとか
そういうことを徹底的にしない。という点が、非常に気に入っている。

とにかく平等な感じで淡々と
言わば情け容赦なくあらゆる物事を数値化する。
そして比較検討して、より良いモノ
より正義であると言えるものを検証・立証する。
これに細かくちょびちょびと
反発が出るから・・・云々かんぬんと
他の理論や反論が書かれてるので眠くなっちゃうんだけど
何か自分の意見を言わんとする時とか
一つの意見を証明・立証せんとする時なんかに
あまりにいろんな人の反論や別見解を聞いて
それも考慮したりしていると・・・
そう・・・眠くなってきちゃうのである。

でもって、今
この本の著者、サンデルさんの言わんとするところは
正直、まったく見えない。←今ココ
で、自分はこの本に興味を持ったのは
そもそも何故だったか?ということを考えてみることに。

自分なりの正義ってのを貫いていこうじゃないの。
それしかないらしいじゃないの。とした時。
その正義を誰より『自分が』信じて疑わないための
自分の中で筋を通し切る方法を知りたい。

ここだったわけです。
それが正しい正しくないはむしろ問うておらず
とにかく自分で好ましいと感じられる考え方、理論。
自分で『これだ。これでいいと思う。これで良しとしちゃう。』と
そう思える理屈の練りっぷり。これが欲しかったわけであり

それだのに今
ベンサルさんの理論が
非常に気に入ったな~と思っているのに

サンデル『この考えイケてると思わん?』
ボク『思う思う!いいねそれ!』
サンデル『でもね。これってこうとも言えるし、こうとも言えるじゃんね。』
ボク『なるほど・・・』
サンデル『それに他の人はこんなことも言ってるんだ。』
ボク『確かにそうだな・・・やっぱだめだね。』
サンデル『でもベンサルは、その件はこうも言うてて、やっぱイケてるよね。』
ボク『うむうむ!そこやっぱイケてるわ。』
サンデル『でもさ・・こういうケースはどうだろう・・』

みたいな問答をやられまくってる感じで
すっかり眠くなってるのである。

お前、何がいいたいねん!!
いよいよそんなしてる間に
だんだん自分の中で
ああでもないこうでもない言うてこます
そんなサンデルに負けるもんか!みたいな気になってきており
より一層、意味のわからない感じが色濃くなってきてるんだけども

とにかくそんな具合で
ちっとも効率よく読み進めてやしないけど
とにかく、読みますよ。ボクは。
腹立ってきたし、なんか!

今ココ
*あらゆる説を取り上げて問答するのが哲学である。という基本にイライラする自分発見。
*ある側面に於いて暴君的であっても
半ばむりくり『こうなのっ!』と言われた方が気持ちいいかもしんない。という自分発見。
*そういえば10歳くらいまでは圧倒的にダメ、と
強く言い教え伝えた方がいいというのを聞いたことがあることを思い出す。
*なんだかサンデル自体との戦いの気がしてきた。

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