この映画は昔一斉を風靡した
ジェンダー問題を真っ向からまっすぐ取り上げた作品。
正直なところ
ずいぶん昔に見たきりで
長らく見返していないのでうろ覚えなのだけど
Twitterなどで
自分が少々強めに唱えているところの
LGBT(レズ・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)に関わらず
全ての人に関わる、愛の謎についての真摯な映画だと思っている。
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD] (2002/09/06) ジョン・キャメロン・ミッチェル、スティーヴン・トラスク 他 |
今回のエントリーでボクが書き記しておきたいのは
自分の持ちえないものを
恋焦がれ狂おしいまでに求める気持ちの話だ。
この映画をざっくり言うと
主人公ヘドウィグは
生まれ持った肉体は元々男性であったが
恋に落ちた人が男性であったことを機に
実の母親の計らいで性転換手術を施したところ
その手術が失敗して
股間に『怒りの1インチ(アングリー・インチ)』のペニスを持った
いわゆる中途半端な女性になってしまった売れないロック歌手の話である。
つまり、残したくなかった小さな1インチのペニスってことなんだけど
ボクは、リアル・1インチペニスの持ち主を知っている。
しかし彼の場合
残したくなかったペニスではなく
欲しくて仕方なかったペニスだった。
そう。彼は、生まれた時は女性だった。
ボクが彼と触れ合うことができていたのは
小学校中学年ぐらいの頃の話で、母の知り合いだった。
彼は物凄い女優みたいな美人と暮らしていて
2人はとてもとても仲良しだった。
ボクはほんの子供だったのだけど
彼らは臆することなく
目の前でも幸せそうにいちゃいちゃしていて
ある時などは、彼が台所に立つ彼女に後ろから歩み寄って
お尻を撫でまわしたりしていて
また、撫でまわされている彼女も
とても嬉しそうにしている様、とか言うのを見ていた。
その時彼女は
後ろからじっと見ているボクに振り返ってこう言った。
『Signちゃん。この人ね。
こんなスケベの癖にね。ちんちんはこ~んなにちっさいの💜』
といいながら
指で指示したサイズがまさに1インチほど。
彼の見た目は
痩せていて小さな・・・ちょっと何かおかしな感じのする男性だった。
子供心にはっきりとは聞いていなくても
ほんとは女性だったんだな、というのはなんとなくわかっていて
でもはっきりとはそれとは認めず
『男の人』として考えていたし、話もしていた。
つまり、まるまんまを受け入れていたんだと思う。
彼の望むまま、というのを。
で、話を戻すと
嬉しそうに自分の彼氏のちんちんが小さいことを話す彼女であったが
それをそばで聞いている彼はどういう反応だったか。
とっても嬉しそうだったのである。
通常の男性は
自分のちんちんが小さいとからかわれたら
非常に残念な気持ちになって
場合によっては馬鹿にされてると思い
怒ったり、深く傷ついたりするはずであるから
嬉しそうにいている彼を見て
びっくりしたのをはっきり覚えている。
でもね。今は、彼の気持ちがわかる。
今思えば
トランスジェンダーであったであろう彼が
どんなにか心からペニスを欲しかったのか、という気持ちが。
どんなに小さかろうと
それは、彼の、ペニスで
それがどんなに誇らしかったか、ということが。
自分が小学校の頃だなんて
物凄い何十年も前のことだから
当時は医学も発達していなかったし
どのような処置をして
具体的にどれくらいのことになってたかは知る由もないし
2人の中でどんな会話や流れがあって
そうすることにしたのかも知らないけれど
二人でそう言って
くすくす笑いながら嬉しそうにしていた様子は忘れられない。
LGBTのカップルも、様々なパターンがあると思うし
それぞれの望む形というのがあるはずだから
皆が彼らのように考えるとは思ってないけど
オカマちゃんであれ
オナベであれ
トランスジェンダー、GIDという人達は
欲しくて欲しくてたまらない物の最たるものに
ペニスやヴァギナ、おっぱいだったりがあると思う。
そして、人によっては
憎々しくて仕方ない生まれ持ったそれらがあったりするのだと思う。
そして、そのようなことを理解できないとか
気持ち悪いと感じるとか
良くないことであると思ったりとかする人達が多いだろうということもわかる。
しかしこれはすごく単純に
胸の小さな女の子が巨乳に憧れたり
一重の人が二重に憧れたり
背の低い人が、背が高くなりたいと望んだり
自分は不細工だと思う人が
美人やハンサムになりたいと望んだりする
それと同じことと思う。
ただそれが『性別』というものに触れる部分だから
その人の社会的な位置づけや、生き様などに
深くかかわってくることであるから
猛烈に苦悩するし
非常にセンシティヴで深い問題になっちゃうだけで
基本はシンプルに
自分の持ちえないものを
恋焦がれ狂おしいまでに求める気持ちなのだ。
ということと思ってもらえることができるなら
もう少し理解がしやすくなる気がする。
この映画の主人公ヘドウィグのペニスは、怒りの1インチだったけど
ボクの知る1インチは
確かに、愛の1インチだった。
だからなんだっての?ってのは
そんなの変だよ。とか
そんなの良くないよ。とか
そんなの自然に反しているよ。とか
なんでもいいけど
かる簡単に拒絶したり、蔑視したり、否定しないで欲しいってこと。
すっかり理解しろとは言わない。
でも、少なくとも
あなたが自分の肉体的コンプレックスを持ち
それが良くなることを少しでも望んだことがあるのなら
もっと綺麗になりたい!
もっとイケメンになりたい!
もっと痩せたい!
もっと背が高くなりたい!
なんて、思ったことがあるのなら
そして、少しでもそうなれるよう努力したことがあるのなら
心の底から、女の肉体になりたい男や
男の肉体になりたい女の気持ちも
きっと全然わからない、なんてことはないはず。
それとこれとはレベルが違いすぎる、なんて
どうか思わないで欲しい。
確かに次元が違う話だとは思うし
宗教的なことや
人類の歴史的な見地みたいなとこからみたら
やはり、異種ってことなのだろうと思う。
基本的に、タブーであるとされてることもわかる。
神様から授かった身体。
お母さんがお腹を痛めて産んでくれた身体。
そのままを大事にするべき、というのも、正しいと思う。
けれどもね。これから世界は
こういう意味でも、多種多様になっていくと思ってる。
また、そうなっていかねばならないという
そういう空気が全体を包み込み始めていると思ってる。
だからこそ
これからボクらが注意していかなくちゃならない事ってのは
とてもとてもたくさんあるんだってこと。
タブーとされているからこそ
ロールモデルがほとんど表立っていない今から
できうる限り心づもり、準備しておいた方がよいと思うこと。
本当にたくさんたくさんあって
そしてこれは、なにもLGBTの中の肉体改造をした人だけでなく
みんなみんなに、知らず知らずのうちに
ありとあらゆる方向から密に関わっているのだよ、というようなこと。
そういうようなことを
ボクは言いたいのだけど、また今度。
それこそ・・・その
愛の1インチの彼は、今頃どうしてるかな。
きっと母と同じくらいの年齢だから
その、1インチに大きな変化が出ている頃のはず。
元気にしてるといいな。
今でも二人、仲良くいちゃいちゃしてるといいな。
コメント