宗教というものに対しての考察。

Love & Soul
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どうもどうも、こんばんわ。ボクです。

突然ですが、宗教とかというものに対して
ボクがどう思っているかということを記しておこうと思いまして。

例えば、カルト宗教というのがあるけれど
それの何が悪いって、沢山の「禁忌事項」があるからじゃない?と思ってて。
何もカルトではなくても、多くの宗教に必ずと言っていいほど
「禁忌事項」というのがあるんだよね。

やれ肉を食べてはいけないだ
やれタバコを吸ってはいけないだ
やれ女性は顔を隠さなければならないだ
やれ輸血はしてはいけないだ
やれ同性愛はいけないだ
やれ占いはいけないだ
書き出したらもうたまらんくらいに、いっぱいあるでしょう?

そうやって、信者を縛って、囲って、我が物にするというような
つまりはそういうことなんだろうけど

一番良くないことに「他宗教を認めない」「一神教」てあるでしょう?
そーゆーのやめよう?って思うんだよね。

よそはよそ、うちはうち。
みんな違ってみんないい。

そうやって思うようにすることを軸としなければ。

他所の宗教は、うちの宗教で禁忌とされてることが認められてる!
奴らは邪悪である!今すぐやめさせるべき!滅ぼすべき!
などとなっていったところが、戦争になるわけで。

これはとても悲しい話です。

今現在も起きている戦争や紛争。
どちらも正義の為に戦ってるはずなのに
実際の現地では、耳を疑う、目も当てられない
非人道的な極悪卑劣な蛮行が行われていたりする。

宗教というものは、本来、神聖なものではないのか。
それぞれの思う「神様」を大事に思い、感謝をしながら
毎日を大切に生きていく。

これが大事なのであって
自分らの宗教とは違う別の宗教の教えを叩くことではないはず。

また、先にチラと書き連ねたような「禁忌事項」を守らない人を
強く弾圧したり、差別したり、絶対!と言って守り抜こうとして
大切な家族を失ったりすることではないはず。

実を言うと、ボクは、前々からとある宗教に興味を持っていて
聖書通読もしつつ
その宗教の読み物を読んだり読まなかったり
いろいろ検索して、調べたりしていて
すごく良い考え方であるし、すごく良いシステムも持ってるなと思うのに
ボクは、それを選べないのです。

なんとなれば
ボクはノンバイナリーで、女性の肉体だけれど女性を求めていて
タバコも吸うわ、コーヒーも飲むわ、肉も食べるわ
何なら何でも食べたいのであって
且つ、クリスマスも正月もお盆も誕生日も祝いたいわ
いろんな宗教哲学に対しての興味もたっぷり持ってるわで

もうもう、絶対的に、自分は宗教というものに混ざれない。

ボクが思うのには、神様はみんなに平等に手を広げているのであって
神様がいない宗教であっても
みんなに平等に門口を開いていなければ
どんな立派な教えも経典も本も、矛盾が出まくっちゃうじゃん?と思うのです。

世の中のみんなみんなと仲良くすることができない、これは摂理だけど
それでも世界平和を願いたいじゃない?
その場合、あれはダメ、これはダメ、というのが
あまりにも多かったり、当てはまらない人を弾圧したりしてたら
決闘だーーーーー!
ってなっちゃうでしょう?

自分と違う人が、自分の思いどおりにならないからって
ひどい言葉を投げつけたり、なんだかんだ戦争だって言っては
酷いやり方で傷つけたり殺めてしまったり。

ボクは、それが本当に悲しい。

何かことが起きるってーと争う人たち。弾圧する人たち。
もう一度胸に手を当てて考えてほしい。
それは本当に「許されている」と言えるかどうか。

宗教に限らず、推し、と呼ばれるものもそう。
「推しが尊い」だけではダメなのか。
「推し」は「かくあるべし」みたいなものを押し付けてはいないか。
「推し」以外のものに対して、良くない態度になっていないか。

もう少し落ち着こう?

お天道様はいつでもボクたちを見ているよ。
今現在は、SNSなどで、自由に何でも自分の思うことを発信できるけど
それは、本当に、言って良いものなのかどうか。
面と向かって、その人に、まっすぐ目を見て言えることなのかどうか。
その発言、ボクが言いました!と胸張って言えることなのかどうか。

みんな優しくなあれ。みんなは本当は優しい心を持ってるはずだから。

ボクはそう、信じたいと思う。できるうる限り、ね。

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