唐突に自らを殺める、という行為に関する個人的意見。

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まあ、いろいろあるとは思うんですが

唐突に、自らを殺める。
すなわち『自殺』というものに対する

ごくごく個人的意見などを述べてみる試み。

自分も相当コレまでに
死にたい、ですとか、死んでもかまわない、ですとか
なんならむしろ殺してくれ、ですとか
そんな風に思ったことはあるわけなんですが


自分の本当の身内、親戚にですね。
とてもとても綺麗で憧れのお姉さんがいたんです。

いつもにこやかに優しい笑みを湛えて
本当にいつも綺麗でおしゃれで素敵なお姉さん。

自分はそんなお姉さんがいる
我が故郷を離れて久しいのですけれども
自分が歳をとり、様々な経験をしているのと同じに
やはりそのお姉さんも、様々な経験をして
いろんなことになる中で

アルコール中毒になり
且つ、重度の鬱になってしまい、離婚して
実家のおじさんおばさんなど総動員で(法律的に)戦って
自分の娘をなんとか引き取って
その実家に戻ってきてなさる。というのを聞いていたんだけども

それでも、自分が戻ってお宅を訪ねた時は
多少やつれてはいるものの
昔ほど着飾ってもいないものの
やはり美しく、優しい笑みを湛えて、素敵なお姉さんでした。

重度の鬱であるとか、まるでわからないほど。

事実、鬱であるとか鬱でないとかのボーダーラインは
よほどの状態でない限り、実にわかりづらいもので

誰でも失恋したり、あまりにも巨大な不幸が襲ったりすれば
激しく精神的バランスを崩してしまい
鬱状態に陥り、場合によってはそれが長引くこともあるし
酷い騒ぎを起こしたりする人もいます。

でもそれは『鬱病』というのではなく
言わば『今はとても精神的ダメージが酷くてバランスを崩している』
という状態であるにすぎず
時間の経過による薄まりとか
その問題の解決策が見つかったとか
他に気持ちを向けることができるものがあったなどなどで
『正常な状態』というのに戻れたりするわけで

それと、完全に『鬱病』というのに侵されている人とは
どうやらとっても違うのらしいわけですが

何度も自殺を繰り返してきたらしいところの
そのお姉さんは
いわゆる『自殺失敗』『未遂』に終わるたびに
心配する皆に対して

申し訳ない、申し訳ない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
もう二度とこんなことはしないからね。というて泣いて

微笑みながら、傍目には優しく毎日を過ごしつつ
やはり何やら苦悩は抱え続けており
また、自殺しようと繰り返してきたわけですが

ある日、みんなで楽しく夕飯を食べ
テレビを見て、気持ちよくお風呂に入って
にこやかに、快活に『おやすみー』というて各部屋に戻り

喉を掻っ切って死にました。

いよいよ、本当に、死にたかったのだろうと
それほど、辛かったのだろう。と
皆は思ったわけですけども

何度も自殺を繰り返し
よほど死にたかったのだろう。
何もかもが嫌になっていたのだろう。
何もかも、何の慰めにもならなかったのだろう。ということで
死ねて良かったね。すら思うほどだったのですが

その時の現場の惨劇状態も大変なもので

しかも、第一発見者は彼女の一人娘であり
自分の部屋のすぐ隣の部屋で
あ~!ともギャー!ともなんとも声もあげず
喉を掻っ切って死んだ母を見て卒倒し

それ以後、口がきけなくなりました。

それは
死に方がどうだ、とかいうことではなく
また、死ぬ場所がどうだ、ということでもなく
自殺する。ということは、そのようなことである。ということを
言いたいわけなんですけども

自分の命ですから
どのようにするも勝手。ってのも、そらあるでしょう。

そして
言葉に出来ない苦悩や葛藤で
自分でも何が何だか分からないけど
とにかく死んでしまいたい。と、強く強く思い願い
そしてそれを実践せざるを得なくなるほどの
精神状態、錯乱、混乱、というようなことも、あるのでしょう。

がしかし

自らを殺める。自殺する、ということは
圧倒的に重大で、シリアスです。

自分はね。死んだあとどうなるかわかんないです。
死後の世界たるやがあるのかどうかもわからないし
そこが楽園なのかもしれないし
なにしろ、この世界ではないところに行くとかいう話かもしれないし
地獄ってのなのかもしれないし

そこらはわかんないから、もう本当にどうでもよくて

ただわかっているのは
死んだら、生きてる人達とは『さようなら』てことで

まだ生きている家族や友人や恋人や伴侶などに
恐らく触れることもできなければ
何かあった時に力になるなんてこともできないのかもしれなくて

だとすれば

自分で自分の勝手で『あっち』に行くってのは
こちらの皆さんを『捨てる』ということになるし
これから先の自らの『可能性』も捨てることになるし
もったいないやら
無責任な感じがするやら

なんというていいかわかんないんですが

少なくとも
残っている人は『あなたなしで』生きるわけで
しかもその上『自殺しちゃったあなた』を心に抱えて生きるわけで

それって、かなりヘビーなことだし
言葉悪く簡単に言うてしまうと、もっそい迷惑です。

とかいうてもね。

たぶんもう、そのようなことを実践してしまう人ってのは
そういうこともなんもかんも
ほんっとにど~でもいいし。だってどうにもできないし。
どうしろってのさ?てなことで
実践するのでしょうから

自分の親戚のお姉さんもそうであったように
本当に死ぬときは、死ぬんでしょうけども

死なないでほしいと願ってしまう周りの人の気持ちや
心配してしまう周りの人の気持ちを
踏みにじるようなことは、言うて欲しくないです。

よくわかんないけど
親戚のお姉さんは、そこは、ちゃんと守ってはったと思ってます。

心配させないように
出来うる限り無駄に気を使わせないようにと
本当にありえんくらいにニコニコしている人でした。

幾度もの自殺未遂の度に
みんなにごめんなさい。ごめんなさい。
みんな心配してくれてありがとう。
もう二度とこんなことはしない。と言うていたと聞いています。

またそれこそが、その我慢や気遣いこそが
皮肉にも
彼女を死に至らせた部分でもあるのでしょうし

喉を掻っ切って惨劇を繰り広げるというような
最悪の状態で
命を言わば『粗末にした』感じで亡くなった人で
二度とこんなことはしない、と言うていたのも
すっかり嘘っぱちで
皆のことを『欺いて』死んでしまったわけですけども

それでもね。
少なくとも、お姉さんはとにかく
みんなに対して『うるさい。ほっといてよ。』なんてことは言いませんでした。

辛いのよ、と泣くこと
はあっても
最後の最後まで、自分以外の人を損雑に扱うことになるような
暴言は、吐かなかった。

たぶん彼女は
力いっぱい正気の状態で
喉を掻っ切ったのだはないかな、と思います。

もしかしたら、掻っ切る寸前まで
にこやかに微笑んでいたのかもしれません。

回りの人を気遣うことができていたのですから。

だから、本気で『鬱病』とかなんとかで
精神を摩耗させて、混乱しきって、錯乱して、
そのようになった人、そのようにしたいと願う人とは
また違うのかもしれません。

また何が言いたいのか分からなくなってきましたが

たぶん自分が言いたいことは
ネットができたり
手紙が書けたり
人と話をすることができるなりするのであれば

『実はあんたも、正気なんだろ?』てことかも知れないです。

正気で『勝手にさせてよ』とか『死ぬのは私の自由』とか
そのように言うてるならば
もうしょうがないよね。ということかもしれません。

ほんとに、うまく言えないのですけども。

自分は死にたいとか
生きてる価値もないとか
そらもう、しょっちゅう思っているけども
実践する根性もなければ、強さもないし

まだまだ『正気』ですから
残る人のこと考えちゃうし、痛いの怖いし
とてもじゃないけど、死ねません。

ほっといてもいつか死ぬというのだけは『絶対』であるから
その時を待ちつつ
それまでの時を、少しでも楽に楽しくやって行こう。と思うだけ。

ずっと苦しむってのは・・・
結局のところ、自分で苦しんでるだけだろうし。

何もかもを失って
お外で暮らしていたりする人でも
爽快に晴れた空を眺めて冷たい水を飲んだ時
気持ちが良かったりする。きっと。そしてそれは
小さいながらも『幸せ』だったりする。

具合が悪くて悪くて
気持ち悪いやら痛いやら
ごはんも食べれないやらで
『うんもう、いっそ殺してくれーー』と思ってる人もいる。

もうもう、いろんなケースを思いつく限り
アレコレ思えば思うほど
決してひとくくりにできるものではないのだなと確信するし
それほど、生死というものは
重大で、シリアスなのだよな、と思う。

どんなに恵まれた『環境』にいても
本人がそれを認知して、理解しきっていなければ
何の価値もないことばかりだろうし

回りの人の優しさも思いやりも気遣いも同じことで

それを認知し、理解し、ありがたいと捉えられなければ
全てなにもないと同じ。
むしろウザいだけなのでしょう。

だから、確かに『死ぬのは勝手』になのだろうと思うけど

正気の部分が残っているのであれば
その他の人に暴言を吐くというような醜態だけは見せずに
美しく散っていただきたい。

もしも自分なら、そうしたいと思う。

まあ・・・本当にそれを
『正気であるのに』実践してしまうというとこまで
至ったことがないから、言うてるだけなんでしょうけども。

自分が昔、自殺未遂をしたらしい時は
意識なかったですから。
わかってなかった。今も信じられないし。
そんなことをした。なんて、本気で覚えてないし。

故に

未遂に終わったことが良かったのか悪かったのかもわからないし
そんなことをしたことがあると、ずっと後に聞いて

『うわ~!マジで!ごめんね!心配かけたよね!』

くらいのもんだったんだけども

ネットができる、手紙が書ける、対話ができる。
これはすごく大きいんじゃないのかな。
意識がある、記憶がある、会話が成立している。
これはすごく大きいんじゃないのかな。

ほんとに、これらすべて、自分の考えだけで
それこそ無責任に言うてるだけで
本当に申し訳ないけれど

そんな感じで
自分が思い感じるところの『正気』と思われる人が
人の好意につばを吐くような
人をなじるようなことを言うような場面を見るというのは

自分には、無理です。申し訳ない。
もう見たくないと思ってしまいます。
自分の感知するべき、関わるべき域は超えた。と思ってしまいます。

且つ、このような中途半端にまとまりきらない文章を
ネットという公共の場にあげてしまうというような
無責任な感じになってしまったことも、申し訳ないです。

ですが、記しておきたかった。

死ぬのは勝手です。その人の命、その人がどうしようと自由です。
きっとそれは、本当にそうなんだろうと思う。

だからというて
どんどん死ねばいーじゃん。なんて言えるわけないし

そうする
そうせざるを得なくなる時の気持ちもわかりません。

きっとみんな多くがそう。

世の中の誰かが苦しんでいたり
世の中自体が狂ってきてたりしてるかもだけど
とりあえず、今お腹すいたな~とか
あ~明日仕事だよ・・・きつ~・・とか
今度の約束何を着て行こう~♪とかの方が重大だったりね。

そこら辺に絶望持たれても困るし
どうせ私なんかどうでもいいんでしょなんて思われても困るし

ああもうほんとうに。
どんなに言葉を重ねても、思いを記し切ることなどできませんね。

自動的に死に至る時はくるんだから
その時まで、待てるもんなら待っていただきたい。

なんか、まとめようがなくて
こんななっちゃって申し訳ないですけど

とにかく、わざわざ死ななくていいじゃんと
そんな感じなだけなのかも。

目の前で死にかけてる人を
止めずにいれる人ってのも、ないと思うし。
だってたぶんこれ、ほぼ本能に近いとこだと思うし。

そこを止めるなよと責めるのはね。
それは違うよね。
だってそれ物凄い相当な無茶ぶりだよね。と思うよという話でした。

コメント

  1. 私も鬱で入院していたんだ。。。退院してきたばかり。^^;
    今は、「死にたい」とは思わなくなったよ。。。

  2. おお!ありんこさん!
    おひさしプリンス。
    そうか・・・鬱で入院してましたか。
    大変だったね・・・。
    でも死にたいと思わなくなったのは、きっと良いこと。
    のんびりいきましょう!

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