生まれてすいません。

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少し前にふと手に取ってみた映画。
太宰治の著書の映画化したものだったんだけど
特に自分的には
ほんとに、ふらっと手に取った感じで
何かを求めてチョイスしたわけではなかった。

しかし・・
見たら、すごく良かった。(しかもアマプラで見れます)
どうしようもない(太宰本人かのような)男とその妻の話だけど
妻が素晴らしかったとかなんとかじゃなくて
ただ生きてるだけでいいじゃないの。
というテーマが素晴らしくて。

ほんとはそれがテーマではないのかもしれないけど
少なくとも自分にはそう思えた。
あまりにもどうしようもない男。

でも文才はあるのらしくて
その不必要にロマンティストでメランコリックで
精神がおおよそ激しく脆弱なところが
何故か、世間にウケていて
『先生』なんて呼ばれている。

そんな夫に惚れ切っている妻。というより
ただもう、生活。
この男と自分と息子の生活。

これを保持するために生きているような女で
これを保持していくためなら
なんだってするみたいな
ど根性があったりするのだけれど
世間では『先生』なんて呼ばれているのに
電車の中づり広告なんかに
新刊発売!なんて、でかでかと載ったりしている夫なのに
どうしようもない貧乏で
とにかく・・・なにもかもがどうしようもない。

孤独な女といい仲になって
心中未遂をしたりする。
妻はちっともおいしい思いなどしたことがないかに見える。

しかし、とにかく生活を守る。
それを愛というのかもしれない。夫婦愛、なのかもしれない。

それにしても

あまりにもうまみのない結婚生活。
今の世の中
老若男女問わず『うまみ』を探して
奪い合って、競い合うのに忙しくて
等身大の『生活』を営むことの大切さなんか見ていない。

セレブ婚?玉の輿?逆玉?
甘い生活?甘い言葉?
幸せの定義が
物理的な豊かさやおとぎ話のような甘さでしか測れない。

しかし彼女は圧倒的に違う。
時代が違うじゃない。といえば話は終了だけど
『毎日滞りない生活』
これだけが、彼女を幸せに包む。彼女を安心させることができる。

生まれてすいません。と思いながら生きてる男と
私たちはただ生きていればいいじゃないですか。という女。

多くを求めない姿が素晴らしいというのではなく
どんな状況であっても
男に付いていくということが真の愛だ、なんていう
綺麗事を言いたいのでもなく
ただ・・・
生きる。ということを描き切っているように見えて
そこに心を強く動かされた。

かく言う自分も
物理的な豊かさがのどから手が出るほど欲しいし
(しかもでかい金ほどいいとか思ってしまうし)
甘くスタイリッシュな世界の中で生きたいと願い
かっこいいこと言って
それを全て成し遂げたりなどして
心に決めたパートナーや子供を
誰もがうらやむ幸せ者にすることで
自分も幸せ。みたいな
そんな絵空事みたいなことを『幸せの定義』の一つとして持っている。

でも最近本当に思う。
生きてることが辛いからって
人間簡単に死ねやしないらしいから
命が尽きる時、死んでしまう時ってのが来るまでは
なにしろ生きなきゃならんのよ。みたいなこと。
傍から見たらネガティヴな考え方に見えるだろうが
自分にしたら、めちゃめちゃポジティヴなつもりで。

うまくいえないな。やっぱ。
とにかくね。生きるのよ。我々は。
死んでしまうまでね。とにかく、生きるの。

生きるってのは、暮らすこと。
食べること。
精神衛生をなるだけ正常に保つために
自分の心身の手入れをすること。
不必要なものは捨てること。
よく眠り、よく働くこと。
やるべきことの最低限を、きちんと、滞りなく繰り返すこと。
幸せかどうかなんてのは、きっと結果論なんだと思う。

ただ生きて、生ききってから、幸せだったか。
死んじゃうんだから、幸せだった?の問いに答えられもしないんだろうけども。

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