さよならなんて言えないよ。

LGBTQ
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どーもどーも、こんばんわ。ボクです。
前フリ無しでどんどん本題に入るんだけれども

ボクという人間は
様々なプロフィール項目を持ってて
その中の一つが「女体の男」というやつで
つまり、LGBTのT(トランスジェンダー)であって
それって所謂、性的マイノリティーってのなんだけども

その中でも

ホルモン剤投与や、性適合手術というような
肉体的に男に近づかせたいってところまでは希望せず
生まれたままの身体で、心は男なんだという
なかなか立ち位置決めづらい
人生をパッキリさせづらい
そういう類のFtMなわけなんだけれども

自分の性的アイデンティティの基軸が
「心」という見えないところにあるもんだから
自分でもゆらゆら揺らぎっぱなしなのであります。

例えば

ボクに彼女がいた頃は
彼女の言うてくれること、接してくれるアレコレにより
また、彼女がそばに居てくれているということ自体が
自分が男なんだということの証明みたいなとこがあり
性的アイデンティティは随分安定していたけれど

別れてから、彼女がいることによる
性的アイデンティティが脆くなって
自分が「自分は男である!」と
しっかりと自分で認識できなくては保てなくなってたり。

しかし、それはそれとして

3月から勤め始めた職場では
自分の担当部署の同僚二人に、さらっとカミングアウトして
びっくりされたけど「かっこいい!」くらい言われて

「てなわけで、なんか質問ある?」と言ったら
たくさんキャッキャキャッキャと質問されて
どんどん質問に素直に答えて、そんなことを経て

さいんさんは、女体だけど男だ。

という位置を確立。

それでなんとか首の皮一枚で性的アイデンティティを保ててて
それでも時々、ゆらゆら揺らいで
ズドーンと抑うつ症状に落ちてみたりみなかったり
今くらいの認知度で十分じゃね?と思ってみたりみなかったり
実にふわふわ、ゆらゆらだったりしたのだけれども

そんな中、昨日ツイッターでツイートされてきた記事

▶「LGBTさん、さようなら」 同性婚の牧村朝子さんが宣言、その真意

この記事を読んで、強烈な違和感を感じたボクでした。

この記事自体には、ボクは、概ね同意という感じであるにも関わらず
何なんだろう、この違和感は・・・と。

そしてしばし考えてみたところ
「さようなら」という言葉に違和感を感じている気が。

「さようなら」という言葉を使っているから
牧村さんの場合であれば、まるでレズビアンを止めますと
言うているかのように(ボクが)感じたんだろうということ。

そんな簡単に止めるとか止めないとか
そんな話じゃないだろ?!みたいに感じたってわけです。
そうではなくて「LGBT」という括りとさようならということであるから
違和感感じる必要はないんだけどもね。

また、牧村さんの場合はタレントであるから
LGBT当事者であるというプロフィールが
仕事の幅を狭めてしまうというところもあったと思うし
そういうことからも、この脱宣言が必要だったのだろうなとか。

また、同性婚も実現させていた方だし
性的アイデンティティは
ボクなんかよりずっと安定してるのかもとかも。
安定してなきゃ「さようなら」なんてできるわけないもんなーとか。

そんなこんなで「あなたはそれでいいかも知んないけどさ」
とか、いろいろ思っちゃって

結果、ちょっと拗ねちゃったのでありました。

でも、先にも書いたけど
コンディションのいい時は
今くらいの認知度で十分じゃね?って思ったりするくらいだから
生活の、性別における社会生活のQOLが十分満たされるようになれば
「さようなら」と言えるのかもしれないな。

ていうか、「さようなら」言いたいよね。理想は。

同じトランスジェンダーの人たちの中でも
例えば、ホルモン投与だけで
十分に見た目のパス度が上がって
自分の望む性別で生きることが困難でなくなれば
性適合手術まではやらなくていいかな・・・となる人も少なくないし

つまりは、そういうことなんだろう。なんて思ったよ。

てなわけで

今はまだ、ボクは、さようならなんて言えないけれど
そのうち言えるくらい、安定できるといいなと思ったのでした。

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