ただ生きる。~ 皇帝ペンギン ~

House Keeping & Life
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ああもうまんまと
ここを放置してしまっていたのだけれど
書くことがないというのではなく
思うに、Twitterがあるのがよろしくないね。

あっこで140文字以内で何やらつぶやいて
多く語りたい時は連投などして
誰も読んじゃないだろうが
迷惑顧みず垂れ流しまくって
それでなんとなく有耶無耶になってしまうのであります。

きちんとこのように
文章として思いを綴るほうがずっと
本来の目的を叶えるものであろうなのに
まー、なんとなくだらだら垂れ流しで
気が収まったような気になったりしてて。

そして唐突に本題なんだけども
前に見た『皇帝ペンギン』という映画のことが
頭に浮かんできて仕方ないという時があり


これを見た人は恐らく
各々の捉え方をしているわけだけども
自分としては
ただとにかく生きている命としての
ペンギンたちの姿であって
生きて命をつなぐことだけで
その人生は綺麗に完結していて
相当過酷であるにもかかわらず
余分な欲などがない分
非常に潔く迷うことなく生きていて
それがとても・・・かっこいかったのであります。

あのように・・・
如何なる過酷な運命と状況の連続であっても
ただまっすぐに生き命をつなぐことだけでいられたなら
どんなにか幸せかわからないというような。

一方、ボクというのは、人間として生まれて
しかも文明の発展した日本という国に生まれて
なんというのか、脳みそが余分な発達をしてるというか
余分な感情を生む器官や仕組みが形成されているというか

文明って・・・なんだろう。
文化って・・・なんだろう。

世界のあちこちで
主に悪さを企てまくったり実行しまくったりしてるのは
文化や文明がある程度以上発達した国の人間だけじゃあないか?

って、どこぞの遠くのお国の見知らぬ地域の
原住民的な人達と触れ合ったことがないから
あくまでも想像の域を出ないけれども
人間として『野生』に近い感じで
生まれて生きている人達というのは
おおよそ余分なことは考えないで
たしかに野蛮ではあるだろうけれども
それですら、野蛮であることは野生であることで
自然のことであるからOKというか
知りもしない遠くのお国との『国交』だとか
自分の国の世界における立ち位置云々だとか
そんなことなど考えもせず
ただ朝起きて、食べて仕事して寝ているのに違いなく

けれども、ボクらは野生ではないので・・・
そのように究極的にシンプルに生きられなくて
そう言う意味ではとても弱体化しているといえるのだろうけども
それなのに何故か優位に立っているというか
何が言いたいかというと

欲望のために不必要な殺生をし続けているボクらは
とてもとても罪深いのではないか。というようなことで

けれども鼻から弱体化した感じになっている以上
文明や文化の中に生きるしかなくて
その中で ”より快適に安全に生きる” という一択なのであって
これはこれで・・・
あの潔く究極的にクールな生き方をしていた
皇帝ペンギンさんと同じっちゃ同じなのかな。

せいぜい自分にできることといえば
余分な殺生はしないでいよう、とか
故に手に入った食物はなんでも美味しくいただこう、とか
自分の生活を成り立たせること以上に
金を稼ごう、物を買おう、なんてことをしないようにしよう、とか

そうするとおのずと
トータル的にダウンサイジングすることになっていき
断捨離!断捨離!なんて思うのだけれども
この断捨離の大変なことときたら。

ボクがこのような謎の病に侵されているというのも
あまりに欲が深く身の程知らずに
あれもこれもと手を出しまくったツケが回ってきているだけに過ぎず

その結果、気力体力を極限まで使い切って
ちょいと動くだけで疲労困憊して寝込んだりするというような
ミニマムな人間になってしまったと。
そんな風に考えている毎日。

ミニマムになる前に気づくべきだったのだろうけど
あまりに気づかず横暴な暮らしをしていたから
いよいよこんな風になってしまったのだと。

自分が「治る」という日が来る時はきっと
とてもとてもダウンサイジングがうまくいった時なのだろうな。
そんな風に思う。

皇帝ペンギンのように
ボクにはボクの必要十分の人生、暮らしというものがあって
そこまでサイズダウンできなければ
ボクの身体はずっとサインを出し続けるのだろうな、と。

コメント

  1. 只今ものすんごく時間をかけて読んでる「銃・病原菌・鉄」って本とリンクしたでございます。
    はろー、マイさん。

  2. おー!面白そうな本読んでるね!
    はろー。

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