身の丈にあった暮らしという概念の罠。

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やーどーもどーも、こんにちわ。

久しぶりの更新であります。ボクです。

 

やーね。いろいろあるんだけどね。

ブログに記すゆとり?気迫?気分?ってのが

なかなかわかないのが実情でして

月に1回~2回の更新になってしまうんだけれども

皆さんはお元気でいらっしゃいますでしょうか。

 

って、皆さんって誰やー。

見てくれてる人がいるのかおいー。

 

というのは考えないことにして

 

今日は「身の丈にあった暮らし」という

いかにも良さげな言葉の罠について

語っちゃおっかな、なんて思っています。

 

 

かくいうボクは

 

長い間、そう、実に長い間

とは言えここんとこ10年くらいかな?

この「身の丈にあった暮らし」という概念を

非常に好いものとして

自分の実生活の基盤として?捉えていて

「そのように」暮らしてきたつもりなんだけれども

 

よくよく考えたらさ。

 

ボクなんかみたいな貧乏極まりない人が

「身の丈にあった暮らし」を実践してたら

 

ずーっとずーっと浮かばれなくない?!

 

と、思い立った次第。

 

 

具体例でいうと

 

ボクは、海外旅行というのをしたことがありません。

したくないわけじゃないのに、です。

 

なんでしたことがないかと言えば

まあ、お金がないからなんですけども

なんでお金がないかというと

海外旅行に行くためのお金がないということで

 

「身の丈にあった暮らし」という概念を基軸に

海外旅行なんて、身の程知らずでしかないじゃんかよ。

ボクはそんな身分じゃないじゃんかよ。

なんて言うことを思ったりして

海外旅行に行きたいー!と言うたりはするものの

海外旅行に行くなんてのは

「身の丈にあっていない」ということで

そのための支度準備をするという段階から

ちっとも取り組んでいなかったわけです。

 

これと同じような理由で

フォルクスワーゲン・ビートルに乗りたい。というのも

身の丈にあっていないというようなことから

ずっと避けて避けて、日本車に乗り続けていたけれど

 

ボク、去年末にいよいよ

ニュービートルに乗ることになったでしょ?

 

これって、所謂脳内ブレイクスルーだったと思うんだ。

 

 

「身の丈にあった暮らし」をするのを良しとし続けると

このようにいつまで経っても良くならないのであって

いつまで経っても「身の丈」から上に行けないのであって

いつまで経っても「夢」でしかないあれこれになってしまうのです。

 

貧乏ながらも、夢=目標に向かって

コツコツと頑張る、節制する、というのは

いいことでしょう?

 

そして、そのコツコツ節制したおかげで

身の丈にはあってはいないが

ボクはニュービートルに乗ることになったわけでしょ。

 

そう。

 

今のところこれはホントに身の丈にあってない。

だって相変わらずの低収入だし

統合失調症なんてのを患ってて行動にも制限がある。

そして何より、相変わらずのオンボロ公営住宅住み。

 

だけど、ニュービートルを手にしたことで

自分の中の自分が、壁を突破した感じがするんだな。

 

 

「身の丈にあった暮らし」という概念は

別の見方をするとそのまま

 

死んだボクの叔父の「そんくらいのもんよ」とか

「お前はそんくらいの程度よ」とかの

制限、ブロック、呪縛の言葉になってたんじゃないの?と

 

今、しみじみと思うのです。

 

 

海外旅行に行くなんてのは身の丈にあっていないとして

ちょろちょろ国内旅行や遠出はしていたわけで

これなんやかんや合計すると

海外旅行行けちゃってたじゃんよ!とっくに!と。

 

何も海外旅行だけが目標ではないんだけど

なんつかなー。

ボクの心の中の夢=目標は

サンフランシスコやジャマイカに行くことだったり

衣食住のうちの「住」を整えることだったり

物質的な具体的なものが、いろいろあるわけ。

 

それだってのに

 

「こんくらいのもんよ」なんて言葉に甘んじてたら

逆に損してるんじゃね!?

 

って思ったわけです。これは罠だ。うん、きっと罠だ。

 

 

ニュービートルのオーナーになることもできたんだから

「こんくらいのもんよ」と言う妥協の快楽に

チョロチョロとお金使って「身の丈にあった暮らし」なんて

正当化してる場合じゃないYO!

 

とまあそんな感じで

ボクは、節制をしながら

「身の丈にあった暮らし」という概念を手放して

本当の夢=目標というのを

一つ一つ手にしていきたい!そう思い始めたのであります。

 

ちょっと気づくの遅かったが

何事も、始めるってのはいつからでもよろしい。

大事なのは、それらを実現させること。

 

頑張る、と決めた時の

その、頑張る、の方向性は

身の丈にあった、というエリアを超えたところに置くべし。

 

まだまだ病気で行動も制限されるし

休みの日は、PC前に座ってるのもしんどくて

横になってる時間のほうが長かったりするけども

週4日以上働くのは厳しかったりするけども

 

そう言う中でも、夢=目標に向けて生きていく。

 

日々の節制は貧乏だからではなくて

夢=目標に向かっているからだ!というように

意識をですね。捉え方をですね。変えていこうじゃんよ、と。

 

皆さんは賢いし、正しくおとなになってらっしゃるだろうから

こんくらいのことは、鼻からとっくにわかっていて

だから、ボクから見たら「いい暮らし」をされてるんだろうけど

 

ボクはうんと頑張らないと、そこに届きません。

 

うんと頑張らないと届かないということを理由に

まずもって、意識レベルで「そんなの無理」と

ハナから諦めきってたって話です。

 

いつになったら、ボクの夢=目標をクリアできるか?

なんてことはわかったもんじゃないけど

日々の節制の目標が、すごくはっきりとした気がします。

 

 

とまあそんなわけで

 

ボクは頑張るよ。

ボクは、ボクのために頑張るよ。

 

いろいろ、整えていきたいことは山のようにあるからね。

 

「身の丈にあった暮らし」なんていう

あたかも良さげな諦めの正当化概念なんか

さささーっと横に追いやって

でも、その「身の丈」をしっかりと飛び越えていけるように

自分の現在の「身の丈」からは目を離さず

 

ひとつひとつ、ちょっとずつ

現在の「身の丈」レベルを超えていこうと思う。

 

ボクには、ボクの、夢=目標の

「本当のところ」というのがあるのだから。

 

 

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