人生なんてのは、勝ち負けじゃあないんだよ。確か。

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といいながら
何かと自分が勝ち負けに拘ってるらしきことを感じる昨今。
そのくせ、何と勝負してんのかってのは
さっぱりわかったもんじゃあないとか言うような。
突き詰めていくと
自分と戦ってんだろ的なことになりがちなんだけども
そういう美しめいたことではないことはわかっていて
何かと見苦しくしれっと自己の内部で
勝っただ負けただ言うて思っているという話のような気がする。
しかも、その勝負の項目も対してはっきりしておらず
なんなら言うほど勝敗を気にしてる風ですらなく
ただあるのはなんだあの
ある種の『死亡フラグ』というやつというか
『完全に人生詰んだ感』みたいなもので
何しろ、いろいろ終わった感がすごいわけですけども
言うほどナーバスでもないというような、だから何やねん的な。
 

神経質症、神経衰弱というような病気になってから
文字通り病んでおり
まごうことなき『ひきこもり』と成り下がっているもんだから
過去を振り返るしか脳がなくなってる感じがあるんだけども
そんでまたこれ
過去ばっか振り返るってのはどうやらあまり
精神面に良いことばかりではないというようなこともありつつ
とにかくそれくらいしかないもんで
やたら気ままにみだりに過去を振り返りまくっておりまして
近々の振り返りは
あまりに近々だと病んでしまった以後のこととなり
それってほんとにさすが病んでるだけあって
振り返れるほどしかとした記憶が無かったりするので
もうちょい前、となりますと
セカンドライフという仮想世界で生きていた頃
とかに、どうしてもなるんですが
あの頃、あそこでは
男として”ほぼ完全埋没”ということが実現していて
まんまとノビノビと男であることができてた兼ね合いで
自分は実にパワフルであったしギラギラしてもいたのだと思う。
間違っていることも多々あったはずだけれど
他の人に何も言わせない(あるいは聞こえてない)勢いがあったし
全力で突っ走っていたのだと思う。
事実、あまりに調子よくぶっこいてるもんだから
ボクのことを面白く無いと感じた人は少なくなく
そこそこ陰口叩かれていたというのも耳にも入ってきてて
その多くは『マイテ(ボクのこと)は終わった』
というようなものだったのだけども
そのどれも、どのような陰口が耳に入っても
腹の底から本気で笑ったりしていた自分。
それは何故かと言うと
自分が、自分の終わっていないことを知っていたからで
全然、自分観点的に絶好調の極みであったので
辛いことや悔しいことや悲しいことは確かにあって苦しみはすれど
終わってるみたいなことは微塵も自分の中になく
的外れのように感じていたからで
その他の誹謗中傷なども
とんと的を得ているものはなく
ツボや急所を外しているから効いてこなかったというのでしょうか。
何だとテメ、と言うような風に思いもするけど
基本おかしくてしょうがなかったわけです。
好きなだけどうぞ言うてればいいよ、うはははは!みたいな感じで。
ところが。
昨今の自分はどうか、というと。
誰にも何も言われてなくても
ただもう無闇に徹底的に終わってる気しかしない。
もう40半ばとも言えるけれども
人生80年とか言う風に捉えるならば
まだまだ若いとも言えるであろう現在であるにも関わらず
どうにもこうにも終了している。
生きてはいるけど死んでいる。
いや、死んでもいないけど、生きてるのかしら?これってのは果たして?
みたいな感じで、ただひたすら時が過ぎていく。
それは何も鬱な感じとか言うのではなく
なんだかもう、とても普通に自然に終わってる感というのか
当たり前のこととして受け止めてるっぽいというのか
終わってるけど命はまだあるみたいだから
さあどうしようかな~みたいな
ある種のんきなところも見受けられすらして
前の頃の自分は『怖いものは特にない』と思っていたのだけど
今は真逆で、何もかもが怖すぎて
怖すぎるあまりに、命の終了は怖くないというような
何もかんも怖い世界が終わることはむしろ望ましいのではないかというような
まあとにかく病んでるわけですけども
命の終了までの時間つぶしについて考えている。前向きに。とかいうような
でもそれって、まったくもって前向きじゃないわけで
なんつーのかなあ・・・とにかく、また上がれる気がしない。
これは恐らくとてもよろしくない。
と同時に
なんぼ外に出られないから過去を振り返るしかないとかいうても
それなりに過去を振り返らずに
何かと前向きに生きる方法はあるにはあるわけですが
それでも尚、過去を振り返るというのには
それなりに理由がある気がしてもいる。というのも
去年の初夏に発症してからこっちという現在において
とにかく病んでいますから
その病みの状態から脱したい気持ちというのは大いにあり
そのためには、病む前の自分、というのを
なんとしても忘れないようにしなければならず
つまり、病む前の、様々な問題は抱えつつも
それでも元気だった頃に戻ろう、そこがゴールだ。っていうか
これはこれで元気になることを目標にしてるつもりというか
だから、過去を振り返りつつも、これはこれで前向きなんだよ。
みたいな気分になってもいるんだけども
その一方で
これまでの経験上、過去のことは過去でしかなく
戻ることというのはまずできない、という真理があることを
十分すぎるほどに知ってもいて
そうなってくると、理論的に
ゴールがない系じゃね?みたいな感じになるわけです。
ゴールがない、すなわちそれは、終わってる感、と。
とか何とかじくじく綴りつつも
自分としてはそんなに気分が暗いわけではないのが謎なんだけども
この、気分が暗いわけではない、というこれが
唯一の拠り所なのかもしれなくて。
なんやかんや終わってる感はあれど
心の奥の奥の奥ーーーーーーーーの方では
まだちかっと小さく小さく『まだ終わってないぜ』というのが
あるにはある・・・のかもしんない。
誰に対してそうしてるのかさっぱりわかんないけど
終わってる風に見せかけて
いまだ!みたいな時が来た時に急に
すくっと立ち上がり
今度こそ、俺のターン!
みたいな隙を突こうと思ってる的な?
しかしながら問題は
何を持ってして”すくっと立ち上がろうというのか”というのが
本気でマジに、さっぱり、ちっともわからんというところ。
今の時点でまじめにわからない。
そんなアレもあり
また本人たっての意志、希望というのもありで
娘をどんどん独り立ちさせようとしてもいて
それは
いろんな意味で手に負えないからというのもあるし
自分のことだけで手一杯というのもあるし
単純にとにかく病んでるししんどいねんというのもあるし
何がどうって、何しろボクの言うことなんか聞きゃせんじゃないのとか
まあ、いろいろ理由はあるんだけども
小さく小さく希望の光はある気もしつつ
それでもやはりどうにもこうにも現状が
良い方向に向かって行く気がしなくて仕方ないものだから
ボクが案の定立ち上がれなかった場合においても
ボクの周りの人たちは
何ら問題なく滞り無く人生を進めていけますようにと
そればかりを考えてるに近いというか。
そんで
立ち上がれなくても
立ち上がれないなりに
命の終了まではうまいことなんとか時間を潰さなければならず
他の人の役に立てる自分などには戻れそうにないがしかし
他の人の足手まといにだけはなるまいみたいな
そんな感じであったり。
ということは、何とか仕事ができるまでには回復したいし
そうでなくては食って行かれないし
餓死するとか、それこそ迷惑千万であろうし
ていうか相当に苦しいだろうし
苦しいのはいくらなんでもやっぱ嫌だし
あーもう、めちゃめちゃであります。
こんなこと言うてる人が魅力的なわけもなく
そうして一人、また一人・・・つって
どんどん自分の周りから人がいなくなるのも
もはや悲しむとかではなく
安堵に近くなりつつあるかのような気配すらあり
いやいや、ホントは寂しいのは辛いし嫌なのだけど
でも、仮に誰かそばに居てくれたとしても
とてもじゃないけどその人のことを気遣えそうにないから
こんなボクの傍にいようとしてくれるというような
そんな心の広い優しい人を
ひどい目に合わせるわけに行かないじゃないの、と。
これはこれで前向きに一人を選ぼう。
孤独というものに自らしっかりと降りていこう。みたいな。
なんと矛盾したことを言っているんでしょう、ボクは。
前の頃の自分は、なんであんなに問答無用であったのだろう。
やけに強かったよなあ、なんでだろう。
もしかすると、今だってこれはこれで強いのかなあ。
んなこたーないか。
まあいいや、とにかくこんな感じで日々生きています。
それでもいつか
『そんな意味のわからん時期もあったよねえ』なんて言いながら
笑える時が・・・くる・・・のかも知んない。来ないかも知んない。
先のことはわからぬままに。
 

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