人生がカオスだし、言葉にならないラララ、の件。

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JUGEMテーマ:家庭

なんやかんやで結局
11月は一つも記事を挙げなかった。
相対的に具合が悪いのが続いているのだと思う。
この、具合が悪い、ということについて
こと細やかに詳細を綴りたくなる衝動に駆られはすれど
こういうようなことは往々にして喜ばれるものにはなり難いし
喜ばれないということは必要なことでもないということに他ならず
また、考えようによっては恥知らずでもあろうことなどから
大抵は、手持ちのノートなどに書き記すなどして
脳内の混沌を何とかせんとしていたりするのだけれども
カオス。それは、混沌。と言うことなのであって
例えば、我が家には二匹の猫どもが生存しているけれども
彼女らにも猫とはいえ意志というものがある様子はわかり
意志があるということは欲望や要望などもあり
腹が減るとか、トイレが汚れたなどという不快状況に陥る度に
餌をくれ、水をくれ、トイレを清掃してくれなどというようなことを
言葉無くして訴えてきなさるわけです。
そこでふと思った。彼女らは言語を持たないがゆえに
このように無言の訴えをしてくるのだけども
言語を持たないという状況、それはそもそも如何なる状態なのだろう。
そう、恐らく彼女らの脳内はエブリデー混沌なのではあるまいか。
 


かくいうボクが、冒頭で
手持ちのノートなどに書き記すなどして
自らの混沌の苦しみを軽減させんとしたりすると言ったけれど
そもそも言語を持たぬか我が家の猫どもは
恐らく脳内がもわもわーーっとし続けてるのではないか。
これ、ボクはとても苦しいのだけれども
彼女らは平気で生きているようなので
その彼女らの立場になって考えてみようと思い
彼女らと同じように
わざわざ言葉で訴えたりノートに書き綴ることもせず
ただただ生きていて、その様子を、それこそ、もわもわーーっと
ボクなりに想像してみようとして
案の定、全くうまくは行かないのだけれども
それでもなんとなーく、すげー・・・とか思ったりするわけです。
娘が赤ん坊の時もたしか同じようなことを思い
赤ん坊ってすげー・・・と思ったことを思い出すのだけれども
赤ん坊の場合、人間であるから
脳みそは、人間として相応の発達をしていき
彼女は見事言語を持つことに成功し、その言語をもってして
脳内で無意識に自分の状況に対する思いなどを明確にしていると思われ
その流れから、身体の成長や環境のめまぐるしい変化や
それに対応しながら”思春期”などというシチ面倒くさい
自らの意思を混乱の体に引きずりおろし
大いにかき乱してくれやがるところの
所謂ホルモンの大暴れ期に突入しているわけでありますが
かくいうボク自身も精神病んでる上に
コレ今まさに第二次ホルモンの大暴れ期であるところの
”更年期”ってやつのまっただ中なのであり
コレもう二人してホルモンの大暴れにいいように振り回され
無駄な喧嘩も絶えないわけだけれども
この無駄な喧嘩もおおよそ全て、言語を用いてなされるわけで
とすると。猫どものように万が一我々が言語を持たない場合には
この無駄な喧嘩も最低限で済むのではないか?とか考えたのだけれども
これは、耳が聞こえなければとか、口が利けなければとか
そう言うような意味での言語を持たないというのではなくて
そもそもの意思や感情を
言語によって具現化させる術を持たない場合のことを言っていて
つまり・・・
言語を持たなければ、意志や感情のわがまま部分も
もわもわーーっとしたままで具現化されないのであれば
割と平穏が保たれやすいということにはならないだろうか。
と言うのも。
辛い思いや感情を抱えたまま黙ってる時は、ちょいと苦しいだけだけれど
ついうっかり、その抱える苦しさにあえいで
友人や家族などを捕まえて、ぽろりと語り言葉にするやいなや
次々と辛い思いや憤りが溢れだし、なんなら増幅し
より一層、大変な騒ぎになることも少なくなく・・というよりむしろ
そう言う始末になりがちで
そういうことをやることで人は
「人に話すだけでも気が紛れることもあるから」などというけれど
果たして本当にそうなのだろうか?と。
少なくともボク自身の場合
ノートに書きなぐったりすることと
人に話を聞いてもらったりすることはとても良く似ていて
つまりこれらは両方
「自らの内なる混沌とした感情や思いや考えの具現化」の作業であり
且つ、整理整頓する作業とほぼ同時進行でなされることで
その整理整頓が成されたことによる効能というのは確かにあり
その結果として、これが
「気が紛れる」ということなのかな?と思っているのだけれど
先に書いたように
余計に溢れだし増幅してしまうことも確率的には多分にあり
それを発端として喧嘩に発展し甚だしく空気が悪くなったり
余計に気分を害したりするし、そもそも基本的に、大迷惑なわけで。
幸いにして喧嘩にならなかった場合においても
確かに「気は紛れた」し、整理もされたがしかし
何とも得も言われぬ
最初とは別の罪悪感や後味の悪さを抱えることも少なくなく
そう言う時は聞いてくれた人の気持ちなどは考えもせず
ありがたく思う気持ちも横っちょに置くなどして
「ああ、話すんじゃなかった」的なことを思ったりする不義理千万で
それって相手が自分の話したことに芳しい反応を示さなかったとか
大した答えもヒントも得られなかったとか
そういうような、相手の具合によるものというよりも
なんとなく「余分なことを言い過ぎてしまった感」みたいなもので
あくまでも自分のわがままな感情によっているのに
容赦なく兎にも角にも感じが悪い上に
聞かされた人もたまらんだろうと思うわけです。
それってとても失礼な話だ。大迷惑だ。と、そう思うので
都合、どんどん人に話さなくなっていくわけで
そこに行ってしまうともう
それ以上、言語化することでの開放手段というのか解放手段というのか
そういう”何らかの突破口”となる道が絶たれたような感じになるのであって
あとはどうするかというと
憮然とした感じで不機嫌になるに任せるか
とほほほ・・みたいな感じで気力を激減させ、しょんぼりしてしまうか
そんなあれで・・・
安酒をちびちび飲みながら
ほろりと意味のわからぬ涙がこぼれたりなどし
「男はつらいよ」的な「酒と泪と男と女」的な、ロマンっちゃロマン。
つっても、ボクは自らの主義の一環として
ひとりで酒を飲まないようにしているので
酒も頼れず、もっぱら、ただ憮然と空を睨みつけて
数時間固まってる流れで、うとうとしたりしなかったりなだけなのだけど。
何が言いたいかというと
歳のせいなのか、はてまた、これもまた病気のせいなのかはわからないけれど
漠然と思うのは、昔はこんなじゃなかったな、というようなことで
思いや感情や、脳内の叫びとか心が思い抱いてることなどを
綺麗さっぱりすっきりと具現化できなくなったなあ、ということが言いたくて
これは昔はことが、シンプルな構成であったからかもしれないし
あるいは・・・
昔も同じように、さっぱりくっきりとはしてなかったのだけれど
さっぱりくっきりさせれない部分に関しては
ごまかす術というのを持っていたのかもしれないな、と。
良くも悪くも、ことを有耶無耶にして
所謂、華麗にスルーすることができるというのは才能の一つであって
このスルースキルこそ
ボクが最も必要としているスキルだと思うのだけども
スルーするためには大体、代替品が必要で
なのに、ボクはとことん、その代替品を持っていない。
「今が良ければいいじゃない」みたいに思えるものが、とことんない。
とりあえずそう思うしかないので思うようにしているけども
ホントはちっとも良かないもんだから
憮然と空を睨みつけていたりする。
そのうち脳がショートしてしまうのか、気絶眠に陥る。
短い眠りでまた目覚めて、また空を睨みつけている。その繰り返し。
映画でも見たらいいじゃあないの。
本でも読んだらいいじゃあないの。
ゲームでもやったらいいじゃあないの。
そう思うので、そうしてはみるけど、やはり憮然としている。
なんだかよくわからないけれど
とにかく、ボクは不服でいっぱいなのらしい。
何とも全てにおいて、漏れ無く「もってない」し「浮かばれない」気持ち。
そしてその言葉にもできない気持ちを持った眼で猫どもを見る。
あんたらも、こんな感じなのかい?
脳みそん中、混沌としたまま、とにかくただ生きているのかい?
すごいなあ、あんたら。その混沌は、どうやって折り合いつけてるんだい?
そう話しかけると
つと、ボクの側によってくるので撫でてやる。
ゴロゴロ喉を鳴らして喜んでくれる。
・・・。
発症してからというもの
すぐにピーピー泣く人になってしまったボクは
なんとも言えない混沌の中で、さめざめと泣いていることもあるのだけれど
その時もまた、猫どもは寄ってきて、そっとそばに鎮座してくれる。
・・・。
このような状態を、バックリと”抑うつ状態”というのだそうだけど
これ自体は病理ではなくて、よくあることで
何か問題が生じると、皆こういう感じになったりする。
これは、あくまでも”抑うつ状態”であり「鬱」ではなく
悩みに苛まれて囚われている期間に限った
精神状態の悪さ、凹み、思考の偏りが見られる症状・状況というもので
うら若き乙女になった娘なども
ホルモンの大暴れ期に突入した流れで
少し前に、酷く気分が塞いでいた時期が長くあったと言い
それを気づきもしなかった親ということで
激しくボクを責めるのだけど
我が子の内的苦しみにも、漏れ無くきちんと気付き
全てにおいて正当な手順で、有効な手段を用いて救ってやり
不足の全てを解消してやり
身を挺して、我が子を幸せの成功へと導きまくっちゃうというような
そんな神様みたいな能力を有した
天使のように献身的な親の姿という幻想を持たれましても
ボクは困っちゃうわけなのであって
そらボクだって、そうなれるものならなりたいし
そうなろうという努力もしてきたのだけれども
あまりといえばあまりにも
手に負えないことばかりが怒涛のごとく押し寄せてきて
そうこうしてる間に、このように派手にぶっ壊れたという始末なわけでして
そのように言うとこれまた
病気になったのは自分のせいだというのか!?などとキレられるのであり
いやいや、あんたのせいとは言うてないしと返すけれども
実際問題
娘は、日々の細やかな、非常になんてことない
通常考えられる「超基本的な諸事」を
尽くやれない、やらない、気づかない、気にもとめないということが
病んでしまったボクに大きな大きな障害になってはいて
全てにおいてやりっぱなし、食いっぱなし、飲みっぱなし
ボクのものだろうが何だろうが容赦なく触り持ち出し放置しっぱなし
消耗品は無駄にガンガン使い、切れようが何だろうが切れっぱなし
使いっぱなし、汚しっぱなし、汚れ物放置しっぱなし
電気もつけっぱなし・・・などなど言い出せばキリがないわけだけども
これらが若さゆえの、行動のとっちらかりと勢いに正比例して
日々、ものすごいスピードで量産される尻拭い作業という
ボクにとっての苦痛の毎日というのがあり
一方で
我が家の猫どものうちの片方は、非常に悪い子で
わざわざトイレ以外のところで粗相をするのがデフォであり
彼女には彼女の訴えがあり
そうしているのらしき様子はわかるのだけども
その細かくは恐らく、もう一匹が許せない、認められないというもので
しかもその意向は強く激しく長く何年も続いているのだけれども
こちらとしては、それは飲めないもんだから
しょうがなく粗相しまくるのを
毎日、毎日、掃除しまくるということで請け合っているけれど
体調や気分の具合が悪いと
無感情に粗相を片付けるというルーチンが困難な時もあり
非常に神経に障り、場合によってはそれに寄ってヒステリー発作なども出て
これもとてもよろしくない負担となっているのだけれど
それでも、彼女らは自分にとってかけがえのない存在で
その理由は先に書いたとおりで
つまり猫らは、ボクに対し
無条件な愛というのを日々示してくれているから、と
そういうわけなのだけれども
娘はね・・・人間なのだから
ましてや、我が子、我が身から生まれでたはずの人間なのだし
言語を持っているし、その言語を持って意思疎通ができるはずと
そういうような期待を持ってしまうわけで
しかしながら、尽く疎通が通って行かない、この不条理。
でありながらも、前の記事にも書いたように
彼女は本当に「それが簡単にはできない人」なのかもしれないので
大抵、ほぼ9割方は黙って対処しているのです。
猫に怒っても仕方ないから黙って粗相を片付けるのと同じに。
しかしながら、どうにもこうにも具合が悪すぎて
神経に障り、発作が出て苦しい時もあり
その時は、なんなら土下座して懇願したくなるほどの気分で
ここをこうしてくれ、ああしてって言っただろう、などと
お小言を言うてしまうわけだけど
それに対し、親として、それらは親がカバーして当たり前であり
無言でとんとんやったって構わないことばかりなのであり
それだのに、
子である自分はそうやって
日々、(自分にとって)様々な理不尽な無理難題を
強いられていて、この気持ちがわかるか!とキレなさる。

更には、病気だからって何でも許されると思うな的な
ニュアンスのことすら言い出す始末で
自分だって辛い時があるし
過去に鬱だったのに気づきもしなかったくせにと言うわけです。
先に言った、抑うつ症状というのはよくあること
と言ったアレです。つまり。
しかしそれは「鬱」じゃない。
とは言え、気づけなかったのは事実だろうし
ホントは、薄々気づいてたから
それなりにあれこれと働きかけもしていたのだけれど
その働きかけっぷりが、非常に”なってなかった”という
彼女の不服が強くある以上、働きかけていないも同じで
それって親として出来ていないということなのだから
子である自分に言えるのかてめえ?的に言われちゃあ
どうもこうも・・・。
とまあ、おおよそ
こういうようなことに苦しんでいる昨今なのだけれども
皆さんは・・・如何がおすごしでしょうか。
兎にも角にも
生きてるだけで、もう本当に毎日がハプニング。
自らの身も心も弱っちまったことに沿うように
文字通りの引きこもりをし続けることで
外界からの余分なことを出来うる限りシャットアウトし
何とか自分が捌けるだけのことだけに対峙せんとし
おとなしくここに横たわり
時に起き上がってたばこを吸ったりコーヒーを飲んだりしながら
ほぼ空を睨みつけているだけであるのに
なんでこうも毎日がハプニング。
おとなしく家にいるのに何故に苦難の日々。
あれもこれもやってもやっても不足。至らない日々。
嗚呼、人生がカオスだよ、ラララ。
嗚呼、言葉なんか役立たずだよ、ラララ。
言葉にならない不服の混沌の奥深く

じっと空を睨みつけている自分はいつ
「今が良ければいいじゃない」を見つけれるのでしょう。

自分ばっかり!自分自分!自分ばっかり!
自分以外の人を大事にしていないと言われます。
とりわけ、娘や家族を大事にしてないと言われます。
確かにそうなのです。
娘や家族の思いなど考えもせず
大して家の役にも立ちはせず
わざわざ
自らの暗闇の混沌に沈んで泣いたりなどして
自らどんどん疲れ果てて
疲れ果てた挙句に小言しか言わず
ともすると発作を起こして泣き叫び
ヒステリーを出すなどして、迷惑でしかない。
まったくもって、人を大事にできないロクデナシです。
そう言う病気ということかもしれないけれど
毎日付き合わされている方からしたら、たまったもんじゃない。
病気だからって、大きな面してんなよ!ってことです。
当たり前のことを言われたまでです。
それにつけても

なんて寂しい、ラララ。
なんて残念、ラララ。
言葉なんか、ラララ。
ホントはいらないんじゃないの?ラララ。
言葉を発して、ろくな事にはならんじゃないの。ラララ。
言葉なんか、言葉なんか、ラララララ。
 

コメント

  1. 人を大切にするためには、まず、自分を大切にすることが先に立つと思うのですが、それがうまくできない自分を認めてあげる、というあたりが、一つの出発点でしょうか。
    頭のなかのもやもやが、増幅しないように、うまく外に捨てられますように。
    たぶん、少しずつ、そうできるようになっていくと思います。

  2. そこですね。
    自分というものを、良くも悪くも高く見すぎているような気がします。
    高く見ているがために、現状が納得行かなくて仕方なくて
    体全体が無言で拒否している状態にあるような気がして。
    自分が思うところの自分にふさわしい扱いができていない。
    そのような扱いをされていないというような不服があるというような。
    そして意識的に解離症状も出ていて
    「こんなもんだよ」というような低い自分と
    「こんな扱いされるような自分じゃない」と思う自分とが
    常に喧嘩をしているみたいな感じというのか。
    うまくできない自分を受け入れきれていないのでしょうね。
    うまくできていた自分に固執してるし
    それで自分を責めてしまうので悪循環という。
    理屈はわかってるのだけれど
    うまくいかなくて愚痴が多くなってしまいます。
    そして愚痴は見苦しいとまた責めて
    黙って空中を何時間も睨みつけて憮然としているという。
    まだ時間がかかりそうですが
    何とか少しずつ取り戻していきたいと思います。ありがとうございます。

  3. 「なんとか少しずつ 取り戻して」
    #切り取り自由律

  4. ありがとうございます。

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