顔はやめて。ぶたないで。

Philosophy & Study
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またしても反芻大会。
何度読んだかわからんくらいのこの本。
そして読むたびに、唸る唸る、唸りまくらせていただくわけですが。

これでもかってくらいの完全なる弁明も
何のこた~なく、ソクラテスは有罪判決のために死刑になるんだけども
なんでしょね。有罪にしたものの
明らかに無罪だろっていうのはわかってる的な後ろ暗さなどもあったのか
死刑執行までの間に
みんなでわざわざ
いつでも逃げれるようにしていたりするんよね。
なんなら逃げてくれくらいの懇願までしたりする。
でも、彼は逃げない。
なんとなれば、正しいから。
少なくとも自分の中で、何ひとつ間違ってないから。

ちょっとこの話は
キリストの受難にも通じるものがあると思ってて

自ら
多くの人の過ちの犠牲になる的な
ゆがんだ価値観や虚勢やくだらない虚栄や偏見や差別や決めつけ。
それらの餌食になって死んでいくのをとくと見やがれ的なね。

実に実にかっこいいのであります。
死んじゃっちゃあんま意味ないんだけど、でもかっこいい。

ソクラテスの「真実」は
自分はとにかく至らない人間であること。
未完であること。未熟であること。

故に、自分は一番できる人間なんかじゃないという事は
誰よりも、自分が知っている。それを証明してみせようってって
自分よりも頭が良さそうな人
偉い身分にある人
多くの人からよい評判をもらっている人などなど
とにもかくにも知識人、有名人に片っ端から問答を吹っ掛ける。

きっと自分は彼らに負けるだろうから
それが自分は大した人間じゃないということの証明になるだろうと。

しかし何年もそんなことを続けて
結果的にわかったことは
自分は何もわかっちゃいない。という事を
よ~くわかってる分
確かに人よりはちょっとイケてるかもしんない。ということだった。

有名な「無知の知」ってやつね。

そんなことをしたもんだから
蔑まれたと感じた多くの人の反感を買い
人々の尊厳を傷つけただ何だかんだと
裁判にかけられて、有罪とされたわけですけども。

確かにこんな人イヤだよね。
感じ悪いったらないよね。
いくら自分の至らなさの証明だからっつってさ
こちらの痛くない腹みんなの前で漁られ放題で
その上『なんだ、所詮それっぽっちじゃん』みたいなやり方するんだからね。
普通に憎たらしいし、非常に気分も悪いし、無礼なこと。

けれども
意味のわかんないことでエラソーなことになっていたり
なんでかとっても多くの富を独り占め的に維持できていたり
実は脳みそ空っぽの癖に『大先生』になってたりする人もいる。

本当に実体験したり実験したりしてないのに
あたかもそうしてきたかのように
それを知り尽くしているかのようにふるまい人を惑わす人もいるのも事実。

そのような、多くの人はあえてそれ以上突っ込まないであろうことを踏まえて
自分の思うがままにしている人ってのは実際少なくなくて
苦い思いを強いられる人もいたりする。

そういうことでいい思いしてきた人が
まんまと問答でひっくり返されるんだから
苦い思いされられ続けた人は胸がすく思いがするけど
ひっくり返された方はたまったもんじゃない。

そんな具合で、あまりにも正義を振りかざしたり
正論をたたきつける人はまあ、嫌われますね。

で、かくいう自分は
調子ぶっこいてぶっ放して感じ悪いだろうの時もあれば
苦い思いをさせられる側の時もあるし
ひっくり返す方をやる時もある。

初めてこの本を読んだ時は
今よりはずいぶん若かったのかわかんないけど
『自分はひっくり返す方だ』と思っていて
つまり完全にソクラテス側についた感じで読んで
うっは~!!って鼻息荒く大興奮したもんだったけど
今は、結構そうでもない。

このエントリーのタイトルにした
『顔はやめて。ぶたないで。』というのは暗喩で

つまり
誰しもお互いさまで
『そこは勘弁!』というとこがあって然りよね。という事がわかるくらいには歳を食った。

しかしついつい・・・反論を真っ向からたたきつけようとしてしまうし
話の中で勝ちに行こうとしてしまう癖は抜けなくて
まだまだ全然未熟で、さぞ感じ悪かろうな~とか思う。

でも
自分もやられたら辛いことはね。基本、やっちゃいかんのだわ。
ば~ちゃんも言うてたし。うん。

なので、今はソクラテスが
有罪になったことも
どんなに逃げなさいと言われてお膳立てまでされても
逃げたりせず、しっかりと毒入りのニンジン食べて自決したことも
最初に読んだ頃とはまるっきり違う感じで捉えてる。

何だかんだと弁明はきっちりさせてもらったけども
ま、気分は悪かっただろう、尊厳の侵害もしただろうという事を
すっかりすっかり素直に受け切って自決した、ということに納得できてる。

てな感じでまたしても案の定
何がいいたかったのかわかんなくなってきてるけども

なんしょ、人は誰しも
どっちの側にも回ることがあるのだと思うから
あんま大口たたかん方が賢明よね。

そんな中で
大学の時からそうだったけど
哲学ってのはなんだなあ・・・答えがない学問で
ボクが思うのには
矛盾を抱えてこそ人間。みたいなことを
理解し腹に落としていくための学問なんだろうな~という感じなんだけど

ソクラテスの侍ぶりは相変わらずかっこいいけど
今となっては
やられた側の居たたまれなさもわかれば
その居たたまれなさからソクラテスを殺した後
どんな気持ちを背負ったのだろうとか
そんなことまで考えるもんだから
なんとも言えん気持ちになりましたよ、と。

言葉が変な感じになるけれど
「正義」も「正論」も、いつも必ずしも正しくはないね。

と、またしても矛盾する文を残して唐突におしまいにします。

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