Godzilla最高つって、ボクの中で話題。

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これは1998年のハリウッド版のGodzillaのサントラ。
実はGodzilla大好きっ子であった自分は
当然これも見に行っていて
その場でサントラを買って来たりしてて
でもそれって、ひっそりと自分一人で行ってたんだけども

今年公開の2014年のハリウッド版のGodzillaも見に行きまして。
そっからずっと一人Godzilla祭り。
1998のは正直、Godzillaというより恐竜?
ていうか、ジュラシック・パーク?みたいな感じで
お口悪くいうと実にクソい。かったわけだけども
今年のはやばかった。実にやばかった。
Twitterでもずっとワーワー言うてる上に
BGMはこれ、と。Godzilla三昧のここ数日。

ボクはとにかく昔から
あらゆるものに対して怒りや恨みみたいなものを抱いていて
それは決して良くないことだとわかっているけれど

もはやその
何に対してこんなに怒り続けてるのかも
ちょいと怪しくなってきたりもしているもんだから
怒りを収めようにも収められないんだけども
そうなってくると
Godzillaとかなんかもう
ぎゃーーーおぅん!!!
という、あの雄叫び、咆哮からしてたまらないのであって

人はみな
我のココロの代弁者を好むというけれど
まさしくそれであり
放射能光線(アトミック・ブレス)を吐き散らす様など
そらもう見てるだけで物凄い開放感に包まれ
イケイケー!ヤレヤレー!っつって
大興奮の坩堝の中、熱狂しまくって気持ちが良いのです。

そんなこんなで
Godzillaの詳しくなどはまったく知らず
深く知ろうともせずままに
ただなんとなく大好きだったGodzilla。

今回、本なんかも買ってしまって
ネットでも結構綿密に調べたりしてしまって
ざっくりとではあるけどGodzillaの歴史的なものも
ちょっとわかってきたのだけれど、それと同時に
自分自身の幼少時のGodzillaにまつわる思い出を
ぽつりぽつりと思い出してきたりなどして
なんとも言えない気持ちにもなってみたり。

Godzillaは昔から
ボクにとっては正義の味方で
それというのは先にも書いた通りの
ボクの怒りの代弁者としての正義であり
ほんとうの意味での正義とは違っていたんだけども
『核の申し子』とか『破壊神』とかいうようなイメージの
これまで見てきたシリーズは多分
腑に落ちていなかったのだろうと思う。

その点
今回のはものすごく腑に落ちて
というか、とても合点がいって、というか
これぞGodzillaだ!くらいの気分になり
見終わったあとも放心状態で
とにかく咆哮シーンだけを永遠に見ていたいような気分になるなどして
実際、それだけを見まくるなどして
『核の申し子』の側面も『破壊神』の側面も
それらにまつわるアイロニーや悲哀なども全部包括した上での
この世の生態系の頂点に君臨し
且つ、その生態系の中庸を司るものとしてのGodzilla。
というような設定に胸がときめきまくったのであり。

初代ゴジラからのコアなファンからしたら
とても不服に思うところも多々あるのらしいけれども
ボクとしては逆にやっと腑に落ちた感じすらあって。

でもサントラは買って帰らなかった。
音楽はね・・・
1998のがかっこ良すぎるのでこれでいいと思ってしまった。
そんなわけで、これをずっと聞いてる。
大音量で聞きながら過ごしてる。

とかなんとか言ってるところの
ボクの人生のスタイルは「怒り」であるのに違いなくて
人生のテーマ、目標は
その怒りの矛先(原因あるいは原点)を見極め見定めた上で
我の理念を如何にして実践して行くか、そしてそれを
如何に中庸に向かわせるか。というようなものであると思っていて
その頂点にいるのがGodzillaだなんて
なんて素敵なんだろう!ということになっていて。

何年たっても相も変わらず
『どん底にいる』と言いながら
まったくもって底などないのであって

いつまでたっても底なし沼のように
足が着地しないで落ち続けているかのような自分で
すなわち、何もできないのも相変わらずなのだけども

人間が傲慢なのは
自然は人間の支配下にあり
その逆ではないと考えている点だ
------芹沢博士

このセリフがボクを惹きつけた。
これは、ボクが去年初めて見て、即座にそのまま
ココロの映画ベストテン入りを果たした
『銀河ヒッチハイクガイド』にも通じていて、また
子供の頃に(時に最近においても)やっていた
昆虫やアリなどの大殺戮・大虐殺という”遊び”に魅了されながら
無意識下で感じ続けていたことにも通じていて
恐らく、ボクの怒りの根源は
まったく納得の行かぬ、不服しか感じられない
数々の社会生活上における『通常概念』というものに対する憤り。
その『通常概念』の多くは
先の芹沢博士のセリフがそのままぶつけられるもの。
人間が社会を形成し存続させていく中で
人間だけに都合よい形で
次々に作り上げられ定着され刷り込まれていった概念。
創造主たる神が創りたもうた全てであるならば
というよりも
とにかく存在してしまっている以上
どうにもできない存在意義があるのであろうことはわかるし
それはそれとして、受け入れ
馴染んでいかねばならないことなのだろうけれど
なにか・・・それなりの自分の担った役割があるような気がして。
破壊神スサノオがバックに居ると
未だに言われる自分としての、なにか・・・きっと・・・。
犯罪的なものではなくて
何か、ボクなりのやり方で起こせる有意義な革命が
もしかしたら・・・あるのかもしれなくて。
なんつって。
Godzillaの咆哮をCDで何度も聞きながら
発奮!発奮!また発奮!
いつまでたっても足が地につかぬ不安と戦う日々に
そろそろ本当にさよならしたいな・・・と思いながら。

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