親愛なる心の友Kちゃんへ

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ボクの唯一の親友、Kちゃん。

ここ数年は、Kちゃんのライフステージが大きく変わったことを受け
しばらくたまのLINE程度で交流を遠慮していたけれど
時々、ボクのTwitterに、そっといいねをくれたりして
気にしてくれてるんだなということはしっかり伝わっていました。

Kちゃんは原因不明の発熱でぶっ倒れてたとLINEで言ってきた時
病院に行ったほうがいいというボクに
「行って何になる?w」と言って、あくまでも自然治癒を待ってたことが
何度も何度も思い出されて
あの時、もしかしたら、ボクが強く強く病院に行くことを勧めて
怒鳴ってでも引っ張ってでも病院に行かせていれば
(Kちゃんが言うことを聞くとは思えないけど)
早期発見ができて、空に旅立たなくてよかったのでは?と
ずっとずっと考えています。

それからしばらくして、LINEすると
「子宮頸がんの末期になっちゃった」という返事が来て
心底驚いて、すっ飛んでいったんだよね。
末期がんだと知っても、余命の数字は絶対に聞かないと。
聞いたらその数字に縛られて「そのように」なってしまうと。

Kちゃんは、抗がん剤もその他の薬も痛み止めですら拒否して
自宅療養をしていて
「子宮頸がんは他のと違ってウイルスだから絶対に勝ってやる」と言ってたよね。

あまりに辛そうなので、緩和ケアをどうか受けてくれと
懇願してみたけれど、それには答えてくれなかったKちゃん。

あまりの痛みに涙をこぼしながらこらえる姿。
ホワイトチョコレートを噛みながら堪えるんだと教えてくれたね。
それからすぐにホワイトチョコレートを送って
喜んでくれたのが最後になりました。

9日の夜、日曜日にまた顔出すでねーと
伝えようと思っていた矢先の訃報で
生きる気満々だったKちゃんだったから
あまりにも早くて、びっくりしすぎて涙も出なくて。
ただ、ただ、混乱して。

通夜では、本当にたくさんの人たちが参列していて大賑わいだったね。
Kちゃんが仲良くしていたお友達たち。
ボクとKちゃんは家族ぐるみのお付き合いではあったけど
基本的に1対1の付き合いだったし
知ってる人は誰もいなかったし
たくさん貼り出されていた写真も、ボクとの写真はありませんでした。

そして、皆とても楽しそうに歓談していたから
顔を見た時も、何も言えず、涙も流せず
そのまま帰ってしまってごめんね。

でも、今日の告別式では、ちゃんとボクはKちゃんにいいたかったこと
伝えたかったこと、話せて良かったよ。届いたかな。

Kちゃん、とってもきれいだったよ。
Kちゃん、24年もの間、友達でいてくれてありがとう。
ボクはKちゃんと友達になれて本当に幸せだったよ。
共に支え合ってきたね。ありがとう。

そして、本当によく頑張ったね。
お疲れさま。
もう痛くないよ、苦しくないよ。ゆっくりしてね。

Kちゃんのライフステージが大きく変わろうとしていた時
引き止めることをしないで、見守ることを選んだボクは
正しかったのか、正しくなかったのか。
そんな事ばかり考えています。

沢山のお友達もできて
いろんな楽しい経験もできて
Kちゃんは、きっと、とっても幸せだったんだと思う。
ボクのうちに連日泊まりに来ていたときとはぜんぜん違う
楽しそうなKちゃんのたくさんの写真、見せてもらったよ。

娘が「あたしが知ってるKちゃんはこれだ」と
指さした写真は、正しく、ボクたちの知っているKちゃんでした。

いずれにしても、Kちゃんの人生はKちゃんのもの。

Kちゃんは、最後の最後まで
自分の思う信念を貫いて、貫けて、幸せだったんだよね。
そう何度も言っていたもんね。

Kちゃん、本当にありがとう。
Kちゃんにどれだけ救われたかわかりません。
そして、末期がんだとわかってからの2ヶ月あまりを
「来てくれるの待ってるよー!」と楽しみにしてくれて
一緒に過ごさせてくれて
信頼して、マッサージや手を繋いだりさせてくれて本当にありがとう。

「ちる、(マスクを外して)よく顔を見せて・・」と言って
マスクを外したボクの顔をやせ細った手で包み込んでくれたよね。
あの時の感触、あの時の空気、絶対忘れない。

ボクはずっとKちゃんのこと忘れない。
Kちゃんの肉体は亡くなったけれど
Kちゃんは死んだりしないで、魂は空に登って
神様が用意してくれていた、安楽の世界でゆったりと過ごしてると
そう思って生きていくよ。

ありがとう、Kちゃん。いついつまでも、愛してるよ。

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