映画「パッション」を見た。

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今日は「ゲッセマネの夜」の日だそうで
そんな日に、ちょうどボクのもとにDVDが届いた。

明日の金曜日に見ようかと思っていたけれど
この、上馬キリスト教会さんのツイートを見て
どうしても今日、見なくてはならない気がして、見た。

そしたら、案の定、ゲッセマネの夜から、作品は始まった。

これは、うんと前に、一度見て、あまりの凄惨さに
絶叫してしまい、最後まで見ることが出来なかった作品で
今日も、号泣しながら、それでも必死で見た。

今回は、ボクは聖書を読んでいるので
イエスが言う言葉も、弟子たちのことも、マリアのことも、みんなわかった。
ただ、あの執拗に楽しげにイエスに鞭打つ奴らのことはわからん。
なんであんな人間がいるのか。あれこそが罪なのに、なぜ神はお許しになったのか。
それも全て、神の「ご計画」だったのだと何度も自分を発奮させて
本当に一生懸命に見た。

あんなにひどい仕打ちをされても
イエスは、皆のことを祈った。どうかお赦しくださいと。
この人たちは、自分が何をしているかわかっていないのですと。

そして

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか!」というシーンは
唯一、人間、イエス・キリストとしての言葉だったのだとボクは捉えた。

この映画は、あまりの凄惨さに
心臓発作を起こして亡くなった人がいるほどの映画で
実際、本当に本当にひどいひどい、あまりにもひどい虐待の数々で
それを誰がやってるかと言うと、奴ら。
到底人間とは思えない、思いたくないほどのクソ野郎が何人もいて
笑いながら、楽しそうに、イエスをいたぶりまくる。

なんで!!!もう今は鞭打たなくてもいいじゃん!!(号泣)と
何度も何度も号泣、絶叫しながら見て
マリアが、倒れたイエスのもとに駆け寄るシーンではもう、嗚咽。

けれども、見た。
ボクはあまり頭が良くないので、うまく説明できないけれど
イエス様が私達の罪を贖ってくださり・・・というような
そんな言葉だけでは、ボクは未熟だから、身に沁みなかった。

あの凄惨な作品を見て、初めて、本当に、罪を贖ってくださったのだ
やっとやっと身に沁みるような、未熟なボクだから
やはり、ちゃんと見てよかったと、つくづく思う。

ヨハネ・パウロ2世も試写を視聴し、周囲から「It is as it was(全て真実)」とコメントがあったと発表されたが、直ちに打ち消された。教皇の秘書は後日、「確かに教皇はそう言われたが、単なる個人的な感想をメディアがおおげさに取り上げ、その結果映画の宣伝に誇大に使われるような恐れがあっては困るので否定した」と理由を明らかにした。 ——– Wikiより

ボクも、これは真実の物語だと思ったし、思い続けると思う。

最後の最後、イエスは「ちゃんと」復活した。
これは映画だけど、映画じゃなくて、本当だと感じたし
イエスは、ボクらの罪を、あの兵士や司祭たちの罪を、みんなみんなの罪を背負って
あんなに大変な迫害を受けて絶命するに至った。
あれだけの痛みと苦しみでなければ、到底許されないほどの罪ということだと思う。

そして、イエスは、とてもとても美しい方で
最後の最後まで、左目だけが綺麗なままで
それはそれは、本当に本当に美しい瞳で
大変な痛みと苦しみの中でも、しっかりと周りを見つめる、あの瞳が忘れられない。

でもやはり、映画作品としての話をするならば
これは、聖書の知識がなければ、ただの虐待映画だと思う。
下手げなホラーよりも酷い酷い恐ろしい映画だと思う。
もう一度見たいかと言うと、もう見たくない。

けれども、見てよかったと、心から思う。
聖書に対する意識もうんと変わったようにも思う。

天の神様。
ボクにこの作品を最後まで見させてくださり、ありがとうございます。
未熟なボクは、ちょっと辛いことや悲しいことがあると
すぐに神様に泣き言を言ったり
酷いときには悪態をついたり
「なんで自分はこんな目に合わなきゃならないんだ!」などと
すぐに強く思ったりしてしまいます。
けれども、今日からは、イエス様のことを思って
気持ちをしっかりと持って、慌てたり騒いだり嘆いたりせず
まっすぐに踏ん張って生きていきたいと思います。

天にまします 我らの父よ、
ねがわくは み名をあがめさせたまえ。
み国をきたらせたまえ、
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をも ゆるしたまえ。
我らのこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

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