ニュートラルに生きるということ。

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自分は基本的にゲーマーであります。
昔は雑食系で
なんでもやってたんだけども
いつの頃からかシュミレーション系・育成系主体で
スリリングなものやアクション系はやらなくなってるわけですが
それはそれとして
結構いろいろやってた中で
自分の人生観をも揺るがしたゲームってのがこれ。

真・女神転生II 真・女神転生II
(2002/03/20)
PlayStation

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世界観が半端なくて
もちろん1もやってるし、その後の続編もやってるけども
この?の完成度は筆舌にしがたいものがあると思っている。


このゲームは一体
どんなゲームなのか、と言うと

一般的な「神」「悪魔」のイメージと「善=味方」「悪=敵」という考え方を取り払い
「LAW」と「CHAOS」という概念のもとに物語を進める、画期的なRPG『真・女神転生』シリーズ。
「LAW」と「CHAOS」にはそれぞれ神がいて
どちらが善でどちらが悪だと最初から決められているわけではありません。
主人公を操るプレイヤーの判断と行動によって
戦うべき相手、そして物語の結末が変わっていくのです。
何が正しくて、何が間違っているのか、立場や状況によって変化するこの答えを
あなた自身の手で見つけてください。

と、公式サイトに書かれているんだけども
このね。善と悪の描き方が秀逸で。
基本的にボクは
『より良い人』として生きたい。みたいなのがあるから
Lawな感じで進めていくんだけども
ゲームを進めていくうちに
じわじわと、しかし強烈な違和感に包まれていって
神ってなんよ?
悪魔ってなんよ?
みたいな気分にだんだんなってくる。がしかし
とりあえず、神側(Law)についてみている立場のまま
違和感を感じながらも最後まで進めて
エンディングを終えてみて
後味わるっ・・・。みたいになりまして。
マルチエンディング方式ってやつでしたから
よ~しよしよし。次はChaosサイドに立ってみよう。ということで
Chaos側でやってみて。
またしても
後味悪っ・・・。みたいになったりして。
で、そしてアレコレやってみたところが
ChaosでもLawでもないNeutralってのがあるんだけども
いわゆる『中立』あるいは『中庸』てとこで
これをキープしながらゲームを進めるのがとてもとても大変で。
このゲームをプレイしたのはうんと昔のことで
しかもそのころ自分はまだまだ若かったんだけども
この時の『Neutral』で行こう。
どちらにもつかない自分で行こう。とした時の
困難さっていうのだけが強烈に印象にあって
すぐにどちらかに傾いてしまう。
人は弱いから、なんていうようなことだけでなくて
すごく単純に、多分これ、節理ってやつなんだと思うんだけど
そこらへんがすごく深いなと思ってて。
良かれと思って、ということや
人として正しく善良であろうとすることは
まず間違いとはされないし
むしろ推奨されることだと思うし
確か、自分が子供の頃
学校で『道徳の時間』とかに学ばされた事ってのはそういうことで
ボクらの内に備わっている
倫理観、て言うのは、ある一定の基準の上に成り立っていたりする。
そこに持ってきて
信じ切ってるっていうののパワーは物凄いのらしくて
正義感は非常に重要視されるし、超かっこいいこと。されてて
うんもう、絶対正しい!ってことになってるみたい。
そして、最近の話で言えば
原発問題にしろ
中国・韓国とのもめ事にしろ
地球の環境問題にしろ
地域の経済問題にしろ
その他諸々・・・たくさんたくさんの小さな問題から大きな問題まで
猛烈に入れ込んでる方々、というのが必ずいて
そういう人らがもうもう、ものすごいパワーでもって
ネット上でがなり立ててる。
正義と真実と正しさってのを掲げながらね。
ほんとのこと言うときっと
正しさも誤りもどちらも
人間が勝手に決めてることに過ぎなくて
しかもそれ、勝手に決めてるのって
世界規模で見たら、先進国なんかのごく一部の皆さんが
非常に思い思いに都合の良い基準を設定してジャッジしてるだけに過ぎなくて
例えば、遠く遠くのお国に生きている
先進国ではない土地に住まう皆さんとか
もっと言うと、動物さんたちなんかにしてみればきっと
はあ?
って感じなんじゃないの?なんて思っちゃったりするんだけど、どうなんだろう。
つまり
一般的に善きこととされている神を信じること
光を求めること、前向きに生きんとすることみたいな類のことと
一般的に悪しきものとされている悪魔崇拝的なこと
闇を求めること、破壊と崩壊を望むみたいな類のことってのは
結局同じじゃねの?
ということを言いたいんだけど
どこら辺が同じかってのは
どちらも『自分に都合良い方向にしよう』としてるっていう点。
人間はどこまでも果てしなく強欲であるってのがデフォだから
やむを得ない事なんだろうけども
先に触れたように、ほんとの世界規模で見たらば
善い悪い、敵味方なんてのを作ってる時点で非常に・・・ナンセンスだろうし
滑稽なことなんじゃないかね。
少なくとも、粋じゃないよね。
ボクは、そんな風に考えるから
できるだけ滑稽やナンセンスを避けたいと思うし
できることなら多くの人に気づいて欲しいとか思うでしょ。
これがほんっとに難しい。
ただ伝えるっていうことだけでも難しいのに
なにが難しいって
そういうことなんじゃないの?と問いかけて
その問いに対して振り返ってもらうこと自体が、難しい。
人ってのは、信じこんだらまっしぐらであるし
そんなまっしぐらな状態の人に
なにを言うても、その人には決して響かない。それが常。
なのでまたしても
無駄無駄無駄無駄無駄~っ!てことなんだけど
生活に関与しない部分で
超客観的に世の中の空気みたいなものを
眺めることができるっていう意味で
こういう種類のゲームが多くプレイされると好いなと思う。
中立、中庸、ニュートラルでいようとすることこそが
きっと今最も求められてるスタイルだと思うから。
そして
それらを実現させるためには
感覚的に『客観的視野』をものにしなきゃ無理だと思うから。
善いものも、悪いものも、加担しすぎたら、同じ。

この感覚、自分はできるだけ忘れないようにしたいと思う。

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