パックンチョ問題の件。

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すごい時間にこんばんわ。ボクです。
アレコレが弱り切っている自分にとって
ほんのちょっと予定が入っているだけで
分刻みのスケジュールですねんの人と同じくらいの忙しなさであって
何故にこうなのだろう?とは思えど
考えたところで事態は変わりはしないので
早々に考えることはやめにして
「とにかくそゆこと」ってって生きているわけですが
それはそうとこのアイコンの話から。
 


このアイコンは
@neppetaさんという方に描いていただいたイラストで
元ネタは自分では無きにして
プリンスのPVに出ていたこの方のこの写真を渡して

って、これ前に勝手にアイコンにしちゃってたやつなんですけども
この人を描いてくれとお願いしたところが
仕上がってきたら何故か自分にそっくりで(しかも素敵)
ものすごい感動で気分もアゲアゲになったりしたのでして
すっかり気に入って
何もかもに使用するまでになっている現在。
リアルでお会いした方々にも「そんままじゃん」などと言われ
ますます悦に入っているんだけども
ご存じの方はご存知の通りで
このダンサーとボクはまるっきり似ても似つかないんだけれども
なんというミラクル!てな話でありました。と。で、
厳密には自分じゃないのに自分ということにしていて。
そんな折、なんですか?最近ほら
オリンピックのデザインがどーのあーのって
ちょっとした騒ぎでしょう?
確かに色々パックンチョらしいのだけれども
ふと考えたんだよね。
そもそもボクも何もかんもがパックンチョじゃんよ。と。
オギャーとこの世に生まれてからと言うもの
自分の見聞きするものアレモコレモに
完全に影響受けまくっていて
影響受けて真似したり会得したりしてきたからこその
現在の自分なのであって
それは何もボクだけにあらずで
あらゆる人が同じように
あらゆるものをパックンチョしまくりながら成長したのであり
そんな中で「個性」というものになったりならなかったりしてて
するってーと
「個性」ってなんぞや?みたいな気にもなってくる。
例えばボクは良くも悪くも、非常に個性的な人物であると
そんな風に言われがちの人間でありますけども
先から言うているとおりに
総てこれなにか誰かのパックンチョでしかありませんから
総合的に生まれた現在のボクが、アレモコレモをブレンドしまくって
おかしいことになってるだけであって
オリジナリティってのは、ないっちゃない。
何かというとプリンスにちなむことで生きているし
大好きなトラボルタや
大草原の小さな家のチャールズ・インガルスや
その他諸々挙げだせばきりがないくらいに
自分の大好きがありまして
それらのマネッコばかりですわ。
読んできた本の中の考え方とかいうのだって
ものすごく影響受けていて、言葉遣いにしてもそうなんじゃないだろうか。
言葉の選びっぷりからして、きっとパックンチョ。
だって、生まれた時は何しろオギャーしか知らなかったのであり
・・・って何がいいたいかというと
オリジナルとパックンチョの境界線って
実のところヒジョーにわかんなくね?ということなんだけども
確か、かのモーツァルトに嘗て
あまりに素晴らしい曲をじゃんじゃか作るもんだから
誰かが「どうやってそんなに素晴らしい曲を作るんですか?」なんてって
聞いてみたのらしいのだけども
その答えが「この世にすでにある音を組み合わせてるだけだよ」とかなんとか
そんなようなことを言ったとか言わなかったとか。
やーもう、それ言われたらその通りなんだろうけど
だからこその、この深いセリフ。
そこで。
ボクがよく唱えるところの信じて疑っていない法則の一つに
「質量保存の法則」というのがあって
つまりそれは、この地球上の物質やエネルギー体などの
総質量というものは変わらないというベースのもとに
あらゆる循環機能で循環し成り立っているというような感じのことで
その循環の過程において、また、現象において
アレコレボクらから見たら変化しているもんだから
ワーワーなったりならなかったりしているだけに過ぎず
とにかく何もかも「既にあるもの」ばかりなりき。と。
目の前から消えたように見えても
地球の総質量は変化していないってことは
状態が変化しただけでどっかに「必ずある」みたいな・・・
わかるでしょうか・・・。
ということはですね。
何もかも・・・まあ・・・かぶるんだよ。たぶん。
似てしまったりかぶったりしても不思議じゃあない。
何かがこう・・ツーッと通った時にかぶるんじゃなかろうか。
コップの水を冷凍庫に入れると氷になりまして
氷と水は液体と固体で別物のようですが
元は同じ水でした。
そしてそれをとかしたらやっぱり水でした。
それを熱したらお湯になりまして
更に熱していたら水蒸気になって飛んでってしまう。
お空の雲は水とは思わないけれど
元は同じ水でした。
雨になって落ちてきたらやっぱり水でした。
水は流れていくうちにいろんなものと混ざったりして
海に流れてって海水になりました。
海水と水は違う感じだけれども
元は同じ水でした。て言うか、海水の方が先?みたいな
そんなくらいの話じゃんね。
絵や図系などのデザインも
フォントなどの文字のデザインも
音楽も、ダンスも、言葉遣いも、素振りも、ファッションも
メイキャップも、ヘアスタイルも
まあ・・・かぶるよそりゃあーみたいな風に思い始めたんだけども
でも明らかに真似とか
明らかにイタダキマスしてるとかは
やはり良くないのであって
その境界線って難しくね?と思って。
いつだったか
梅宮アンナちゃんがインスタグラムかなんかで
誰かの絵の画像をネットで拾ったのかなんかで使用して
自分の言葉を添えてあげたところ
大変な大炎上をしたことがあったのだけれども
アレは確かによかないんだろうけれども
アンナちゃん的にはたぶん
散歩の途中で見つけた野花に言葉を添えたくらいの
そういう気持ちであったのであろうなーと思いながら見てまして
例えばその画像を拾った上に
自分が描いたとか何とか言っちゃってたらアウトなんだけども
なんというか・・・そうだなあ・・・
◯◯さんが描かれた絵をお借りました。とか書くべきだったのだけども
見つけた野花の気分だったであろうアンナちゃんとしては
酷くびっくりしたのも無理もなかろうとか
ネットリテラシーがどーのあーの
有名人としての自覚がどーのあーのと
えらい方向に話が盛り上がっていたけれども
そういうような勢いで
アレモコレモに権利を訴えまくる世の中ってのは
気持ちも流れもすごくわかるんだけども
そうこうしてるうちに、自分の首も絞まる時が来るよね・・。
とか何とか思ったり。
第一に、大好きなプリンスのことを語るときに
彼の写真を使っちゃダメとか言う話になるわけでしょ。極論言うたら。
これはプリンスです、といえばいいって話でもなくなるでしょう。
撮影者の権利もあるのよ?
最初に載せた雑誌やポスターやWebサイトの会社の権利とか
もしかしたら加工した画像クリエイターの権利もある。
もうなんやかんやみんなが権利権利言い始めたらもうホント
なーんもできなくなっちゃうというか
オリンピックのデザインの話とはずれてきた気もするし
アレはあまりにもパックンチョ過ぎたのだけれども
線引・・・難しいよね。
やっぱ真似されたり
ネタを拝借されたりするとムカつくからさ。
コンチクショー!ってなるしね。
要は民事だよね。つまりこれらは総て。
感情論というか・・・
でも真似された自分もそもそも何か誰かのマネッコで
考えだしたつもりになってるネタですら
薄らボケて忘れて自分で考えたつもりになってるだけで
前に知り得たネタである場合も無きにしもあらず。
ムカついた人がいて
ムカつかせた人がいて
そこには必ず相互の捉え方の違いがあって
迂闊さであったり、すっとぼけであったり
ずるい策略であったりなんたりが混在して、そうなっていて
ムカついた人にムカつかせた人が
「これは俺のものだー」とか何とか頑張ったりしないで
「あらららホントだ、ごめんなさい」とか何とか
まあ、なんでもいいけどとにかく
適当なところで折り合いつけて
落とし所作って、いいとこで話切り上げておかないとさ。
自分の首も絞めかねないよう?って思うのでした。
ましてや直接関係のない人なんかは特にね。
いろいろ人のことをいつまでも無駄に掘り下げてわやにする人多すぎ。
わやにしているアナタも
オギャーと生まれてからずっとパックンチョ人生歩いてますねん。と
そこら辺も、ちょっとは謙虚な気持ちで持つといいのかもしれんです。
って、誰に向かって話してんだか。うははは。
 

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