King Of Pop "M.J." 4ever.

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マイケル・ジャクソン写真集 Michael Jackson KING OF POP Japan Version
自分は、セカンドライフという
多くの人にしてみたら
異世界、異空間、とも言えるべきヴァーチャルワールドで生きているんですが
その世界でもう、この春、3年目になりました。
過ごしてきた2年は、あの世界の中ではとても長い時間に値します。
どういう作用があって、あんなにまでも時間の経過が早く
時の濃度が濃いのかはわからないけれど
感覚的に1年が10年くらいな感覚です。


だから、感覚的には20年くらい
あの世界に生きてきたかのような感覚で
またこれに加えて
1年、ほぼ毎日、何らかの形で
あの世界で活動してきた人はもう
いわゆる『玄人』であり
セカンドライフの中でのある程度のスキルはみにつけている場合がほとんど。
2年・・・3年となると
人の心の方にも様々な影響を与えるように感じます。
そしてこれは
あの世界に『生きた』ことのない人には到底わからない感覚で
人は、わからないことに対して
とりあえず拒絶感、嫌悪感を示すものです。
しかも自分は『あのようなスタイル』で生きており
ただでさえ生きづらいところに
更なる面倒を自分に与えた。とも言えるかもしれず
けれどもこれは
自分にとってとても必要なことで
こうして2年以上過ごしてきたなかで
如何なる学びがあったか。
気付きがあったか。
救いがあったか。なんていうことは
もしかすると、同じセカンドライフ住人の人にすら
理解され難い部分でもあるかもしれません。
傍から見ていて・・・気色悪いかもしれない。
気分も悪いかもしれない。
気色も悪くなければ、気分も悪くなかったにしても
理解出来ないために受け入れられないだろうし
何よりも、どう触っていいかわかんないと思います。
マイケル・ジャクソンのタイトルと本を
先にリンクしておいて
どうしてここから入るかと言うのは
自分にとって、自分の今の生業と
マイケル・ジャクソンの事は同じ線上に並んでいると
そう、感じているからです。
セカンドライフの中で出会い
触れ合い、仲を深めてきた様々な方々は
『ものすごい勢いで生きています』
正にセカンドライフが『第二の人生』であるからです。
これは
他のMMOやRPG系のオンラインゲームとは激しく異なります。
『正に生きて』いるのです。
リアルの世界での生活もこなしながら
セカンドライフの世界をも『まともに』生きているのですから
そらもう、ハンパ無い忙しさで
気も使っているだろうし大変な苦労もあったりします。
それでもみんな『生きて』います。
自分はプリンスをとてもとても愛していますが
マイケル・ジャクソンのことも
とてもとても愛しています。
去年彼が亡くなったとき
自分はセカンドライフの中に生きており
とてもとてもありがたい事には
セカンドライフを知る以前の自分には到底できなかった
彼への愛や尊敬の気持ちなどを
たとえヴァーチャルのデータでしかないにしても
『具現化』することができました。
彼を偲ぶ世界中の人達の作った土地に足を向け
悲しみにむせぶ方々と空気を共有し
心を共有し
共にマイケルの映像、音楽を見て涙を流し
そして自分の土地にも
マイケルを偲ぶ石碑を建て
その前に座り込んで、時間を忘れて彼の歌声を聞き
自分の建てた宮殿で踊り、涙をこぼして
彼がいなくなった悲しみを癒しました。
これらが
どんなにリアルに生きる自分にとって
大きかったか、なんていうことは、やってない人にはわからないです。きっと。
何が言いたいのかというと
分からない人を批判しようとしているのではなく
分かろうとしない人を非難しようとしてるのでもなく
また
分かりあえないことに対して
どうこうしたいというのでもなく
ただ、現実のことを言うているだけです。純粋に。
もうすぐ彼の1周忌です。
また自分はセカンドライフの中で
彼を偲ぶ五夜をスタートさせます。
誰も来なくても
ただ一人で、フロアに立ち
マイケルよろしく、カッコつけて踊りながら
彼がこの世に存在したことに感謝する夜を過ごすつもりです。
その5日間のために
仕込みをするんですが
その仕込のひとつ、マイケル・ジャクソンにそっくりのアバターを作り
ダンスをさせる練習をしていたところ
セカンドライフの中で知り合った
強烈なプリンスのコアファンであるところの一人であり
自分のセカンドライフの中での活動を
支援・協力してくれている子がやってきました。
彼もまた
マイケル・ジャクソンのことも愛しており
自分の知らないエピソードをたくさん教えてくれました。
そのひとつが
オックスフォード大学でのマイケルのスピーチ。
Click
スピーチの全文ですから
とても長いのですけれど
読みながら、涙が止まらなくなりました。
これは、正に自分自身も向き合い続けてきたことそのものであり
つい先日上げたエントリーにも通じることであり
自分自身に必要なことであるからです。
親を許すということ。
自分がまた人の親として
『できるだけやっていこう』と言うことを諦めないこと。
これがスピーチのテーマです。
自分自身の中の小さな子供にも愛を。
自分の周りの子供達にも愛を。
マイケル・ジャクソンが
顔になんどもの整形手術を施し
我の姿をあのようにして行ったことと
自分がアバターとして
あの世界に生きていることと
もしかしたら、とてもとても似ているかもしれません。
一般的な見方で見れば
とても歪んでいるでしょうし
自分でも、歪んでんなあ。と思うときも少なくないし
けれども、そうしているとき
やっと、自分の声を聞いてもらえるのです。
やっと、自分の心の中を全部ぶちまけられるのです。
屈折しています。
気が変なんじゃないかと思います。
病気なのかもしれません。
けれども、あの世界は間違いなく『現実』です。
ちょっとオンしたくらいでは分からない『現実』です。
何が言いたいのか
どう伝えていいのか
まるでわからなくなってきました。
けれども
自分自身は何も変わっちゃいないこと。
相変わらず
この世に受けた生命、性を大事にしながら生きていること。
愛を・・・ただひたすらに・・・愛を・・・と
自ら追い求めつつ
同じように追い求めている人に
自分ができることを少しでも・・・と思っていること。
そのフィールドが如何なる場所であれ
そのフィールドごとに自分の姿が違えども
そのフィールドごとに自分のスタンスも変えているかのように見えようとも
自分は、変わっていないということ。
すべての子供達(大人の中にいる子供も含め)
すべての女達
すべての男達
すべての人々がひとり残らず
愛を貰える権利を持っていて
敬意をはらって貰う権利を持っています。
そう・・・願っています。
リアルに生きる自分は
あまりにもあまりにもちっぽけで
あまりにもあまりにも力がなく
財もなく体力もありません。
けれどもセカンドライフを通じて
それよりはもっと
多くのことができて
多くの自分の欲求を具現化させて表現もできて
自分と同じような人達と
リアルの自分よりももう一歩『その人』に近いところで
触れ合うことが出来ています。
やっている仕事や社会的地位
見た目、力、能力、財力、環境などで
人の価値は変わってしまいます。これは仕方のないことで
セカンドライフの中でだって、それはあります。
どうしたって格差はなくなりません。
格差はあるべくして存在しているから
それも仕方ありません。
けれどもそれが、リアルよりももうちょっと
自分の思うようにすることができる場所だから
例えば
リアルでは相変わらず
肉体労働の安い時給生活であっても
ここでは愛してやまないマイケル・ジャクソンを
自分の思うとおりのやり方で偲ぶことができます。
愛してやまないプリンスのように生き
プリンス自身がそうであるように
自分と関わる人に『よくする』こともでき
ひとりひとりが価値のある命、魂なんだと
ひとりひとりがかけがえのない存在なんだと
リアルの時よりももっと
上手く伝えることができます。
それでもやっぱり限りはあって
すべてに平等にとは行かないから
時々うまくいかなくなったりすることもあるけれど
それでも精一杯
自分のスタンスとしては変えず
自分を支えてくれる人
好いてくれる人
みんなみんなに、愛を・・・と思っています。
伝わってないかもしれないし
そんなもん、いらんかもしれないし
それは、わからないけれど
自分にとって、大切な場所です。
いつかは無くなってしまって
または、自分自身が何らかの理由でうんざりしてしまって
または、とっても大失敗をしでかしてしまったりなどして
『なんだったんだろう・・・あの時期は・・・』
なんて思う日が来ないとも限らないけれど
ただ家で曲を聞いて偲ぶだけでなく
仮想だろうがなんだろうが
フロアに立って、踊って偲ぶことが出来ること。
集まってくれた人がいたなら
その人達と分かち合える空間をもつかむことができること。
これには、感謝の一言で。
人として『アホか、お前は』と思う人もやっぱりいるし
しがらみもたっぷりあるけれど
同じフィールドに生き、共有していくことで
深くつながり
気持ちや意見を交換しあって共鳴していくなかで
こんな体験、経験は
よそでは決して味わえなかっただろうなと、つくづく思います。
自分の抱えている様々な問題やコンプレックスを
最大限に、最小限にしていくと
みんなのいいところが、もっと容易に輝くのだなと
つくづく、思います。
自らの身体を変え続けて
老いや疲労を薬やその他の『何か』でごまかしながら
愛を伝えようとしてきたマイケルの
人から見たら『歪んでる』ようにしか見えなかったあれこれ
そしてそのせいで
自ら早くに命を落としてしまったことなども含めて
なんとなく・・・
自分とも通じるものがある気がして。
間違えているかもしれない。
でも、そうしている。そうなっている。これを
受け入れ、そのように流れていくしかできない自分にも
思い馳せながら
しばらく、マイケルのサウンドに
身を委ねてみるつもりです。

コメント

  1. それほどファンじゃなかったのに、去年のマイケル死去にはかなりショックを受けました。マイケルの死とともにずいぶん遠ざかっていた洋楽に浸るようになりました。マイケルが導いてくれたのかな・・・。六月になると、一周忌を意識しているわけでないのに、またマイケルを聞きたくなって。。

  2. わ~うさこさん!!
    まさか読んでくださるとは思っても見なかったのでびっくりw
    ほんとにですね・・・。
    自分はとってもファンだったつもりだけれど
    近年は、多くの群集と似たかよったかの瞳で彼を見て
    酷く勝手な空気で
    嘲笑ってるかのような風で、シッタカブッタ口を聞いたりしてたので
    彼が亡くなったときは本当に愕然としました。
    ホントは大好きで影響も沢山受けているのに
    酷いこと言うてきた自分がとっても恥ずかしかったり情けなかったりで
    彼の曲を聞きながら『ごめんなさい、ごめんなさい』と泣いたりして。
    それほど好きではない人も
    もっといくと知らなかった。難易宇和海世代の人なんかのとこまでも
    彼の影響、ミーム、みたいのは確実に届いていたのらしくて
    それほどすごい人だったのだな。と言うのがわかるのですけども
    ほんとに・・・はっとそんな気がして検索してみたら
    ああ・・・6月だった・・・みたいなとこもあったりで。
    無意識に導かれてるみたいな感じ、ほんとにしますよね。
    偉大なるスーパースターは
    まるで天使か神様かなんかみたいに
    みんなの心や精神に無意識に働きかけてきたし
    これからも、きっと、そうなんじゃないかな・・と言う気もします。
    共に、たくさん聞きましょうね。いい曲ばかりだし。

  3. あら・・・ものすごい変換されてる箇所が(^^;
    なんていう、若い世代の人なんかのとこまでも。です。
    なんだかなあ・・・IMEにしろ、Google IMEにしても・・・
    どうにかならんのか・・・この酷い誤変換ww
    失礼しました~(^^;

  4. 今更ながら「読んだよ」印させていただきます。
    ひとしきり考えてみたら、
    偏見だとか、
    知らない世界の話されても‥とかじゃないのかも。
    多少のことで引かれる(っていうと語弊あるけど)
    ような付き合いはしてなかったと思いますよ。
    以前が個人個人と密な付き合いをしていたから、
    費やす時間的ギャップのせいじゃないかと。
    書中見舞いメールを出そう!
    返事がなくても、想いは確実に伝わる。
    私は数年ぶりの人に突然電話する時期があります。
    思い立ったら即メール。
    「なんとなく○○ちゃんに連絡したかったのだ。」と。
    それだけで気持ちは伝わるもん。
    忙しさと不安に臆していたら、
    縁って切れちゃうもんね。

  5. お。ほんでまた。今頃気づきました。
    そしてこの件が
    すっかりとまではいかなくても
    大部分、カタが付いていたことに気付いた感じの。
    まだいろいろ考えちゃいますけどね。
    当然、なかなか微妙な問題も重なってるので。
    対、人がどうのこうのはどうでもよくなっていて
    自分自身との向き合いオンリーになってるかな。
    そして、連絡とるとらないの件。
    ちょうどその件で、ちょっとした気づきがあったところで
    連絡取れない時は
    やはり取れないのであって
    無理に連絡取らねばってって
    取った場合には、やはりうまくいかないんだよな。とかの
    自分本位な感じの気づきなんだけども。
    縁、というものに関しても
    すっかり自分の中で自分なりのカタがついてることに気づきつつ。
    故に、暑中見舞いも出さないし
    メールをしたりもしないと思う。
    うまく言えないけど・・・卑屈になってるとか、そゆのでもなくて。
    感謝の気持ちとかのアレこれは
    もちろん忘れちゃない。というペースの元に、ね。

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